第17話 胸に秘めた真之の目標
それから一夜明け、翌日。
マスコミの報道によって、真之が誘拐された事件は全国に拡散された。紺が裏で手を回したらしく、事前の許可なく直接取材することは禁じられている。しかし、過去のプライバシーの流出までは防ぐことができなかったようだ。暗い生い立ちが国民の前で明らかとなり、虐待の事実も大きく報じられている。
結果として、彼は民衆からの注目の的となって暮らすことになった。
「……誘拐されたって、マジ?」
「……テレビ見てないの? 本当らしいよ」
朝、登校して校舎の廊下を歩いていると、すれ違いざまに児童達の噂話が漏れ聞こえてくる。先日、背中の傷痕のせいで名前が知れ渡っていたこともあり、多くの児童が真之に興味津々だった。噂には尾ひれがつき、真之がヤクザの頭の息子だった、というウソまみれの話まで出てくる始末だ。
自分の教室に入っても、
「……あ、来たよ」
「……怖いよね。あんなのに関わったら、私達まで巻き込まれそう」
それらの声を聞き流しながら、真之は窓側の一番後ろにある自分の席に座った。
そこへ、おどおどとした挙動で近寄ってくる児童がいた。その顔には彼も見覚えがある。先日の体育の授業で、礼を言ってくれた女子児童だ。
「お、おはよ」
恐る恐る朝の挨拶をしてくる女子児童。
「おはよう」
人見知りとしては他人のことを言えない真之も、短く挨拶を返す。強面の顔は本人の臆病な内面を反映してくれず、不機嫌そうな仏頂面のままだ。
「えっと、その、無事で良かったね」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。やや遅れて、心配してくれたのだと気づく。
「ありがとう」
笑顔を返そうにも頬が引きつり、代わりに大きな手を差し出す。女子児童はそれを見て、少し躊躇った後に手を握ってくれた。
(これで、いいのかな)
真之は自分自身に問いかける。
これだけの注目を集めてしまうと、誹謗中傷は当分なくなりそうにない。その火消しに躍起になっても、かえって誤解が悪化するだけだ――そう紺に言われた。
次に脳裏に蘇るのは、先日会った幼い半神の双子の顔だった。しかし、昨日までのように、自分と比較して卑下することはない。
(あんな小さな子達が毎日闘ってる。僕なんかよりも、ずっとずっと大変なんだ。それなのに年上の僕がいつまでも、落ち込んでたらダメだよね)
あの日の幼子が見せた眩しい笑顔を思い出し、真之は心を奮い立たせた。なにしろ、今は目標を見つけたのだ。そのためにも、これまでの弱音ばかり吐く情けない自分から変わりたかった。
まずは、本当の己を見ようとしてくれる者と、きちんと向き合うことから始めよう。
そんな彼の目標とは――
授業を終えた夕方。マンションへと帰宅した真之は、リビングのドアを開けて覗き込む。
「た、ただいま帰りました」
「うむ、おかえり」
リビングの隣にある台所では、紺がエプロンを身につけて夕食の準備をしていた。軽快な包丁さばきで、キャベツを千切りにしていく。その安心感のある後ろ姿は、経験の熟した主婦そのものだ。
「おやつはテーブルの上に置いてあるが、先にうがいと手洗いをしてくるがよい」
「はい」
真之は素直に返事をし、廊下から洗面所へと移動した。蛇口をひねると、水道水が勢い良く流れ出てくる。
(親子、か)
ハンドソープを手のひらで泡立たせながら、独りごちる。
紺のことを、親として見ることはまだ難しい。だが彼女は、少なくとも今まで真之を引き取ってきた大人達とは違う。傍にいるだけで心が温かくなる人だった。母というのは、皆そういう存在なのだろうか。
その優しさに包まれたからこそ、強く思う。
(あの人に、認めてもらいたい)
胸の内で芽生えた、一つの目標。他人から必要とされること。それが人の動力源となることを知ったのだ。
今はまだ子ども扱いされていても、いつか紺を支えてあげられる人間になりたい。
少年はそう志し、冷え切った水で手の泡を洗い落としていく。
目の前に掛けられた鏡には、以前よりも少しだけ明るい顔が映っていた。
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