第27話 帰りの車内の光と陰
その後は、特に不審人物が現れたり、特別な事件が起こったりするわけでもなく。順調に放課後を迎えた。
「さて、俺達も行くか」
護衛官の男の号令と共に、真之達は小部屋を離れる。職員用玄関から校舎の外へ出て、隣の駐車場に停めておいた車(今朝、礼賛神徒のトラックに破壊されたので、代わりに用意した白塗りのワンボックスカーである)の前で並び立った。
空は既に夕焼けの鮮やかなグラデーションが広がっており、穏やかな風が時折辺りを流れる。
大勢の生徒達が世間話を交わしながら、昇降口から出てきた。部活のある者が仲間達と共に、グラウンド脇にある部室棟へと歩いて行く。
そうした集団の中に、結衣がいた。彼女は、友人らしき女子生徒達数名とお喋りしながら、車のもとへと向かってくる。真之と目が合うと、無邪気な笑顔と共に手を振った。
対する真之は、両手を後ろに置いて直立不動のまま会釈する。
「お待ちしていました、姫」
運転手を務める先輩護衛官が、わざとらしいまでに恭しく頭を下げる。
「もうっ、その姫っていう呼び方は恥ずかしいから、やめてよぉ」
結衣は困ったように眉間にシワを軽く寄せ、両拳を握る。彼女の傍らにいた友人達は、そんなやり取りが面白かったのか、視線を交差させて笑みをこぼしていた。その楽しげな表情が、真之を見た途端に恐怖で固まってしまう。
「大丈夫、ちょっと怖い見た目だけど、優しい人だよ」
それを見た結衣が、落ち着いた声音で友人達を安心させようとする。それでも、彼女の背中に隠れた友人達は、亀の子のように怯えた姿勢をなかなか崩さない。無理もない話ではあるが。
自身の無害を行動で示すしかない真之は、先んじて後部座席のドアを開け、結衣を中に乗せる。芹那は助手席に、先輩護衛官は運転席に乗り込んだ。それらを確認してから、最後に真之が巨体を折り曲げながら後部座席に入っていく。
本来なら新人の彼が運転するべきなのだろうが、まだここら一帯の地理に疎い。それに、肩に傷を負ったばかりの人間に、大事な運転は任せられないという判断だ。今日のところは、白鱗神社までのルートを覚えることに専念することにした。
車のエンジンがかかっても、下校時刻で駐車場付近を生徒達が歩いているため、慎重な運転で出発する。車内にラジオのCMが流れる中、結衣が鈴の音のような声を弾ませて真之に話を振ってきた。
「ねえねえっ、真之さんってどうして神柱護衛官になったの?」
「そうですね……」
彼女の傍らの席に腰掛ける真之は、少し迷ってから答える。
「自分は、一〇年前の霊災で神々や妖怪に命を救われました。それだけでなく、自分の人生を大きく変えてもらいました。だから、恩返しをしたいと考えています」
そう、恩返しだ。
彼の荒んでいた心と身体は、紺や神々に救われた。だからこそ、今度は彼が神々の助けになってあげたい。そして、育ててくれた義母に、一人前の男として認めてもらえるような自分になりたかった。
「それって紺さんのこと?」
「ええ、それもありますが。自分がそう思えるようになったのは、一〇年前に結衣さんと大和さんにお会いしていたからでもあります」
「え、私達?」
「はい。幼いお二人の姿を見て、自分も頑張らなければ、と思えるようになりました」
真之がそう言ったところで、当時の記憶が薄い結衣にはピンとこないようだった。当然ではある。小首を可愛らしく傾げながら、何度か瞬きをした。
「じゃあ次の質問ね。真之さんの趣味って何なの?」
「趣味ですか」
「うん、そう。すごく筋肉ムキムキだし、やっぱりスポーツとか身体を鍛えることかな?」
結衣が真之の硬い二の腕を遠慮なく触ってくる。筋骨隆々なこの身体は相手を威圧するだけなので、もう少し絞りたいと真之は常々考えていた。
「一番の趣味といえば、クロスワードパズルでしょうか」
「クロスワードパズル?」
オウム返しに言う結衣は、きょとんとした表情を浮かべた後、興味深そうに微笑む。
「何だか意外。そういうインドアなこととは無縁、っていう印象があったから」
