第24話 奇襲(前編)
朝から疲れた様子の結衣だが、悠長に休憩している時間の余裕はあまりない。多くの人々の安全を守る半神であると同時に、中学生でもあるからだ。
彼女が二階の自室へ行っている間、真之はリビングで待機していた。護衛といっても、さすがに年頃の少女の着替えを覗くわけにはいかない。彼の傍では、大和が居心地悪そうに床で寝そべっており、ちらちらと視線を投げかけてくる。二人きりのこの状況で、真之にどう接すればよいのか判断に苦しんでいるようだ。社交的な性格とは無縁の真之も、鉄面皮の裏で、この気まずい空気を打破しようと悩む。
(軽い世間話から始めるべきだろうか? しかし、何を話せば良いものか)
互いに距離感を掴むのに苦労していると、ゆっくりと階段を下りる音がリビングまで聞こえてきた。
「お待たせ~っ!」
リビングのドアが開き、手提げの鞄を持った結衣が中に入ってくる。
白と青を基調とした学校用制服は、爽やかなイメージを彩っている。膝まで伸びたスカートをふわりと舞わせ、細い膝が見え隠れした。中学生らしい健康的な可愛らしさを引き立たせる、良いデザインだと真之は思った。
「では、行きましょうか」
ここは「お似合いです」とでも言うべきだったのだろうが、真之にはそういったお世辞のセンスもなければ、言う勇気もない。結衣が開けていたドアから出ていこうとすると、少し不満げに口を尖らせる彼女の顔が見えた。
結衣よりも先に玄関で靴を履き、玄関の扉を開ける。外で待機していた真之の同僚達、総勢五人が玄関前に集まってきた。真之達護衛官は双子の傍を囲む盾となりながら、家のすぐ隣にある車庫へ向かう。
車庫には、黒塗りのセダン型の車が収められていた。一見、何の変哲もない普通の車だが、窓ガラスは全て防弾仕様だ。真之は後部座席のドアを静かに開け、結衣を誘う。
「じゃ、行ってくるね、大和」
「キュイ~」
笑顔で手を振る結衣に対し、宙に浮かぶ大和は寂しそうに鳴く。
結衣の安全確保のため、登下校は護衛官が車で送迎することになっている。その一方で、双子の弟である大和は学校に通うことができない。見た目が完全に竜であることに加え、人語を話すことができないからだ。そのため彼は平日の昼間、自宅で待機している。護衛官は二手に分かれ、双子それぞれを警護することになっていた。
結衣が車の後部座席に近づこうとした、そのとき。
(――っ!?)
真之は、家を周辺の森の奥から漂う、歪んだ殺気と気配を感じ取った。
反射的に結衣の身体を無理やり引き寄せ、大柄な身体で庇う。
それとほぼ同時のタイミングで、木々の間から一本の矢が鋭い軌道を描いて飛んできた。矢は護衛官達の間を抜け、真之の右肩に突き刺さる。
「あそこだ!」
他の護衛官達も、呆けてはいなかった。一人が射線から犯人を特定し、林の中を指差す。
鬱蒼とした緑に隠れながらも、ボウガンを構えた男が立っていたのが見えた。
さらに、襲撃者の仲間と思われる男達が、神社の入り口の方からぞろぞろと現れる。確認できた数は、合計一三人。さらに、林の奥にまだ伏兵がいる可能性もあった。この集団がもう少し近くで隠れていたならば、真之達も気配に気づいたはずだが、それも無駄な後悔だ。
襲撃者達の手にはナイフや金属バットなどが握られており、敵意をむき出しにしている。歳はバラバラで、おそらく一〇代から五〇代までと様々だ。共通しているのは、自分達の優位を確信した嗜虐的な笑みを顔に張り付けている点だった。顔を隠そうともしないのは、真之達全員を亡き者にするつもりなのだろうか。
真之は、肩に刺さった矢を躊躇うことなく抜く。血の滲んだスーツを見た結衣が、悲痛そうに両眼を見開きながら、両手で口を押さえた。
「先輩方、結衣さんと大和さんをお願いします。自分は前へ出ます」
「ああ、任せろ!」
真之は瞬時の判断で先輩護衛官にこの場を任せると、相手もすぐに了承した。
護衛官のうちの一人が結衣の背中を押し、大和もセットで車の後部座席へと放り込む。別の護衛官二人も運転席と助手席にそれぞれ乗り込んだ。
真之はその動きを背中越しに感じながら、車庫を素早く出る。
とにかく今は、車を出して双子をここから逃がすべきだ。
真之の考えと、他の護衛官達の判断は一致したようだった。車に乗らない真之と二人の護衛官は、車に近づけさせまいと、襲撃者達と向かい合う。
しかし、結衣達を乗せた車のエンジンがかかったとき。細い砂利道の奥から、一台の軽トラックが突っ込んでくるのが見えた。
「ちっ!」
猛スピードで駆ける自動車相手ではどうすることもできず、真之達護衛官は左右に跳んで身をかわす。軽トラックは一直線に車庫に突撃し、結衣達の乗る車に向かって勢い良く正面衝突した。
