利用される神々

第26話 校内での結衣の立場

 自宅を出た真之は、電車とバスを乗り継ぐ。

 三〇分ほどの移動の末にたどり着いたのは、市内の中心街に建てられた学校だ。黄昏学園という名を持つ中高一貫の私立学校は、創立一〇〇年の歴史を誇る。その分、建物などはやや古臭さを感じさせる外観だが、改修工事を重ねているおかげで、学習環境としては快適であるらしい。


 重厚な校門の前にやってきた真之は、すぐ傍の壁に設置されたインターフォンを押した。すると、ややくぐもった若い女の声が返ってくる。


『ようこそ。どちら様でしょうか』

「警察庁より派遣されました、神柱護衛官の建宮真之巡査です」

『少々、お待ち下さいませ』


 相手の職員は少々素っ気ない態度だが、真之も人のことを言えない性格なので、特に不満は抱かない。右手首にはめられた安物の腕時計を見やると、針が正午過ぎを指していた。そのまま門の前で待っていると、白いスーツを着た初老の女が校舎の中から出てくるのが見えた。


「ひっ……身分証明書はお持ちですか?」


 職員らしき女は真之の凶相を見て、怯えを顔中に満ちさせながら問うてくる。明らかに疑われているが、真之は懐から警察手帳を取り出した。分厚い門越しの隙間から見えるよう提示しても、女の疑念は晴れないようだ。


「……偽造ではないでしょうね」

「いえ、正真正銘、本物です」


 女の胡散臭そうな視線が、真之の顔と警察手帳を行き来する。このままでは追い返されるか、警察を呼ばれそうだ。真之がそう思いかけたところで、校舎の職員用玄関から若い女が走り寄ってきた。


「あ、いたいた。やっぱりこんなことになってると思ったわ」


 真之と同じく黒いスーツを着た若い女は、呆れた様子で深い溜め息を吐いた。

肩まで伸ばした女の髪は茶色がかっており、後ろで一束に束ねられている。左右の目の下にはそれぞれホクロが一つずつあり、優しげな垂れ目と合わさって、母性的な雰囲気を与えていた。全体的にモデルのように細身で、しなやかに伸びた足がズボン越しでも分かる。


「すみません、どう見ても悪人面ですけど、この人は私達の同僚なんですよ」

「えっ、嘘でしょう?」

「残念ながら、というべきか、本当です」


 職員の女の警戒がなかなか解かれないが、黒スーツの女の説得のおかげで、どうにかその場は収まる。コンピュータで管理された校門がゆっくりと開き、真之はようやく敷地内に入ることができた。


「ご足労おかけしました、道内先輩」

「ふふ、お久しぶりね、真之君。相変わらず苦労しているみたいね」


 真之が頭を下げると、黒スーツの女――道内芹那は彼の分厚い胸板を軽く叩いた。


 初めて出会った小学生のときと変わらず、気安い態度を取ってくれる。一つ年上の彼女は真之と同じく警察官の道を選び、生活安全課に所属していたころの同僚でもあった。コンビを組んで仕事をしたことは多く、仕事の悩みについて相談に乗ってもらったことも何度かある。学生時代は親戚と一緒に暮らしていたが、就職をきっかけに自立し、現在は市内のアパートで一人暮らしをしていた。


「道内先輩もこちらにいらっしゃるということは」

「そ。私が、応援で派遣された神柱護衛官よ」


 薄化粧を施した顔に柔らかな微笑みをたたえ、芹那は片目を閉じる。

 彼女は真之よりも一年早く、神柱護衛官の推薦を受けた。護衛官として志堂市に配属されたことは真之も本人から聞かされていたが、まさかこうして同じ現場を受け持つことになるとは想像していなかったのだ。


 道内先輩、と呼び始めたのは、彼が高校生になったころからだ。思春期真っ盛りということもあり、出会った当初のように「芹那さん」と馴れ馴れしく呼ぶのを躊躇うようになった。芹那本人からは「距離を置かれたみたい」と不満そうにされたが。


