第五章 暁天の城(二)

「急にどうしたの」


 書面に目を落としたまま、さして驚いたふうもなく子怜しりょうは尋ねた。その手にある紙の束はよう城輔じょうほ――阮之げんしがまとめた今回の騒動の報告書だ。


 前城輔、さい奎厦けいかは正式にその任を解かれ、今朝方護送兵に連れられて沙州関をあとにした。行き先は慶州けいしゅうの州都、宜京ぎきょう。奎厦はそこで州令じきじきに裁かれることになるだろう。左術を用いて沙州関さしゅうかんの兵を惑わし、再建費を横領した重罪人として。


「もうあの夢は襲ってこないよ。それに春明も知ってのとおり、いまは人手が足りない。阮之どのも頑張ってくれているけど全然追いついていないからね。春明にも手伝ってもらえるとありがたいんだけど」

「わたしは官吏ではありませんから」

「きみひとりの官職くらい、どうとでもしてあげるよ」

「結構です」


 返答が思ったより冷たく響いて、春明しゅんめいはあわてて言いそえた。


「お心遣いには感謝します。ですが、わたしはせいに仕えるつもりはありません」

「だから」


 子怜は紙の束を卓に放った。


「あんなことをしたわけか」


 その言葉の意味を悟り、春明はゆっくりと目を見開いた。


「……ご存知だったんですか」


 まあね、と子怜はうなずく。


「先だっての州試しゅうし、答案の中でただひとつ、墨でめちゃくちゃに塗りつぶされたものがあったそうじゃないか。採点官はひどく困惑していたそうだよ。汚される前の答案は綺麗に埋まっていたらしいのに、なぜ、とね」


 文挙ぶんきょにおいて、答案の汚損は即失格となる。どんなに見事な回答が記されていても、答案に一滴でも墨が垂れていようものなら、その時点で採点の対象から外されるのだ。


「唯一、まともに読めた文字は回答者の姓名だけだったとか」


 子怜は春明をまっすぐ見つめて問いかけた。


湘県しょうけんばん春明しゅんめい。なぜあんなことをした」


 鏡が見たいな、と春明は思った。いまの自分はどんな顔をしているのだろう。泣きそうな顔をしているだろうか。それとも笑っているのだろうか。

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