「真之君は、こう見えて文化系の趣味だものね」
助手席の芹那が、からかいを含んだ口調で会話に加わってくる。
「テレビゲームも、けっこうやり込んでるんだったわよね?」
「へーっ、ゲームとかするんだ、真之さん。何のジャンルが得意なの?」
芹那の情報提供を受け、結衣が瞳を輝かせる。一〇年前に一度会っていたことがあるからなのか、それとも紺の息子ゆえか。最初こそ怖がっていたものの、真之に興味津々のようだ。
ぐいぐいと心の距離を詰めてくる結衣に対し、真之は困り果てた。彼は、こういった何気ない世間話をするのが苦手なのだ。他人の心にどこまで踏み込んで話していけば良いのか、全く分からない。特に、相手は中学生の少女である。
ちなみに、彼がテレビゲームをするようになったのは、高校生のときだ。バイトで貯めた金で携帯ゲーム機を購入し、試しにいくつかソフトをプレイしたら、彼自身呆れるほどにドハマリした。
「それは、その」
真之が会話のキャッチボールに悩んでいる間に、車は中心街を離れ、山沿いに住宅地の並ぶ地域を走る。
車の左手に、大きな施設が見えた。金網で厳重に囲まれたそこは、上に送電線のような線が蜘蛛の巣状となって無数に張り巡らされている。それらの中心地らしきところには、巨大な柱が地面にそびえ立っていた。その周辺では、工事のヘルメットを被った作業員達が、大型トラックから何やら鋼の部品を下ろしていく。
ちょうどこの施設がある辺りに、霊穴のうちの一つが存在していた。
「また『楔』の改修工事をするのかな」
結衣が、窓の外の景色を眺めながら、どこか不安そうな口調で言った。
そこへ、タイミングを見計らったかのように、それまでCMを流していた車内ラジオがトーク番組を始める。
『志堂市民の方々は、霊災がいつまた起きるか分からない、という不安に今も怯えています。それを解消するためにも、神造りをもっと推進すべきです。既に、霊脈の楔は実現化しました。ならば、次は霊脈の鍵を制御する術を、人間が手に入れることできるよう、研究を進めなければなりません』
『ええ、そのために龍神の子である半神や、他の神々はもっと協力すべきだと思いますね。彼らは、あまりに勝手気まますぎる。市民の命を軽く見ているんじゃないですか。大昔のように、人間が頭を垂れて自分達を崇めなければ、気が済まないんでしょう。しかしですね、そんな古臭い時代は終わって、現代では神と人間の関係も変わったんです。神の遺伝子を使って研究が前進できるのなら――』
そこで、運転手の護衛官がラジオのチャンネルを切り替えた。音楽番組がチョイスした流行りのバラード曲が、車内を包み込む。
「……私達、自分勝手なのかなぁ」
それまでに比べ、結衣の声のトーンがいくらか沈んだ。愛らしい大きな目が、憂いを帯びて細められる。
一〇年前の霊災の際、封石がことごとく破壊された。その代替品として研究、開発されたのが先程の施設にある『霊脈の楔』だ。巨大な杭の形状を持つそれは、市内に存在する霊穴の各ポイントに打ち込まれる。封石に比べ、安定性や安全面で優れており、市内に存在する霊穴のポイント全てに配置されていた。以前までは龍神の専売特許であった霊脈の制御を、部分的にではあるが人間の力で負担することができる。
その楔の製造を『神造り』と呼ぶ。
霊災をきっかけに、人々は神が実在することを思い知らされた。神の領域に足を踏み入れ、科学によって解き明かす。人類の命を守るため、という目的で。
「明日ね、社会科見学で『神造り』の工場に行くんだ」
結衣が話す明日の予定は、真之達護衛官も既に把握している。学校行事という普段とは異なる活動は、警護の配置にも影響があるからだ。
「私達以外の神様が今、人間にどんな扱いを受けてるのか。正直言って、見るのは怖いけど、現実を見なきゃいけないよね。将来、私達も同じ目に会うかもしれないから」
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