「それより聞いたわよ。任務初日から大立ち回りして、名誉の負傷をしたんですって?」

「大げさです。他の護衛官の方々のお力があったからこそ、あの場を切り抜けることができました」

「相変わらずの謙遜ぶりねえ。他の護衛官の中では、あなたの評価がさっそく上がってるみたい。その調子で頑張ってね」


 二人は職員用玄関から校舎の中に入り、一階の職員室へと入る。現在は四時間目の授業が終わろうとしているところで、教員のほとんどが出払っていた。


「ここが、私達の仕事場。といっても、私もここに来るのは初日なんだけどね」


 職員室から続くドアを抜け、芹那はその先にある小部屋の中を指し示した。室内は二〇台以上のモニターが並んでおり、その正面で護衛官の男が一人、パイプ椅子に腰掛けている。やや粗い解像度のモニターに映し出されているのは、学校内と周辺の様子だ。その中には、先程一悶着あった校門の映像もある。おそらく、芹那達はここで真之が困り果てたところを見ていたのだろう。


「この監視カメラで、校内に怪しい人間が近づかないかチェックするのが、私達の仕事よ。後は定期的に学校の周囲を見回りね」


 芹那はパイプ椅子のうちの一脚に腰を下ろす。真之も壁に立てかけられたパイプ椅子を組み立て、先輩護衛官二人の後ろに置いて座った。大人三人、しかも大柄な真之が加わったことにより、小部屋内は窮屈に感じられた。


「私達としては、大事な半神を守るために目を光らせて。学校側は、警察がずっと監視してくれるから、生徒の安全が確保される。そんなWinWinの関係ってわけ。さっき真之君が校門前にやってきたときは、『彼は怪しい人間じゃない』って職員の人達にも伝えておいたんだけどね。向こうの手違いで、伝達が上手くいっていなかったんでしょう」


 危うく、警察に突き出されそうだった真之としては、手違いが恐ろしく感じられる。そんな彼のうんざりした感情の色を鉄仮面から読み取ったのだろう、芹那は軽く笑いを吹き出す。


「まあまあ、そう拗ねないの。そろそろ昼休みだし、私達も昼食を取るつもりだけど。真之君はもう食べてきた?」

「いえ。弁当をこちらでいただこうかと」

「お弁当? いいわね。建宮さんお手製でしょ?」


 一〇年前の霊災が原因となり、紺の正体は政府や神柱護衛官には既に知られている。さらに真之の昔をよく知る芹那には、息子にベタ甘であることも筒抜けだった。


 真之は、紺が早朝から作ってくれた弁当を、硬い膝の上で広げる。彩り豊かなおかずは、真之の健康を心配した義母の配慮だ。彼女への深い感謝を込めて手を合わせ、箸を持った。まずは茹でたブロッコリーからいただくことにする。

その弁当を芹那が少し羨ましそうに眺めてくるので、真之は彼女が手に持つ昼食に視線を向けた。


「道内先輩は、コンビニで買ったパンですか?」

「ええ。相変わらず料理のできない女だ、って思ってるでしょ?」

「いえ、そんな」

「いいのよ、事実だから」


 芹那は後輩をからかいながら、メロンパンの封を開ける。


 彼女が料理下手であることは、真之も知っている。一時、料理教室に通っていたこともあったのだが、全く上達しなかったらしい。そのとき覚えた料理は、おにぎりとゆで卵だけだった。おかげで、食事はスーパーで買った惣菜や、コンビニの世話になりっぱなしだった。それは今も変わらないようだ。


 そうこうしているうちに、昼休みのチャイムが校内に鳴り響いた。授業を終えた教師達が職員室に戻ってきて、隣の職員室が一気に賑やかになる。それと共に、壁越しに聞こえてくる若い声は、教師に用事のある生徒達のものだろう。


 その中には、真之にも聞き覚えのある少女の声も混ざっていた。


「失礼しますっ」


 昼食を素早く食べ終えていた真之は、職員室との間を仕切る壁に視線を向けた。


「先生、クラスの皆から集めたノートを持ってきました」


 はつらつとした声の持ち主である結衣は、どうやら日直で教師に仕事を任されていたようだ。そういえば、自分も学生時代は同じことをしていたな、と真之は昔の思い出を振り返った。どれもあまり楽しくない記憶だったので、すぐに回想を打ち切ったが。


