第一章 漠野の城(五)
その翌朝、ふたりは馬をならべて宜京の西門を出た。
想像よりはるかに辛い長旅に、春明の体は早々に悲鳴をあげた。軽々しく旅の供を引き受けたことを後悔しはじめた頃、ようやく目指す城市が姿を現したのだった。
「……着いた、やっと」
万感の思いをこめてつぶやいた春明に、子怜がからかうような視線をよこす。
「だらしないなあ。ぼくより若いくせに」
「なんとでもおっしゃってください。今晩こそ柔らかい寝床で眠れると思うと嬉しくて」
「柔らかいかどうかは知らないけど、少なくとも屋根はあるだろうね」
笑って応じたところで、子怜はふと表情をあらためた。その視線の先を追った春明も、目に飛びこんできた光景に眉をひそめる。
茜色に染まる空の下、西日を背にして駆けてくる男の姿があった。一心不乱に走ってくる様子は、まるで誰かに追われているかのようで、遠目にもその必死さが伝わってくる。
なにごとかと思っているうちに、突然男はばたりと倒れた。そのまま起き上がる気配はない。
子怜は無言で馬の腹をけった。
「えっ……」
春明が止める間もなく、子怜の背中はみるみるうちに遠ざかる。
「待ってくださいよ!」
子怜ほど馬の扱いに
「水」
短く命じられて水の革袋をさしだした春明は、子怜がささえている男の顔をのぞきこんで思わず息をのんだ。
ひどく痩せた男だった。白麻の短衣からのぞく胸には痛々しいほどくっきりとあばらが浮いている。顔はまだ若いが、げっそりとこけた頬と生気のない土気色の皮膚はまるで老人のようだった。
「まさか死んで……」
「いや」
子怜は水の革袋を男の顔の上で逆さにして中身をぶちまけた。乱暴な方法だったが効果はあったようで、男はうめき声をあげてうすく目をあけた。
「う……」
どろりと濁った眼球が力なく左右に動く。たよりなくさまよった視線が子怜の顔に定まった瞬間、男ははじかれたように身を起こした。
「助けてくれ!」
絶叫して、子怜の腕にしがみつく。
「痛い」
腕をつかまれた子怜は顔をしかめて男の手をふりほどこうとしたが、男は青筋の浮いた両手で子怜の腕をしっかりとつかんではなさない。
「助けて……助けてくれ、たのむ……!」
血走った目を見開き、男はただひたすらに助けてくれとくりかえす。
「助け……っ!」
くぐもった悲鳴とともに男が地にころがった。業を煮やした子怜が男のつま先を踏みつけたのだ。
「だから痛いって」
文句をこぼしながら襟を直している子怜の足もとで、男はよろよろと身を起こし、頭をふった。
「てめえ、なにしやが……」
いまの衝撃で正気をとりもどしたらしい。男は子怜につかみかかろうとして、そこではたと動きを止めた。目の前に立っているのが世にも
「子怜さま、大丈夫ですか」
「平気」
子怜は男の前に――ただし今度はしがみつかれないよう距離をとって――しゃがみこんだ。
「きみ、その
子怜が問いかけると、男はへなへなと座りこみ、地面に両手をついた。骨が飛びだした肩が小刻みに震えている。
「……助けてくれ……頼む」
「いいよ」
子怜はあっさりと承諾し、そのあまりの気安さに驚いたように男は顔をあげた。
「助けてあげる。だから話してごらん。なにがあった」
男は呆然と子怜の顔を見つめていたが、やがてがくりと首をおとした。
「……ころされる」
春明はぎょっとして子怜の顔を見たが、子怜は眉ひとつ動かさず男にかさねて問うた。
「殺されるって、誰に」
「……い、に」
聞こえない、と子怜が男に顔を近づけたときだった。遠くからかすかな馬蹄の響きが伝わってきた。
男はひっと喉をならし、腰を浮かせて逃げようとしたが、すかさず子怜に足を払われ、地に顔を激突させた。
「春明、つかまえといて」
「あ、はい」
容赦ないなこのひと、と思いつつ春明は男の襟首をつかんだ。今度はなんだと西の方角へ眼をやった春明は、そこで男に負けず劣らず青くなった。
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