第一章 漠野の城(六)
「……子怜さま、あれ」
西の地平に
「まさか盗賊じゃ……」
春明が助けを請うように見あげると、子怜は落ち着きはらった様子で「心配ない」と応じた。
「あれも
「追ってきたって、じゃあ、このひと……」
「そう。脱走兵、だろう?」
最後の問いは春明がつかまえている男に向けられたものだったが、当の本人は春明に襟首をつかまれたまま頭を抱えて震えているだけだった。
そうこうしているうちに、騎馬兵たちはすばらしい速度で子怜たちのもとへたどりついた。全部で五騎。そろいの軍装をまとい、甲冑こそ身につけていないが、全員腰に剣を
首領格らしい兵が片手をあげると、それを合図に騎馬の一団は子怜たちをぐるりと取り囲んだ。
「――おまえたちは何者だ」
輪の中央で馬を立てた兵が低い声で尋ねた。馬上にあってもそれとわかるほど、ずばぬけて背が高い若者だ。年は二十代半ばか、
だが、多くの者は、若者の顔立ちよりも、その身にまとう色彩のほうに目を奪われることだろう。黒髪黒眼の民が大多数を占めるこの地において、その若者はきわめて異質な、淡い茶色の頭髪と緑の眼の持ち主だった。
「おい」
「ひとにものを尋ねる態度じゃないね。まずはきみたちが名のったらどうだい」
小馬鹿にしたようなその口ぶりに、騎馬兵たちが気色ばむ。首領格の若者は無言で子怜を見おろしていたが、ややあって鞍からおりた。
「失礼した。おれは
子怜の読みどおり、この男は脱走兵だったのだ。春明はほっと胸をなでおろした。ならば話は簡単だ。早いところこの男を引き渡して、ついでに
「嫌だね」
さらりと子怜が答えた。春明はぎょっとして、崔と名のった若者は険しい顔で子怜を見る。
「……なんだと」
「渡せって言われて、はいそうですかと簡単に渡すわけにはいかないよ。なにせ、ついさっき彼と約束したからね。助けてあげるって」
「……おまえがそいつに何を約束しようと関係ない」
若者はその緑の眼をわずかに細めた。
「そいつは沙州関の兵で、おれはその上官だ。部下の処遇に関しての全権はおれにある」
「へえ?」
春明の位置からは子怜の顔は見えなかったが、おそらく笑ったのだろう。それもひどく若者の気に
「貴様……」
若者の両眼に怒気がゆらめき、右手が腰の剣の柄にのびる。
「子怜さま……!」
春明がたまらず子怜に駆けよろうとしたときだった。子怜は
「それはつまり、ぼくにあるってことか」
風にはためく一枚の紙は、官人の身分を示す証書だった。姓名、官職名などが記され、末尾に発行者の印が押してある。春明の目には書かれている文字までは見えず、かろうじて大判の朱印の文字を判別できるのみだったが――
「うそ……」
春明の唇からかすれた声がこぼれた。
――
吹きつける風のなか、ひときわ鮮やかな朱の文字が踊っている。その
「沙州関の城主、王子怜だ」
若者は愕然とした面持ちで、証書と子怜の顔とを見比べている。
「つまり、きみら全員の上官てこと」
子怜は端整な顔にくっきりとした笑みを浮かべた。
「わかったら城まで案内してもらおうかな。隊長さん」
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