第四章 翠乱の城(四)
「――それで?」
「これはなにかなあ、
子怜は袖から丸めた紙をとりだし、春明の顔の前でひらひらとふった。墨で描かれた絵姿の中で、塗りつぶされた緑が毒々しい。
「……どうしてわたしに」
「だって春明、ちっともおどろいた顔してなかったじゃない。これを見たのは初めてじゃないんでしょう」
「子怜さまにはすべてお見通しなんですね」
春明はほっと息を吐き、それから数日前の出来事をあらいざらい語った。
兵舎の掃除をしているときに刀児という名の少年兵が運びこまれてきたこと。その少年の袖口から
そして、どうやら城中の兵たちの夢に、緑の眼の楼西兵が現れていることも。
「もっと早く聞かせてほしかったなあ」
「すみません」
もちろん、真っ先に子怜に話すべきだと思ったのだが、なぜかできなかった。その理由は、自分でもうまく説明できない。
「まあいいさ。過ぎたことは」
子怜はあっさり追及を打ち切り、手の中の紙片に目をおとす。上からそれをのぞきこんだ
「……奎厦どの、ですね」
文字は書かれていない。たとえ書かれていたとしても、大半の兵は読めないだろう。だが、なにも書かれていなくとも、その絵が伝えたいことは明らかだった。
毎夜、夢にあらわれる異国の兵。その男は緑の眼を持っている。
思い出せ、と、その絵は訴えているようだった。思い出せ。夢の中で、おまえが見た敵兵の眼は、この色をしていたはずだと。
「いかがいたしましょう、ご城主。先ほどの兵を問いただしてみますか」
「いや、やめとこう。
「でも、子怜さま」
春明はたまらず声をあげた。
「それじゃあ奎厦さまは疑われたままってことになるじゃないですか」
しかも、子怜は奎厦を解任した。
春明がそう指摘すると、「わかってるさ」と、子怜は肩をすくめた。
「でも仕方ないじゃない。いまの状態の奎厦に、城内をうろつかせたくないんだよ。血気にはやった兵が奎厦を襲わないともかぎらないし、奎厦は奎厦ですっかり頭に血がのぼって、なにをしでかすかわかんないし。だから、しばらく部屋に閉じこめとけば頭も冷えるかなって……なあんて」
そこで子怜は、はあっと大きなため息をつく。
「このぼくがここまで心をくだいてやってるってのに、当の本人にはこっちの気遣いとか配慮とかが全然伝わってないんだもんねえ。春明も見たでしょう、あの眼。百回殺してやっても足りないって感じだったよ」
「当然です。あんな言い方されたら誰だって傷つきますよ」
「春明はいやに奎厦の肩を持つんだねえ」
感心したように口をすぼめたあとで、子怜は阮之を見あげた。
「そうだ、阮之どの、さっきはありがとう。あなたが止めてくれなかったら、もうちょっとややこしいことになっていたよ」
「いえ、ご城主の寛大なおとりはからい、奎厦どのに代わってお礼申し上げます」
阮之は深く頭をさげた。実際、信じられないほど甘い処遇なのだろう。未遂に終わったとはいえ、上官に対して抜剣しかけた罪は重い。最悪、死罪に処せられても文句は言えないところだ。
「……ご城主」
阮之はためらいがちに口をひらく。
「うん?」
「ご城主は、いかがですか。その、夢で……皆が言うような者を見たことは……」
「おぼえていない」
あっさりと子怜は答える。
「春明は?」
問われて春明はぎくりとした。
夢の光景ならば、細部までおぼえている。どうやって殺されたか、それこそ手にとるようにはっきりと。だが、誰に?
昨夜、自分の胸に剣をつきたてた男は、血にまみれ殺戮に酔ったように唇をゆがめていた男の顔は――
にわかに目の奥がうずき、春明は額をおさえた。
「……わかりません」
そう、と子怜はうなずいた。
「あなたはどうなんだい、阮之どの」
「わたしも同じです。よくおぼえておりません」
阮之はかすかに首をふった。
「ですが、ひとは不思議なものですね。こうして絵に描いたものをつきつけられると、だんだんとそのような気になってしまう。ああそういえば、と……」
夢にあらわれる敵兵は、緑の眼をしていたのだと。
「厄介だね」
子怜はうとましそうに紙片を指ではじいた。
「あとは奎厦か。阮之どのは、なにか聞いていないのかい。かれはどんな夢を見る?」
「奎厦どのも同じです。われわれと同じ、敵と戦う夢を見ると……」
阮之は口もとに手をあててうつむいた。
「ですが、それは……本当に同じ夢だったのでしょうか」
ひとりごとのようにつぶやく。
「……筋書きは同じはずなのです。敵と戦って、殺される。ですが、なにをもって敵と見なすのか……奎厦どのは、どちら側に立っていらっしゃるのか……あの方が夜ごと戦っている相手は――」
顔をあげた阮之は、奇妙に虚ろな眼をしていた。
「誰なのでしょうか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます