第二章 悪夢の城(五)

 崩落がおさまってしばらくたっているにもかかわらず、現場にはまだ濛々と砂ぼこりがたちこめていた。


「突然崩れまして……」


 病みあがりのこととて息を切らしながら春明しゅんめいが現場に到着したとき、子怜しりょう阮之げんしは兵の一人から報告を受けているところだった。なんでも、焼き固めた煉瓦を積んだ壁が突然崩れ、不運にもその場にいた何人かが瓦礫の下敷きになったのだという。


「巻きこまれたやつらは、なんとか全員ひっぱりだしましたが、そいつらも腕やら足やら折れちまって……」


 暗い顔でぼそぼそと語る兵自身も、頭に血のにじんだ布を巻いている。あたりには血と汗のまざりあった匂いがたちこめ、怪我人のうめき声がそこかしこから聞こえてくる。


 ひととおりの報告をうけると、子怜は瓦礫の撤去を指示している長身の青年に声をかけた。


奎厦けいか


 ふりむいて上官の姿を認めた城輔は、あからさまに顔をしかめた。


「大変だったね。でも、とりあえず死人は出ていないようでなによりだ。きみも怪我は……」

「帰ってくれ」


 ぴしゃりと奎厦は子怜の声をさえぎった。


「見てのとおり、おれはいま忙しい。あんたの相手をしている暇はない」


 げ、と春明は声にならない悲鳴をあげた。いまの言葉、いまの口調、これがせいの官界における一般的な上官への接し方なのだろうか。おそらく、いや、絶対にちがう。


 だが子怜は、無礼きわまりない部下の態度をまるで気にしたふうもなく、ひらひらと手をふった。


「ぼくのことならおかまいなく。適当に調べさせてもらうから」

「くわしい報告なら、ここの片づけが終わった後でまとめて届ける」

「いらないし、もらっても読まない」


 ぴしり、と二人の間にひびが入ったような音が聞こえたのは、おそらく春明だけではあるまい。周囲の兵たちも、凍りついた空気を察したように仲間と不安げな視線をかわしあう。


「奎厦どの」


 不穏な気配を漂わせる二人の間に、阮之が割って入る。


「まずは怪我人の手当てを優先すべきかと」

「ああ……そうだな」


 冷静な指摘に奎厦は怒気をおさめた。


「怪我人をむこうに寝かせてあるから見てやってくれないか。いま荷車を呼んでいる。車がきたら動けない者をまとめて運ぶ」

「承知いたしました」


 阮之は怪我人が寝かされた一隅へ急ぎ、子怜はやや勢いがそがれたていで肩をすくめると、くるりときびすをかえした。


「おい、どこへ行く」


 返事のかわりに子怜はかるく片手をあげ、あたりを歩き回りはじめた。時折しゃがみこんでは崩れた煉瓦のかけらを手にとっている。


 勝手にしろと言いたげに舌打ちをもらした奎厦は、そこで春明に目をとめた。


「なんだ、おまえは」


 険しい眼差しに、春明はひるんだ。このひとに会ったらまず礼を言おうと、そう決めていたのに、いざ本人を目の前にすると声が出てこない。


「邪魔だ。とっとと帰れ」


 この言葉、おそらくは子怜にこそ浴びせたかったのだろう。とんだとばっちりだとあるじを恨みながら、勇気をふりしぼって口を開きかけたときだった。


「――やつらのしわざだ」


 風に乗って密やかな声が聞こえてきた。


「まさか、いくらなんでも……」

「いや、まちがいないね」


 すこし離れたところで数名の兵がかたまってなにやら熱心に話しこんでいた。本人たちはささやき声のつもりだったのだろうが、話しているうちに興奮してきたのか、その声は次第に大きくなり、熱をおびる。


「――だから、これも楼西ろうせいの呪いだって!」


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