第五章 暁天の城(十)

 沙州関さしゅうかん内城ないじょうの東南角。城壁の上、随所に焚かれた篝火の間に、をかまえた兵が並ぶ。


「放て!」


 指令役の声で、弩から一斉に矢が放たれる。一瞬の後、下からすさまじい絶叫が這い登ってきた。気の弱い者などは、その非鳴を聞いただけでその場にへたりこんでしまう。


「次!」


 第二矢が装填されている間に、下からも矢が射かけられる。運悪く胸を射抜かれた兵が、口から血の泡を噴いてどうと倒れた。


「装填急げ! 狙え……!」


 指揮官の怒号に、ずん、と重い地響きがかさなった。城門に破城槌はじょうついがぶつけられているのだ。


「へえ」


 城壁の一角で怪我人の手当てをしていた春明しゅんめいは、緊張感を欠いた声に顔をあげた。


「準備がいいねえ。あんなものまで持ってくるなんて」

「感心している場合ですか!」


 春明は子怜しりょうにかみついた。


「門を破られたらあとがないんですよ!」

「わかってるって」


 外城がいじょうは放棄。そう命じたのは子怜である。阮之の呼びよせた軍勢がせまるなか、子怜は全兵を外城から引きあげ、内城にたてこもった。外城の東城壁の一部が崩れていることから当然の判断だったが、それはつまり、ここを奪われれば逃げ場はないということだ。


「それにしても、よくもまあこれだけの軍を組織したものだねえ。あの勘ちがい公子さま、なかなかやるじゃないか」


 のんきに子怜は感想をのべる。戦場のただなかにあっても悠然としている、とは褒めすぎだろう。腕を組み、興味津々といった体で眼下の戦いをながめているさまは、酔漢の喧嘩を遠巻きにしている野次馬そのものだった。


「おおかた金で雇った無頼者の集団なんだろうけど、それなりに統制もとれているみたいだし。これは下手すればやられるかなあ」


 春明は力をこめて負傷兵の腕を布でしばった。いまの台詞、まわりにうずくまっている兵たちの耳にとどいていないといいのだがと願いつつ。


「なんとかしてくださいよ、子怜さま。わたしはまだ死にたくありません」

「さっき自分はどうなってもいいとか言ってなかった?」

「それとこれとは話が別です!」


 空の闇は徐々に薄くなり、東の空から淡い青が広がっていく。次第に明るさを増す空の下、凄惨な光景がより鮮明になる。


 負傷した仲間の救出に奔走する者。補給の矢を抱えて走りまわる者。剣を胸に抱いて泣きながらうずくまっている者、それを叱咤する者。そして、それらすべてを包む、むせかえるような血の匂い。


 これと同じ景色を、いままでずいぶん見てきたはずだ。だが、あれはやはり夢に過ぎなかったのだと、春明はあらためて思う。現実の戦場はより生々しく、騒々しく、そして、恐ろしい。


 ひときわ大きく地面が揺れ、春明はよろめいた。べりっと板が破れる嫌な音が響き、敵の喚声が空にこだまする。


「ご城主!」


 ひきつった顔の兵が駆けよってきた。


「このままでは城門がもちません」

「もたせろ」


 子怜は冷然とつきはなした。


「板でも荷車でも、とにかく内側にものを積み上げて押さえるんだ。上から援護するからその間に……」


 再び、地響き。あちこちで悲鳴があがり、そこにすすり泣きが混ざる。


「……助けて……」

「もうだめだ、おれはここで死ぬんだ……」

「殺される……やつらに殺される……」


 殺される。その言葉に、春明は冷たい手で胸の奥をわしづかみにされたような気がした。


 死ぬのだろうか、今度こそ。夢ではなく現実で。


(本当に……?)


 崩れるようにその場にひざをついた春明の肩を、誰かがぽんとたたいた。


「大丈夫」


 見あげた視線の先に、透きとおるように美しい笑顔があった。その笑みに、春明はもちろん、周囲の兵たちも呆けたように見とれる。


「もうすぐだから」


 子怜の顔に、さっと金色の光が差した。


 その日最初の太陽が、東の地平からあらわれた。まぶしげに空を見あげた子怜につられたように、まわりの者も顔をあげる。


「おい、あれ……」


 ひとりの兵が地上を指さした。


 白んだ東の空の下、荒野の地平が薄灰色にかすんでいる。砂嵐かと春明が思ったそのとき、砂煙のただ中から騎馬の一団があらわれた。


 砂塵を蹴立てて奔流のごとく押しよせる騎馬軍の姿に、城壁上は水を打ったように静まりかえった。次の瞬間、歓声が爆発する。


「援軍だ!」

「味方だぞ! あの旗……」


 風にはためく旌旗の色は、遠目にもくっきりと鮮やかな朱。みまちがえようもない、せい軍の戦旗だった。


 騎馬軍の先頭で馬をあやつっていた兵が、流れるような動作で矢をつがえた。放たれた矢は正確に弧を描き、敵陣の一兵に命中する。その見事な騎射の技に勢いを得たように、他の騎馬兵もいっせいに矢を放った。


「あれ……」

「まさか」


 城壁上の兵たちは、信じられないといった面持ちで互いの顔を見合わせた。


「……城輔じょうほ


 ざわめく兵たちの間で、子怜は満足げに目を細めて立ちあがった。


「やあ、お出ましか」


 朝日を背にするその騎馬兵の両眼は、味方にとっては頼もしく、敵にとってはこの上なく危険な、猛獣のごとき金色の光を放っていることだろう。


楼西ろうせいの王」


 地上で両軍が激突した。

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