第一章 漠野の城(八)
石と煉瓦、それに黄土をつき固めて造られた家屋は、そのほぼすべてが倒壊し、できそこないの粘土細工のようにひしゃげている。あふれた瓦礫が東西南北をつらぬく大路をふさいでいるが、それで困る者もいなかろう。日暮れどきだというのに、城内にはひとつの灯もともらず、煮炊きの煙の一筋もたちのぼっていなかった。
「ひどいものですね」
薄暮のなか、かつてはたしかに街だったものは、ただ沈黙のうちにうずくまっていた。
「人は住んでいないのですか」
「住民はいない。いまここにいるのは、再建のために集められた兵が、ええと、五百くらいだったかなあ。見てのとおり城内は住めたものじゃないから、とりあえず、この城壁の
「五百……」
妙だな、と春明は思った。
五百もの人間が暮らしているわりに、この城は活気というものがまるで感じられないのだ。たまたま兵が出払っているというわけではあるまい。実際、春明はこの部屋に案内されるまでに、幾人もの兵とすれちがった。だが、思いかえしてみれば、彼らの顔にはおよそ生気というものがなく、うつむき加減で足をひきずって歩くさまは、まるで死にかけの病人のようだった。
なんだか気味が悪いと、春明は腕をさすった。城門をくぐったときから、どうにも落ち着かないのだ。この身にまとわりつく、ひそやかで重苦しい空気にはおぼえがある。そう、まるでここは――
「まるで墓地だね」
春明の考えを読んだかのように子怜が言った。茜色の夕陽に照らされたその横顔は、ぞっとするほど美しかった。
「さて、そろそろ幽鬼がさまよいはじめる頃合かな」
「……はい?」
なんだろう。なにか、とんでもないことを聞いた気がする。幽鬼、とかなんとか。
幽鬼。死者の魂。この世のものならざるもの。
「子怜さま、いま、なんと」
「ん? いや、そろそろ出るかなって」
「なにが」
「なにって、だから幽鬼だよ。ああいう手合いが出るのは暗くなってからと相場が決まっているだろう」
「……」
短い沈黙の後、春明はゆっくりと子怜の肩に両手をのばした。逃がさないぞ、という気迫をこめて、その薄い肩をしっかりとつかむ。
「子怜さま」
「うん?」
小首をかしげるさまが男のくせにたいそう愛らしかったが、この顔にだまされてはいけないと春明は気をひきしめた。
「この城、幽鬼が出るんですか」
「そうだよ」
気が抜けるほどあっさりと子怜は首肯する。
「けっこう有名な話だよ。沙州関には幽鬼がぞろぞろ出るって。ここは昔わりと大きな戦場だったらしくてさ、夜になるとその亡者がわんさか湧いて出るんだって。おかげで沙州関の兵は夜も眠れずやせ細り……」
「ちょっと待ってください。初耳ですが」
「だろうね」
子怜は邪気のかけらもない笑みを浮かべる。
「
「あなたってひとは……」
ちょうど手もとにあった紙の束をとりあげて、すぱあん! と子怜の横っ面を張ってやりたい衝動をなんとか押さえこみつつ、春明はつとめて冷静な声でたずねた。
「子怜さま、あなた、わざと黙っていましたね? 言えば、わたしが随従の話を断ると思って」
「察しがいいね。そのとおりだよ。幽鬼の噂のせいで、いくら周旋屋を回っても誰も紹介してくれなくてさあ。しかたないから州令府にかけあってみようと行ったところで春明を見かけて、ちょうどいいやと……」
「なにがいいんですか! 全然よくないです!」
「なに春明、幽鬼とか苦手なの?」
普通に考えて、あの手のものを得意だとか好きだとかいう者は少なかろう。
「大丈夫だって。ただの噂だよ。まだ本当に出るって決まったわけじゃないし」
「いや、出るでしょう。まちがいなく出ますでしょう。ここの人たちの様子を見れば一目瞭然ですよね。なにより、あの脱走兵もおびえていたじゃないですか。殺されるって!」
「それもそうか」
「そこはもっとがんばって否定してください!」
「うわ、春明めんどくさい」
顔をしかめてそっぽを向こうとする子怜の頬を、両手ではさんでおしとどめる。
「それより子怜さま、まず、わたしに言うべきことがありますよね」
「ん……じつは隠し子が三人……」
「えっ、うそ」
「いや、さすがに冗談」
「ふざけないでください! 謝罪です、謝罪! なにも知らない純真な若者をだまくらかして、ここまで連れてきたことに対して、まずは誠心誠意わびたらどうなんです!」
「だましてない。ぼくはただの一言だって嘘はついてない」
「そのかわり肝心なことも言ってないでしょうが!」
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