第二章 悪夢の城(八)

 食事が済んだところで、春明しゅんめい阮之げんしに尋ねた。


「今日みたいな事故って、多いんですか」

「そうですねえ」


 阮之は指を折って数える。


「小さなものも含めれば五度目ですかね。今回のように怪我人が大勢出たのは初めてですが」

「そんなに」

「工事に事故はつきものです。怪我人が出ることも珍しくはありません。ですが、ここまで続くのはやはり異常ですね。兵が騒ぐのも無理はないでしょう」


 楼西ろうせいの呪い。あの少年兵はそう訴えていた。仲間の名も口にしていたように思う。そう、たしかこうといった。奎厦のせいでおかしくなったとはどういう意味なのだろう。


「……やっぱり楼西の亡霊のしわざなんでしょうか」

「さあ、それはどうでしょう。亡霊のせいというより、皆でそのように仕向けているのかもしれませんよ」

「仕向けている?」


 春明が驚いて訊き返すと、阮之は口もとにうすい笑みを浮かべた。


「人というものは、おのれの理解が及ばないものをひどく嫌うものです。不確かなもの、説明がつかないものがいつまでもそばにあると、不安で仕方ありませんでしょう。だから、原因を必死で探すのですよ。かりそめでもいい。自分が納得できる理由を考えだして、目の前の事象に当てはめる。それでひとまずは安心できますからね」

「……つまり、事故を楼西の呪いのせいにしてしまったほうが安心する?」


 そのとおり、と阮之はうなずく。


「そのほうが気が楽ですから。小さな不注意が積みかさなって大きな事故を生むのはよくあることです。原因はそれこそ無数にあり、ひとつにしぼることなどできません。ですが、それでは気持ちがおさまりませんからね。はっきりとした理由が欲しいのです。そこで、こう考える。これも楼西の呪いのせいだ、と」


 ごく自然な考えだろう。現に沙州関さしゅうかんの兵は、夜ごと楼西の悪夢に苦しめられているのだから。しかも、いちおう理屈はとおっている。沙州関を攻めたてる楼西兵にとって、堅固な城壁は障害となる。だから、城壁の補修を邪魔するのだ。


「おそらく、皆の疑いが確信に変わったのは、二度目の事故の時でしょうね。今日と同じ現場で、同じような壁の崩落が起きまして。崩れたといっても、あのときの壁はせいぜい胸くらいの高さでしたから被害はたいしたものではありませんでした。怪我人も、軽傷の者が数名出た程度です。ですが、時期が悪かったのですよ」


 その翌朝のことだったという。例の兵が眠ったまま息をひきとったのは。


「偶然でしょう」


 そう阮之は言いきった。


「ですが、夜毎の悪夢で疲れはてていた兵は、その出来事を機にかたく信じこんでしまったのですよ。事故が起こるのは楼西の呪いのせいだとね」


 楼西の亡霊が、城の再建を阻んでいるのだと。


「ひとたびその考えに囚われてしまえば、そこから抜け出すのは容易ではありません」


 集団で暗示にかかっているようなものだと阮之は語った。恐怖で体が思うように動かず、つい手を滑らせる。なにかにつまずく。確認がおろそかになる。


「そういったひとつひとつの小さな不注意が、積もり積もって次の事故を生む。すると皆はますますこう思う。やはり、とね」


 やはりそうなのだ。これは楼西の呪いだと。


「……悪循環、ですね」

「奎厦どのも同じことをおっしゃっていました。あのかたは状況を正しく把握していらっしゃる。そして、だからこそ焦っておられる」


 阮之の顔がくもった。主を気遣うというより、弟を案じる兄のような表情だった。


「奎厦どのは、一日も早く城壁の補修を終わらせ、兵たちの不安を断ち切ろうとなさっているのですよ。ですが、その奎厦どのの強い姿勢が、呪いにおびえる兵の目には非情なものに映るのです。どちらが正しいというものではありません。それぞれに考えがあり、理があります」


 阮之の苦いつぶやきに、くぐもったうめき声が重なった。春明が兵舎の中をのぞくと、奥の方で横たわっている男が眠りながら手足を弱々しく動かしている姿が見えた。


「かわいそうに。こんなときでも、あの夢からは逃れられないのですね」


 いたましそうにつぶやいたあとで、阮之は春明にむきなおった。


「春明どのは、いつお発ちになるのです」

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