 壁の向こうからは、結衣と教師の軽い雑談が漏れ聞こえてくる。クラスの皆とは上手くやっているか、学校は楽しいか、など。志堂市における最重要VIPであるだけに、教師達も結衣のことを気にかけているようだ。結衣も元気に受け答えしている。


 その和やかな雰囲気を、一つの声がぶち壊した。


「寄るな、気持ち悪ぃ!」


 嫌悪感たっぷりの少年の大声は、隣の監視カメラ部屋にまではっきりと聞こえてきた。職員室が一気に静まり返る。


 何があったのか、と真之達護衛官は聞き耳を立てた。


「角なんか生やしやがって。人間じゃねえくせに、学校に来るんじゃねえよ。この化物!」


 その内容から真之が察するに、おそらく罵詈雑言は結衣に向けたものなのだろう。彼はドアをほんの少し開け、隙間から隣の職員室の様子を覗き見る。

 職員室内では、男子生徒が結衣と向かい合い、彼女を糾弾するように指差していた。


「てめえと同じ教室にいると、空気が不味くなるんだよ。他の皆も同じことを言ってるぜ。さっさと出て行け!」

「こ、こら。よしなさい」

「ほら、出た。教師は皆、すぐにこいつを庇う。そうやって大人にヨイショされて、いい気なもんだな、おい!」


 綺麗な坊主頭に刈り上げた男子生徒は、傍らにいた教師に言われても舌禍を止めなかった。どうやら彼は、結衣のクラスメイトであるようだ。


 対する結衣はその場に立ったまま項垂れ、何も言い返さない。真之達のいる場所からは彼女の表情が見えないものの、悔しそうにしていることだけは、背中に滲んだ気配から窺い知れた。


 他の生徒達は、揃って「またか」という顔をし、かかわり合いにならないよう、そそくさと職員室を出ていく。教師達は、男子生徒にどう言い聞かせればよいか、頭を悩ませているようだった。彼らが結衣の助け舟を出す可能性は、望み薄であろう。


 これ以上見てられない真之は、その場に割って入るために、ドアを開けようとした。しかし、


「ダメよ」


 傍らの芹那の冷静な声によって制された。


「ここはあくまでも学校。生徒同士の喧嘩や問題の対処は、教師の管轄よ。私達警察にはそこまで踏み入る権限がないし、生徒達が萎縮するだけだわ。そうなれば、あの娘がますます学校に居づらくなるでしょう」


 先走る新人の真之に対して、一年といえど先輩である芹那の意見は筋が通っていた。


「……申し訳ありません。短慮でした」

「分かってくれればいいの。とはいえ、結衣ちゃんが一部の生徒から嫌われている、っていうのは事実みたいね。あの角は目立つもの。クラスという小さなコミュニティ内では、容姿や趣味、特技なんかが普通とかけ離れている子は、どうしても迫害を受けてしまうわ。それに、もしかすると、あの男の子も、一〇年前の霊災で家や知り合いを失ったのかもしれない。いくら当時は幼かったといっても、惨状を目の当たりにすれば、トラウマになっていてもおかしくない」


 真之は、結衣が大和と一緒に『霊脈の鍵』を制御する、今朝の光景を思い出した。


 ――この『鍵』を扱えるのは今じゃ私達だけだから、サボるわけにもいかないし。責任重大だもんねっ。


 彼女は、自分に課せられた使命から逃げていない。そのおかげで、志堂市に住む者達は生活を営むことができるのだ。それなのに、彼女の見た目が人と少し異なるだけで、心無い差別をする者がいる。恩を仇で返すといってもよい仕打ちであろう。


 このままでは、いつか結衣が耐えかねて、全てを放り捨ててしまうかもしれない。


 神柱護衛官の仕事は、神の護衛という名の監視である。

 もしも結衣が自暴自棄になって、自らの役目を無視しようとしたとき。真之達は強引な手を使ってでも、彼女に自分の役目を果たさせるのだ。

 志堂市に住む全ての命が、あの小さな肩にかかっているのだから。


(……身勝手な話だ)


 真之は、結衣の背中を見守りながら、こみ上げる嫌悪感をどうにか呑み込んだ。

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