第35話 血溜まりの子ども(後編)

「シンチュー護衛官ハ、全員殺セッテ言ワレタ。ダカラ」


 言い終わる間もなく、子どもが砂利道を蹴った。弾丸のごとき一直線。その圧倒的な瞬発力は、もしも瞬きをしていたら、瞬間移動したと錯覚したであろう。えぐり込むような手刀が、真之の腹に突き刺そうとしてくる。


(まともに受けるべきではない!)


 これまで積み重ねた経験による勘が、一斉に警告音を奏でた。

 後手に回った真之は、腰を捻って直撃を避ける。子どもの異常発達した爪が、刃となって彼のスーツを切り裂いた。続けて、連続の突き。どうにか手で捌こうとするが、悪手だった。彼の手刀はいともたやすく跳ね返され、既の所で防御をした左腕を切り刻まれる。


「ちぃっ!」


 相手の側頭部に叩き込む、真之の右フック。クリーンヒットしたはずの打撃は、分厚い鉄の塊でも殴ったかのように、彼の拳を痺れさせた。


 一方の相手は、衝撃で吹っ飛ぶどころか、羽虫の体当たりを受けたとばかりにピンピンしている。


 さらに攻守は目まぐるしく交替し、子どもが脇腹を貫きにかかってくる。真之は、真横にステップ。薄皮一枚で避ける。


 それで攻撃の手が止むことはない。鋭い爪による連続の突きと斬撃の猛攻が、彼をジリジリと後退させていく。このままでは防戦一方だ。

 気づいたときには、砂利道の脇に茂る森の中に追い込まれてしまった。


「ウー、逃ゲルナ」


 不機嫌そうに言い、子どもは大きなモーションで引っ掻いてくる。

 その隙を見逃さず、真之は回避に成功。子どもの爪が彼の背後にあった木に直撃し、そのままなぎ倒してしまう。樹齢一〇〇年は超えていそうな木の太い幹が、飴細工のようにいともたやすく折れた。


(化け物か!)


 直撃を一度でも受けていたら、真之の身体はあの木と同じように破壊されていただろう。かといって、下手に防御をしたところで効果は全くなさそうだった。


 間違いない、この子どもは人外の存在だ。

 考えられるとすれば、神か。あるいは半神かもしれない。


 真之は砂利道に素早く戻り、間合いを取った。弾む呼吸を整えながら、敵を見据える。


 護衛対象の生死が確認できない以上、逃げの手に走るのは論外。仲間の救援が来てくれる可能性も低い。さらに間が悪いことに、拳銃も手元にない。


(どうする……?)


 ピンチのときほど、冷静になれ。神柱護衛官の訓練を受けるとき、教官に口酸っぱく言われた言葉だ。護衛官が焦れば、敵の思惑に乗って護衛対象を危険に放り込んでしまう。


 真之は腰を低くして構え、集中力を鋭く研ぎすませる。


 人外の子どもが振り返り、森から砂利道へとゆっくりと出てきた。発達した爪で真之を指差し、唸り声をあげる。


「オ前、チョロチョロ動キスギ」


 再び上体を折り曲げたのは、攻撃準備か。


 次の瞬間、子どもが真っ直ぐに襲い掛かってきた。先程と同じように、真之の懐に一瞬で潜り込んでくる。


 それに対し、真之は動揺しなかった。

 相手が超速度でバカ正直に正面へ向かってくるのなら、それを利用するまでのこと。


 タイミングを上手く合わせ、槍のごとき中段突きをカウンターで繰り出した。本来ならば鳩尾を狙う技だが、相手との体格差があるため、フードに隠れた顔に真正面から激突する。

 手応えはない。それでも、相手の動きは止められた。


 その一瞬のチャンスを有効活用し、渾身の右拳を相手の顎めがけて振り上げた。骨ごと粉砕せんとする猛烈な一撃。それを躊躇する余裕など、今の真之にはない。重厚な拳が、人外の子どもの顔を直撃する。


(これもノーダメージか!?)


 激しい拳圧によって、子どもが被るフードが頭から外れた。

 その内に隠れていたのは、小学三、四年生ほどの少女の顔。

 だが、それは左半分の顔に限れば、である。逆側の顔に備え付けられた右目は、あまりに巨大だった。例えるなら、巨大な爬虫類の目玉を、無理やり顔に埋め込んだかのように異様な形状だ。可愛らしい少女の左顔半分と対比すると、目玉が右顔半分の半分近くを占領していた。右目の瞳だけが真っ赤に充血している。

 髪は無造作に切られており、その色は漂白剤に浸したかのごとき真っ白さ。


「ウ……?」


 子どもは衝撃で少し身体を揺らしたが、特にダメージがなさそうだった。遅れて、フードが外れていることに気づき、慌てて被り直す。


「見タナ……ッ!」


 激情を隠そうともせず、異常な右目から鋭い殺気を放ってくる。それだけで、真之の乾燥した頬に切り傷が走りそうな凄みがあった。


 そこへ、戦いに水を差すかのように、神社の入り口の方から大声が聞こえてくる。


「おい、こっちだ!」


 砂利道を走る音は複数。まさか、一般市民が入ってきたのか。そう考えた真之だが、すぐにその予想が間違いであったと分かる。


「あそこだっ。追い込むぞ!」

「気をつけろ、相手は五人も殺害しているんだ」


 やってきたのは、一〇人以上の機動隊員だった。透明なライオットシールドを構え、片手には拳銃が握られている。地元の警察署が派遣したという応援の者達だろう。


 数の不利などまるで見えていない様子の子どもは、大きな牙を見せながら唸る。


 このままでは、さらなる犠牲者が出てしまうかもしれない。真之がそう危惧したところで、場違いなアラーム音が神社内に鳴り響いた。

 その音が聞こえてくるのは、異形の子どもからだ。


「ウーッ、逃ゲル、逃ゲル」


 子どもは不満そうに唇を噛み締めたが、戦闘態勢を解いた。それから、猿のような跳躍力でその場を離れ、森の中へと消えていく。


「あっちへ逃げたぞ!」

「近隣住民に避難指示をさせるよう、本部に連絡しろ!」


 機動隊員達が子どもを追って、森の中へと入っていく。

 彼らの背中を視線で追いながら、真之は宗像家の玄関へと向かう。


「……命拾いした」


 応援が来てくれるのがあと数分遅れていたら、彼自身も死者の仲間入りをしていたかもしれない。この砂利道に死体となって散らばった同僚達のように。


 いや、それよりも今の問題は、結衣と大和の身だ。玄関の扉を慌てて開けた真之は、靴を履いたままリビングへと入る。

 そこでは、双子が部屋の角で縮こまり、互いを守るようにして抱き合っていた。


「ご無事でしたか。良かった」


 心の底からその言葉が出て、真之は安心のあまり脱力しそうになる。


 よほど怖かったのだろう、結衣の真っ青な顔面に刻まれているのは、ひどい重圧に耐えるような息苦しい表情だ。細い顎が不安で震え、歯と歯が金物のようにガチガチと鳴っていた。大和も宝石を思わせる眼に大粒の涙を溜め、姉の膝の上に乗っている。


「真之さん……外はどうなったの?」

「おそらく、もう大丈夫でしょう。敵は逃げていきました」

「他の護衛官の人達は?」


 結衣の声は祈るように震えている。真之は無言で眼を閉じ、首を振った。


「そんな……」


 顔を両手で覆い、嗚咽を漏らす結衣。大和は、姉の辛い思いを少しでも和らげようというのか、彼女の首元に優しく巻きつく。


 真之は慰めの言葉が見つからず、立ち尽くすしかなかった。

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