第四章 翠乱の城(七)

「――春明しゅんめい!」


 激しく肩をゆさぶられて、春明は目をあけた。薄闇の中、白い端麗な顔がぼうと浮かびあがっている。


「……子怜しりょう、さま……」


 春明は子怜の腕にすがるように体を起こした。顔をおおった両手の指の間を冷や汗がつたう。


「……奎厦けいかさま……奎厦さまが……」

「大丈夫」


 細い指が、額にはりついた春明の髪をはらってくれる。


「ただの夢だよ」


 嘘だ、あり得ないと、がんがんと割れ鐘をたたくように痛む頭の隅で、もうひとりの自分が叫んでいる。なぜならあの空には――


「春明!」


 子怜の手をふりほどいて、春明は窓辺に駆けよった。乱暴に開けた窓の外、藍色の空に糸のような細い月が見えた。つい先ほど見あげた空と同じように。


「……月が」


 あえぐようにつぶやく春明の肩に誰かの手がおかれた。


「おかしいでしょう。ねえ、子怜さま。月が……」


 ふりかえったところで、ぱんと頬に衝撃が走った。子怜が、春明の頬を平手打ちしたのだ。


「悪いね。だけど、いまはそれどころじゃないんだ」

「――ご城主」


 けわしい顔をした阮之げんしが足早に部屋に入ってくる。


「申し訳ありませんが、お早く……」

「ああ、すぐ行く」

「あの、いったいなにが……」

「暴動です」


 阮之が固い声で答える。


「兵が、集団で決起しました」


 その答えを心のどこかで予期していたにも関わらず、春明はしばらく声を発することができなかった。


「暴動の中心にいたのは、あの刀児とうじという名の少年だそうだよ。彼の呼びかけに応じた十名ほどの兵が、武器をもって奎厦の部屋に押し入った」

「……奎厦さまは」

「ああ、奎厦なら無事だよ。怪我ひとつない。むしろ暴動兵たちの方が重傷だ。まったく、あの男にはまいったね。いくら素人相手とはいえ、一人で十名以上とわたりあって全員倒してしまうんだから」


 そこへ阮之が兵を率いて駆けつけ、なんとかその場を収めてくれたという。幸い死人は出ていないが、刀児たちは手当を受けながら、なおも奎厦を殺せと叫んでいるらしい。


「さもないと、自分たちが殺されると訴えている。夢の中で、奎厦に殺されたそうだ。春明が見ていたのも同じ夢かい」

「ちがいます」


 とっさに否定したが、その声は自分でも驚くほど弱々しかった。


 先ほどの夢では、たしかにちがった。奎厦は自ら身を投げたのだ。だがその前は? 


 春明は痛む頭をおさえた。どこまでが夢で、どこからが現実なのかわからない。ただひたすらに頭が痛かった。


「とりあえず奎厦を捕らえて牢に放りこんだところだ。抵抗しないでくれて助かったよ」

「……なんで、奎厦さまが牢につながれているんですか。襲われたのは奎厦さまなのに」

「彼を捕らえたのはちゃんと理由わけがある。いましがたの騒ぎで、阮之どのが奎厦の部屋から妙なものを見つけてね。それをこれから確かめに行くところだ」

「わたしも」


 春明は子怜の腕をつかんだ。


「わたしも連れて行ってください。お願いします」

「いいよ」


 あっさりと承諾した後で、子怜は「ただし」とつけくわえた。


「きっと嫌なものを見ることになるよ」

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