”真実の少し暗い瞳に、結子はふと恐ろしさが甦った。
この弟に好きだと言われ、抱きしめられた夜の恐怖。
恐怖と、もう一つの何か。”
この小説には大人をぞくりとさせるフレーズが散りばめられています。
なにげない描写にもいっさいの無駄がなく、一話が長いのに少しの中だるみもなく、緊張感を孕んだまま揺らめく情念を淡々と描いてゆきます。
ある日突然弟に告白された、社会人の姉。
困惑し恐怖しつつも、自分の中にある”何か”に結子は気づいています。
そのことは冒頭「はじめに」に独白のかたちで明かされているのですが、その見せかた、構成がまた巧みです。
モノローグの使い方や語り手の切り替えのセンス、完璧な筆力にうなりながら、読者は震える指でページをめくってゆくことになるのです。
けしてウエットでなく抑制された文体だからこそ、ふたりの激しい感情の動きが際立ちます。
近親相姦というタグが付けられているし、キャッチコピーにも作品情報に思いっきり「愛し合ってしまった姉と弟」であると明記されているにもかかわらず、だめだよだめだよと震えがくるし、それでいて突き進んでほしいと願ってしまう。
そういうアンビバレントな感情を引き起こされつつ、しくしく痛む胸を押さえ、時に立ち止まって自分の心と対話しながら読み進めました。
そして待ち受ける結末の、意外にして圧倒的な説得力。
このふたりならこうするだろうというイメージからブレずに、しかし予想は軽やかに裏切りながら、作者はそっと差しだしてみせます。
苦しくて、暗くて、しょっぱくて、甘やかなふたりの選択を。
長い間大切に言葉を扱ってきたひとであることのわかる精緻な筆致と高い文学性、そして禁断の愛。
まるで高濃度のブランデーを使ったケーキのように少しずつ胃に落とし込みながら、余すことなく味わってほしい至高の一作です。
1話目を読んだとき、淡々とした語りの底に熱を孕んで沈んでいる感情があるなあ、と魅力を感じました。読み進めるうちに止まらなくなり、一気に読み終えました。ぜひ多くの方の目に読んでいただきたい作品です。
姉と弟の恋愛。家族間・きょうだい間の恋愛は数多の小説で描かれてきましたが、本作は「禁断の愛」や「いけない関係」という通り一遍の表現を用いるのが憚られる深さを有しています。
家族としての二人や日常生活の描写を挟みつつも、話数を経るごとに心の底で沈んでいた感情がゆっくりと浮かびあがり、変化を遂げる関係性が克明に綴られていきます。懊悩し、進み、止まり、互いへの感情をときに疑問視しては確かめていく姉と弟の姿は、もどかしくもあり切なくもあります。
地の文で綴られる思いは会話で発露され、言葉を交わすことで別な形となってそれぞれの心に着地し、また悩んでいくふたり。じっくりと丁寧に描かれる心情描写は些細な感情の機微が鮮やかに描かれています。
二人が互いに抱く感情を「愛」という一単語で表現するにはあまりに惜しく思います。二人の間に横たわる、絹糸のように細くもあり、それでいてしなやかに強く、相手を閉じ込めることもあれば背を押し、近づけては遠ざけてを繰り返す感情を、なんと表現するのがよいのかと読後じっと考え込みました。答えはまだ出ていません。しばらく出そうにないかもしれません。
流れるように読みやすい文章、姉と弟それぞれの視点で描かれ、随所に散りばめられる家族という関係性に、最後まで心を乱されます。
個人的に、三浦綾子さんの「氷点」が好きな方にはぜひ読んでいただきたい一作だと感じました。素敵な作品をありがとうございました。