第五章 暁天の城(四)

 気まぐれな風に流されるように、春明しゅんめいは辺境の城にたどりついた。その晩から伯父の夢は見なくなった。かわりにおとなうたのは楼西ろうせいの夢。


 おどろき、恐れながらも、自分は確かにかれたのだと春明は思う。三百年もの間、せることのなかった、その怨恨に。かけがえのないものを奪われた者の思いの強さに。


 そして、できることなら見とどけたいと思った。ことの行く末を。楼西の最後の王の思いの行き着く先を。それをこの目で確かめられたなら、自分の胸のうちの、この行き場のない思い――恨み、恐怖、後悔、自責の念、その他もろもろの、もはや名もつけられないからみ合った思いに決着がつけられるのではないかと。


 だが、幕切れはひどくあっけなかった。


 はじめから、すべてが偽りだったのだ。楼西の憎悪を映した悪夢は、一人の不遇な青年がつくりあげた幻にすぎなかった。


 そうと知ったとき、春明はこの城に居続ける意味を見失った。


 われながら勝手だな、と春明は思う。勝手にすがって、勝手に失望して。


 それ以上に中途半端だ。せいを恨むことも、復讐に走ることもできず、ただ衝動的に名乗りをあげて、その結果に怯えるだけの自分は、


(本当に、情けない)


「この城、閉めるんですか」


 春明が長く抱えていた問いを口にすると、子怜しりょうそうだともちがうともつかぬ顔をした。


「ぼくが決めることじゃない」


 そうですか、と春明はうなずいた。閉めるならば、それでいいかもしれない。この城は、ようやく安らかな眠りにつける。


「きみはどうする」


 今度は子怜が尋ねる。


「まさか、この期におよんで州令府に出頭するつもりじゃないだろうね」

「……子怜さま、わたしを見逃してくださるのですか」


 予想していなかった言葉に春明は目を見開いた。子怜が州令府の門前で自分に声をかけたのは、ばん叡生えいせいの甥だと知ってのことだと思っていたのだ。随従としてそばにおき、監視していたのではないかと。


「馬鹿なことを」


 鼻で笑われたが、春明は不愉快ではなかった。


「言っただろう。なんとなく帰りたくなさそうな顔をしていたからだって。だから、ちょうどいいと思ってひろっただけだよ」

「ひろったって、犬の仔じゃないんですから」

「どっちかっていうと迷子かな」

「それじゃかどわかしです」


 まあ実際ひろわれたのだろうと春明は思う。帰り道を見失った迷い犬。


「言っておくけど、きみが答案を汚した件は、あわれな狂人の仕業ということになっている。鹿泉ろくせんの乱だって、もう完全に片がついているんだ。いまさらほじくりかえしたところで誰も得なんてしない。はっきり言って迷惑だね。むやみに州令府の仕事を増やすんじゃないよ」


 命を大切にしろ、などと情に訴えないところが、まったくこのひとらしいと、春明はおかしくなった。


「子怜さまにお説教をされる日がこようとは思ってもみませんでした」

「ぼくもだよ。他人にとやかく言うのは好きじゃないし、そもそもがらじゃないんだ」


 子怜は肩をすくめてみせた。


「で、どうする。春明」


 さてどうしようかと、いまさらながらに春明は考えた。あいかわらずの迷い犬だ。ただはっきりしているのは、すでにここに自分の場所はないということだけ。


湘県しょうけんに帰ります」


 春明は子怜の前できちんと礼をとった。


「お世話になりました」


 ん、とうなずく子怜の顔はやさしかった。


「元気で」

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