第08話 刻み込まれた傷痕
大盛り上がりとなった体育を終え、真之達は教室へと戻ってくる。真之は着替えを持って、そそくさと男子トイレへと向かおうとした。だが。
「着替えを持って、どこに行くの、建宮君」
クラスメイトの男子児童の一人に呼び止められてしまった。真之は咄嗟の言い訳を上手く思いつかず、
「ちょっと、トイレに」
「だったら、着替えを持っていかなくていいじゃん」
もっともな指摘だ。そのやり取りを聞いていた他の男子児童達も、会話に加わってくる。
「あー、もしかして裸を見られるのが恥ずかしいとか?」
「男同士で恥ずかしがる必要なんてないじゃん」
「ほらほら、さっさと着替えないと女子が入ってくるぜ」
クラスメイト達は、純真な目で真之と接してくれる。ホームルームのときの余所余所しさが嘘のように好意的だ。だからこそ、真之は自分の秘密を知られるのが怖かった。
(まずい、まずいよ。早く、この場から逃げなきゃ)
そうこうしている間に、クラスメイトの一人が真之の背後に回り込む。
「恥ずかしがるやつには、こうだ!」
「あっ、ちょ――」
真之が止めるよりも先に、クラスメイトの手が、彼の汗ばんだ体操服をめくり上げた。
そうして漏らしたのは、どれも強張った声。皆が目を剥き、立ち尽くす。
「え」
「あ」
「嘘……」
真之の背中は、痛々しい有様だった。三つの大きな火傷の痕がケロイド状となって、赤く盛り上がっている。さらに無数の切り傷の痕が、肌の深くまで刻みつけられていた。普通に生きていたら、けっして負うはずのない無残な傷痕である。
それが意味するもの。小学生の高学年なら想像できることだった。
「――っ!」
真之は顔面を蒼白に染め上げながら、めくれた体操服を慌てて元に戻した。それも手遅れだ。その場にいた男子児童達の顔をまともに見ることができず、着替えを持って教室を出ていく。
後を追ってくるクラスメイトは、一人もいなかった。
冬の夕空は赤く、日が落ちるのも早い。
授業を終えた児童達が、笑顔で学校の校門を出て行く。それぞれの友人とふざけ合ったり、笑顔を見せ合ったりしながら住宅街の歩道を進んでいた。
それらの和気あいあいとした集団から少し外れたところで、真之は一人孤独を噛み締めながら歩くが、その足取りは重い。転校初日から大きく躓いたことで、暗澹とした表情を浮かべている。せっかくクラスメイト達と仲良くなりかけたところで、大失敗を犯してしまった。
着替えでの一件は、その場にいなかった他のクラスメイトにも、すぐに知れ渡った。皆、真之とどう接すればよいのか分からないようで、腫れ物を扱うように距離を取られている。給食や休み時間でも彼に話しかけようとする者は現れず、今こうして一緒に帰ってくれる者もいない。
(これから、どうすればいいんだろう)
今日だけで何度目になるか分からないため息を吐く。そのたびに、活力が白い吐息に混じって消えていく気がした。
(クラスの皆があんな反応をするんだから、もし紺さんにこの身体を見られたら……)
「あ、真之君?」
背後から誰かに名前を呼ばれ、真之は思考の水底から現実へと戻った。振り返った先には、赤いランドセルを背負った少女が、愛嬌の溢れる笑顔を浮かべて手を振っている。確か、名前は芹那だったか。
「やっぱり、真之君ね。どうしたの、浮かない顔して」
「いえ、何でもない、です」
「そう?」
真之が下手な嘘で取り繕うと、芹那はそれ以上問い詰めては来なかった。こうして、彼の隣に並び歩みを合わせると、頭一つ分近くもある身長差がより目立つ。
「真之君、本当に五年生だったのね。この中途半端な時期に転校生が来たから、私達のクラスにも噂が入ってきてたのよ。中学生みたいな男子がいる、って」
「芹那さんは六年生なんですか」
「ええ。六年二組。もうすぐ卒業だけど、正直言ってクラスの皆のように寂しいとは思えないのよ。この学校にいた時間は多くないから」
芹那は道端に転がっていた小石を軽く蹴りながら、真之の顔を見上げる。
「真之君も、年末の巨人騒ぎが原因で、こっちに来たんでしょう? 私も同じ。先月から、親戚の人の家に居候させてもらっているの」
卒業間際に転校してきたのだから、心の整理をするのに苦労しただろう。
「だから、学校のことについて何でも教えてあげる、とは言えないけれど。私にできることなら、何でも協力させてね」
「はい、お願いします」
真之は丁寧に返事をしながらも、内心ではあまり期待していなかった。
彼の転入が学校中に知られているのなら、背中の傷痕についてもすぐに耳に入るだろう。そうなれば、芹那の親しげな笑顔も失われ、二度と話しかけてくれなくなるかもしれない。
身体の痛みも恐ろしいが、心の傷はそれと同じくらいに怖かった。
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