「結衣さん、大和さん!」
真之が後ろを振り向こうとするが、その隙を襲撃者達は見逃さなかった。
そのうちの一人が、真之に襲い掛かってくる。バタフライナイフの切っ先が、鋭い煌めきを発した。胸元へと真っ直ぐに突き出される凶器。何の駆け引きも、フェイントもないバカ正直な攻撃だ。
それをご丁寧に食らう必要はない。
真之は瞬時に上半身を捻りながら、ナイフをかわす。同時に、大きな左拳を握りしめ、カウンターを相手の顔面に御見舞した。
「へぶっ!」
相手は派手に吹っ飛び、砂利道に後頭部から倒れた。
鼻の骨を粉砕した感触が、真之の拳に残る。手応えは充分にあったが、
「……くっ」
右腕が上手く上がらない。先程の矢による傷が、思った以上に深かったようだ。おかげで、攻撃の型が少々バランスを崩していた。
他の襲撃者達は、仲間が一撃で昏倒させられたのを見て、一瞬どよめいた。それからすぐに我に返り、憤激で身体を震わせる。
それをきっかけにして、一斉に攻勢をしかけてきた。
真之と二人の護衛官は、結衣達の乗る車のもとへ行かせないよう、車庫を守るようにして陣形を敷いた。チラリと見た限りでは、車はトラックとぶつかったせいで、ボンネットが潰れてしまっている。中にいる双子や護衛官二名は無事なのだろうか。
襲撃者達は四人ずつに分かれ、真之達を囲んだ。一人も逃がすものか、という捕食者の思考が見て取れる。
無論、真之達に逃げるという選択肢は存在しない。
護衛官二人は、懐から拳銃を取り出した。示威効果をもたらす銃口を、襲撃者達に向けて順番に構える。その効果は絶大で、襲撃者達が上半身を恐れるように引かせた。
その隙を見逃さず、真之が動く。重厚な巨躯からは想像もできないほどの素早さで、目の前の襲撃者達の間合いに入った。下から潜り込む低い体勢。そこから相手のみぞおちに拳を叩き込む。
防御する暇もなく直撃を食らった襲撃者は、苦悶と共に膝をついた。
「野郎っ!」
他の襲撃者達が、声を荒げながら武器を構える。そのうち、真之の左右に展開していた男達が、金属バットを力いっぱいに横振りした。
真之は二つの同時攻撃の隙間を瞬時に見極め、金属バットを華麗に避ける。お返しにとばかりに、強烈な横蹴り。金属バットさながらの硬度を秘めた足は、威力が絶大だ。
さらに、その勢いのまま一本足で回転し、もう一人の相手に回し蹴りを打ち込んでいく。が、右肩の傷が毒のように痺れとなって浸蝕し、やや重心がぐらついてしまった。
とはいえ、獅子奮迅の猛撃であることは確かだ。
それを阻止せんとばかりに、襲撃者のボウガンが次なる矢を射出。真之は危なげなく避け、次の攻撃目標をロックオンする。
その直後、神社内に鳴り響く一発の銃声。遅れて、若い襲撃者が太ももを抑えて倒れ伏す。どうやら、護衛官に攻撃をしかけて、返り討ちにあったようだ。
神柱護衛官は、護衛対象の神に生命の危険が襲いかかった場合、躊躇いなく犯人に発泡する権限を持つ。どんな厳しい状況であっても、五発中、最低でも四発を相手に命中させることができるよう、普段から訓練を積んでいるのだ。混戦とはいえ、この至近距離で当てるのは難しいことではない。
「う、うわぁっ!」
仲間が銃弾に倒れたのを見て、襲撃者達は恐慌状態に陥ったようだ。武器を捨てて、トラックも乗り捨てて、一目散に逃げていく。倒された仲間は見捨てられて置いてけぼりだ。
それも油断させるための罠かもしれない。真之達は襲撃者の動きを警戒しながら、ボンネットが破壊された車のもとに駆け寄った。
車の惨状を見て一瞬、真之の脳裏を古い記憶が過る。昔、怨霊に襲われ、車ごと身体を潰された親戚夫婦。あの死体のようになっていないか、という不安。
「ご無事ですか!?」
真之が、後部座席を慎重に開ける。すると、中から少女のうめき声が返ってきた。
「……なんとか生きてるよぉ」
大和を抱きかかえた結衣が、這って車から出てくる。
「お怪我はありませんか?」
「うん、平気。運転席の椅子がクッションになってくれたおかげだと思う」
真之の問いかけに対し、結衣は真っ赤になった鼻を押さえる。おそらく、衝撃で顔を運転席にぶつけたのだろう。運転席と助手席に乗っていた護衛官達についても、エアバッグが作動したことで助かったようだ。
車はボンネット部分が潰されているが、車内までは破壊の手が伸びていなかった。衝突してきた車が軽トラックだったことが幸いしたか。あれがもしも、アクセルをもっと踏み込んだ大型トラックだったなら、結衣達の身体は車ごと潰されてミンチになっていただろう。
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