第一章 漠野の城(九)

「――失礼いたします」


 扉のかげから遠慮がちに顔をのぞかせたのは、背の高い、なで肩の男だった。年は三十をいくつか出たあたりか、細面にやや目尻の下がったおっとりとした容貌は、駆けだしの学者か文官といった風情だ。書物や筆が似合いそうな骨ばった手に、湯気の立つ茶碗をのせた盆を持っている。


 男は部屋に入ってくると盆を卓におき、子怜の前で一礼した。


「ご城主にはお初にお目にかかります。わたくし、沙州関さしゅうかんの食客、よう阮之げんしと申します。どうぞお見知りおきを」


 城主にしてはあまりに若い子怜を前にしても戸惑う気配すら見せず、じつにそつなく礼をほどこす。


「食客と申しましても、実際は居候のようなものでございます。こちらの城輔じょうほの私的な秘書、とでも申しましょうか。ようは雑用係でございますね。まもなく城輔が参りますので、もうしばらくお待ちください」


 雑用係よろしく、ふたりのために茶を持ってきてくれたらしい。


 阮之のすすめにしたがって、子怜と春明は席についた。はじめ春明は主人と同席するなどもってのほかと固辞したのだが、子怜の「立っていられるのも落ち着かない」との一言で共に卓を囲むことになったのだ。


 同席を促されたのは阮之も同じだったが、こちらはためらいなく席につき、さらには「こんなことならわたしの分も持ってくればよかったですね」とのたまったあたり、なかなかにいい性格をしているようだ。


 きれいな薄緑色の茶は、このあたりで採れる茶葉で淹れたという。


「香りは多少くせがありますが、味は悪くありませんよ」


 阮之の言葉どおり、喉をとおるときにつんとした匂いが鼻についたが、飲み口は爽やかで、喉が渇いていた春明はひと息で飲みほした。


「おいしいです」

「ありがとうございます」


 阮之は愛想よく微笑む。あたたかい茶と、阮之のおだやかな笑みが、旅の疲れを溶かしてくれるようだった。


「それで、阮之どの」


 手のなかで茶碗をもてあそびながら子怜が口を開く。


「……と、お呼びしていいかな。城輔とやらが来るまでに教えてほしいことがあるんだけど」

「なんなりと。ご城主」


 子怜はずばりと問うた。


「この城、幽鬼が出るの?」


 阮之はとらえどころのない笑みで子怜の問いを受けとめる。


「幽鬼は出ません」

「幽鬼、か」


 子怜は意味ありげにその言葉をくりかえした。


「じゃあ、なにが出る?」


 阮之は開け放った窓の外にちらと眼をやった。四角く切りとられた茜色の空に、金色の雲が細くたなびいている。


「城輔は、遅うございますね」


 つぶやくように言って、阮之は子怜に向きなおった。


「お待ちいただく間、昔話でもいかがでしょうか」


 そう前置きして、阮之は語りはじめた。


 ありし日の沙州関の姿を。その繁栄と、滅亡を。

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