第51話 その一撃で仮面は剥がれ(後編)

「投降して下さい、先輩」

「お断りね。女性を口説くにしても、もう少し言い方を選んだ方がいいわ――よっ!」


 世間話のように話しながら、芹那は薙刀にも似た軌道の蹴りを繰り出した。

細身に似合わず激しい一撃を、真之は両腕で防御する。それでも、威力を完全には霧散させることができない。ガードの奥へと貫通するダメージ。胸と腹に負った傷口が開くのを、激痛と共に自覚し、思わず歯を食いしばる。

 苦痛で顔を歪ませる真之の顔を見て、芹那はサディスティックな笑みを浮かべた。


「あら、意外と効いているみたいね。それもそうか。あれだけの鉛玉をもらって、生きている方が不思議だもの。そうして立っているだけでも、かなり無理をしているんじゃないかしら?」


 真之はその問いには答えず、代わりに問いを投げ返す。


「なぜ、礼賛神徒などに入ったのですか?」

「なぜ? この状況で今更、それを聞くの?」


 確かに、今更だ。芹那は既に真之達を裏切り、敵となっている。動機など知ったところで、意味はない。

 芹那は自分の間合いを維持し、拳を鋭く連打。

 対する真之は手刀で捌く。カウンターを狙いたいところだが、相手は安々と隙を見せてくれない。


「昔々、あるところに一人の少女が住んでいました」


 芹那は攻撃の手を緩めることなく、歌うような口調で話し始めた。


「少女の両親は彼女が幼い頃に離婚しており、母親に引き取られて育てられました。離婚の原因は、母親の浮気です。父親は、少女を母親に押し付けて家を出ていきました。その後も、母親の男漁りはやむことを知らず、毎日のように男を家に連れ込んで逢引きをしていました。少女が学校から帰ってきても、隠そうともしません」


 芹那が、真之の弱点である胴体を執拗に狙ってくる。一発でも直撃すれば、致命傷は避けられない。真之は、Yシャツの内から新しい血がじんわりと滲み出てくるのを感じていた。防御に徹しているだけで、呼吸がどんどん乱れ、足に踏ん張りがきかなくなる。


「母親の悪評は街中にも知れ渡っており、少女は学校でひどいイジメを受けました。毎日毎日、学校に行くのが嫌で、けれど家にいるのも嫌で。少女の居場所はどこにもありませんでした。そうして、中学三年生を迎えたある日、霊災が発生しました。少女をいじめていたクラスメイトも、それを見ぬふりしていたクラスメイトや教師も、少女を要らない子扱いする母親も、皆が死にました。霊災のおかげで、少女の人生が見事にリセットされたのです」


 芹那の猛攻に対し、真之は自身の焦りを必死に自制した。ここで下手に反撃をすれば、それこそカウンターを頂戴するだけだ。今は耐えるしかない、と相手の大振りを誘う。


(冷静になれ。このデカい身体は何のためにある? 何のために鍛えてきた?)


 自分に問いかける真之の目には、諦めとは違った光がある。それは、自分で道を切り開こうとする心の強さの輝きだった。


「母親の亡骸を眺めながら、一つの真理を少女は思い知りました。神の前では、人間などちっぽけなチリのようなもの。人間の人生を一変させることなど、造作もありません。少女は神の偉大さに感涙し、その力に魅せられました」


 いくらガードをしても、ダメージが蓄積していく。このままではジリ貧だ。


「その後、親戚に引き取られた少女は、それまでの暗い性格の自分を変えるよう努力しました。温和で優しい、優等生の仮面。その嘘に気づかない周囲の人間達は、少女を信頼するようになりました。彼らと接するたびに少女は思うのです。彼らの人生が、神によって蹂躙される光景を見たい。惨めに地面を這いつくばり、神の理不尽さを嘆く姿を見たい――と」


 沼の底のように暗い瞳と共に、芹那が真之に甘く笑いかける。自身が持つ闇へと引きずり込もうとする、狂信的な人格破綻者そのものだった。

 それを見た真之は、痛みと共に知る。


(この人は、俺のもう一つの可能性だ)


 もしも、彼が紺に拾われなかったら、芹那と同じ外道に堕ちていたかもしれない。


「アァッ!」


 そのとき、ヒスイが獣じみた悲鳴をあげると共に、地面に倒れた。


「たとえ力の一部しかなくとも、子どもに遅れは取らん」


 小さな日本人形の紺は宙に浮かび、真っ黒な妖気の渦を地面に蠢かせていた。さすがは年季が違うというべきか、それとも潜った修羅場の数が違うというべきか。圧倒的な力の差を見せている。

 紺が妖気の鎖を作り出し、ヒスイを縛り上げた。ヒスイは必死にもがこうとしているようだが、地面に転がったまま身動き一つ取ることができない。


「ヒスイっ!」


 芹那が余裕を引っ込めて、少女の名を強く呼んだ。彼女にとっては、大和の身柄と同じくらいに切り札だったのだろう。それが二つとも奪われてしまった。憎々しげに声を荒げ、吐き捨てる。


「肝心なときに使えない。せっかく拾ってあげたのに、役立たずね!」

「芹那、ゴメンナサイ。捨テナイデ。捨テナイデ……」


 芹那の突き放した言葉に、四肢の自由を失ったヒスイが縋るように泣きじゃくる。意識の一部がそちらに向けられているのが見て取れた。


(血路はここだっ!)


 そのわずかな隙を真之は見逃さない。崩れ落ちそうな膝に活を入れ、鋭いステップ。一気に距離を詰めた。千載一遇のチャンスだ。

 それに対して反応が一瞬遅れた芹那が、引き剥がそうと拳を放ってくる。後手ではあるが、刀のような貫通力を纏った突き。真之の胸部を一直線に強打した。開きかけていた銃創が直接抉られる感覚。

 彼は、それを覚悟していた。


(このデカい身体は――)


「オオォォォォォッ!」


(今このためにあるんだ!)


 肉を切らせて骨を断つべく、低い体勢から必殺の中段突き。

 通常の芹那が相手ならば、上手く捌かれていたであろう。しかし、今は後手に回ったわずかな焦りが、彼女に避けることを許さない。強烈な一撃が彼女の胸を抉る。肋骨を数本粉砕する無慈悲な感触が、真之の拳に伝わってきた。


「がっ……」


 苦悶の呻き声を漏らし、芹那が膝を折る。力なく倒れ伏し、全身で痙攣を起こした。誰の目にも明らかなノックアウトだ。


 ――そうなの、よろしくね、真之君。


 ――うん、私達、似た者同士ってこと。


 真之の記憶の奥底から、芹那と出会ったころの思い出が光の滴のように浮かび上がってきた。彼女の本音について何も知らず、素直に優しい人だと信じていた、あの日。

 開いた腹の傷口を右手で押さえ、膝をついた。意識を失った芹那に、力の欠けた声で語りかける。


「たとえ仮面であっても、自分を変えることができた。それなのに、積み上げてきたものを自分で台無しにするのは、あまりにもったいないと思いませんか。……先輩」

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