第二章 悪夢の城(六)

 楼西ろうせいの呪い。その言葉がはこばれてきたとたん、奎厦けいかの眉がはねあがった。


「――おい」


 不意に割って入った低い声に、語り合っていた男たちはぎくりと肩を震わせる。そこへ奎厦は歩みよった。


「くだらんことを話している暇があるなら、さっさと手を動かせ」


 叱責された兵たちは気まずそうに互いの顔を見合わせたが、しかし誰もその場から動こうとしなかった。


「おまえたち……」


 奎厦が声を荒げかけたとき、いちばん背の低い兵がきっと顔をあげた。春明しゅんめいとそう年は変わらないだろう。そばかすがいっぱいに散った顔は、興奮と、そしておそらく怒りのために紅潮していた。


「まだ、やるんですか」

「なんだと」

「……おい、刀児とうじ


 仲間が袖をひっぱったが、刀児と呼ばれた少年兵は奎厦の顔をみあげてきっぱりと言った。


「おれはもう嫌です。こんなことやってられない」

「命令を拒むと? おまえ、殺されたいのか」

「このままじゃどのみち死にますよ」


 挑戦的に言い返されても、奎厦はまだ冷静さをたもっていた。


「こういった作業に事故はつきものだ。だから注意しろと日頃から……」

「おれたちのせいだって言いたいんですか!」


 刀児は叫んだ。いまや仲間の兵たちだけでなく、現場にいる全員が手をとめ、固唾をのんでふたりの様子をうかがっている。


「おれの……おれたちのせいで事故が起こったんじゃない。あなただってわかっているでしょう。これがただの事故じゃないってことくらい。これは呪いだ! 楼西の亡霊のせいに決まっている!」


 ――とうとう言った。


 その場にいた全員の顔に、そう書いてあるようだった。おそらく誰もがひそかに胸のうちに抱えていながら、口に出せなかったこと。それをこの少年が白日のもとにさらしたのだ。


 息が詰まるような沈黙の中、刀児の冷静さを欠いた声だけが響きわたる。


「やつらが邪魔してるんですよ。だって、やつらにしてみれば、城壁が崩れていたほうが都合がいいでしょうが。だから何度やっても積んだそばから崩れて……」

「黙れ」


 殺気をはらんだ奎厦の低い声に、刀児はさすがにひるんだように口をつぐむ。


「それ以上ひと言でもしゃべってみろ。懲罰房送りではすまんぞ」

「……あなたが」


 刀児はきっと奎厦をにらみつけた。


「あなたがそんなだから! だからこうのやつもおかしくなったんだ。わかってんのか? 全部あなたが悪いんだよ!」 

「貴様……!」


 奎厦がさっと右腕をふりあげた、その瞬間だった。


 ガシャンッ! と、なにかが砕ける音がした。


「あー……ごめん」


 つづいて、どこか間の抜けた声が。


 瓦礫のそばで、華奢な青年が情けなさそうに両手をひろげていた。その足もとには、たったいま落として割ったのであろう、粉々になった煉瓦のかけらが散らばっている。


「……この」


 まっさきに我に返った奎厦は、ずかずかと子怜のもとへ歩みよると、頭ごなしに怒鳴りつけた。


「馬鹿が! 玩具じゃないんだ。足の上にでも落としてみろ。へたすれば骨がくだけて一生足をひきずることになるんだぞ!」

「だからごめんって」


 悪びれない様子の子怜に、奎厦は疲れた顔でため息をついた。


「もういいから、あんたは帰ってくれ」

「はいはい。でも、皆も一緒に帰ろう。そろそろ日も暮れる。ほら、ちょうど車もきたことだし」


 子怜の言うとおり、怪我人を運ぶための荷車がようやく到着したところだった。奎厦はいまいましそうに子怜をにらみつけると、その場を離れて撤収の指示を下しはじめた。


 張りつめていた空気がゆるみ、ぎくしゃくと兵が動きだす。刀児という名の少年はまだなにか言いたげだったが、年配の兵に頭を小突かれて、しぶしぶ仲間のもとへもどっていった。


「……子怜さま」


 春明がおずおずと声をかけると、子怜は「あれ」と瞬きをした。


「春明、いつからいたの」

「最初からいましたよ。さっきの、わざとですか」


 質問ではなく確認の意味をこめて春明はたずねた。あのとき、誰かが止めていなかったら、おそらく激昂した奎厦はあの少年に手をあげていたことだろう。そして仲間が殴られるさまを目にした他の兵は、城輔への反感をつのらせたはずだ。


「どうかな」


 子怜は肯定とも否定ともつきかねる笑みを浮かべ、足もとに散らばる煉瓦のかけらをひとすくいつかみとった。


 細い指のすきまから砂がこぼれ、夕暮れの冷たい風に吹かれてどこかへ消えていった。

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