第三章 亡国の城
第三章 亡国の城(一)
兵を一万ほども整列させられようかという、なかなかに立派な練兵場だが、長年使われていなかったために雑草がはびこり、できそこないの煉瓦やら空き樽やらが散乱して、まるでごみためのようなありさまだった。
だが、それも今となっては昔の話だ。
隅々まで清掃のいきとどいた練兵場に、沙州関の全兵が整然と並んでいる。その数、およそ五百。
「はじめ!」
「あのさあ」
迫力ある光景に目を奪われていた
「闇雲にふりまわすだけじゃだめだって。ちゃんと相手の動きを見るように言わないと」
「わかっている」
奎厦のきつい眼差しの先で、小柄な青年が樽に腰かけて足をぶらつかせていた。
一兵卒と同じ白麻に黒襟の短衣をまとった青年が、沙州関の最高指揮官である城主、
おまけに、手にした麻袋から干し葡萄をつかみとって口に放りこんでいるさまは、城主どころか街なかをうろつく
「……ねえ、あの、はひっこのさ……」
子怜はもごもごと奎厦に話しかけたが、干し葡萄を口いっぱいに頬張っているせいで聞きとりづらいことこの上ない。
「食うかしゃべるか、どっちかにしろ」
言い方はともかく、おっしゃる内容はごもっともです、と春明は胸のうちで深くうなずく。
「んー……あの、はしっこの彼だけど、かまえが悪いねえ。ちょっと指南してやってよ」
「気になるなら、あんたが教えてやれ」
奎厦のそっけない態度を目の当たりにするたび、春明は養家にあった水瓶を思い浮かべてしまう。もう何年も家の裏手に放置されている水瓶だ。長いこと野ざらしになっているせいで、水瓶はからからに干からび、色はあせ、表面には無数のひびが入っていた。いつか遠くない先、それはきっと粉々に砕け散ってしまうことだろう。
「やだよ、面倒くさい。きみ行ってきてよ」
「ふざけるな。たまにはあんたも働け。この穀潰しが」
いろいろと問題のある主人ではあるが、と春明はあらためて思う。子怜の良いところのひとつは、配下の者にどれほど非礼な物言いをされようと、まったく気にするふうがないことだ。
それは良いことなのでしょうかと、二日ばかり前にその感想を耳にした阮之は首をかしげていたが、おかげで奎厦は言いたいことを遠慮なく口にでき、それでなんとか水瓶は割れず――もとい不満を爆発させずにすんでいるのだから、少なくとも悪いことではないだろうと春明は思う。
「だってぼく、荒事は苦手だし」
「どの口が言うか。人ひとり投げ飛ばしておいて」
奎厦の言うとおりだ、と、またもや春明は同意する。この華奢な体で
「ああ、あれ? あれは別にたいしたことじゃないよ。ただ、後ろから抱きつかれたりすることには慣れているから、その対処法も自然と、ね」
さりげなくとんでもない発言をかました子怜の顔を、春明は思わず二度見する。
「よかったら春明にも教えてあげようか」
「あ、じゃあぜひ……」
「うん、習っておいた方がいいよ。春明もわりと可愛い顔してるから、きっと必要になるときが……」
「やっぱり結構です」
春明にふられた子怜は再び奎厦にかまいはじめた。
「あ、ねえねえ奎厦、阮之どのから聞いたよ。きみはこの城でいちばん腕が立つんだってね。だからさ、頼むよ。奎厦」
機嫌をとるような声が聞こえていないはずはなかろうに、奎厦は微動だにせずじっと虚空をにらみつけている。反応したら負けだと言わんばかりの態度だったが、あいにく暇をもてあまし気味の城主は簡単にあきらめてはくれなかった。
「ねえ奎厦……奎厦ってば……崔城輔―?」
春明の空想上の水瓶に、ぴしりと新しいひびが入った音が聞こえた。それは奎厦の大きな舌打ちの音と重なる。
「……端の、あいつか」
「よろしく」
ひらひらと手をふる子怜を横目でにらみつけながら、奎厦は大股で歩き去る。どうなることかとはらはらしていた春明は、詰めていた息をほっと吐きだした。
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