第二章 悪夢の城(三)

子怜しりょうさまや阮之げんしどのは、夢を見ないのですか」


 ふと思いついて春明はふたりに尋ねた。


「もちろん見ますよ」


 阮之がゆったりと微笑む。


「ですが、幸いにも、と言うべきですかね。わたしは夢の内容をあまり覚えていないのですよ。目がさめて、ああ嫌な夢を見たと思う程度で」

「ぼくも似たようなものかな。もともと眠りも浅いほうだし」

「いいですね、おふたりとも」


 春明は心底ふたりを羨んだ。このときばかりは眠りが深い自分の性質が恨めしい。


「ひとによってかなり差がありまして。ひどい者は春明どののように細部まではっきり覚えているようですが……」


 そこで阮之はしげしげと春明の顔をのぞきこんだ。


「春明どのは大丈夫のようですね」

「大丈夫? どこがです?」


 とがった声をあげてしまった春明に、阮之は「すみません」となだめるような笑みを向ける。


「以前、人が死にまして」


 物騒な台詞に春明はぎょっとした。子怜は平然としているところを見るに、すでに承知の話なのだろう。


「皆が悪夢を見ると騒ぎはじめたばかりの頃でしたね。ある晩、夢にうなされていた兵の一人が眠ったまま死んでしまったのですよ。死因は不明です。外傷はなく、持病があったわけでもありません。なにもわからぬまま、とにかく埋葬をすませましたが、それ以来ある噂が広まりまして」


 阮之はわずかに声をひそめた。


「あれは楼西ろうせいの兵に殺されたのだと」


 春明の脳裏に、初日に出会った脱走兵の顔が浮かんだ。殺される。震えながらそう訴えていた男の顔が。


「殺されるのは、夢の中だけでしょう」

「そのとおりです。ですが春明どのは、こんな話を聞いたことはありませんか。戦では、しばしば軽傷で命を落とす兵がいるのだそうです。たとえば、腕に矢を受けただけで絶命する者もいるとか。命を落とすほどの傷ではなかったのに、矢を受けたという衝撃があまりに強く、おそらくここが」


 阮之は自分の頭を指さした。


「死んだ、と判断してしまった。体はそれに従い、動くことをやめたというわけです。あれと同じ現象ではないかと思うのですが」

「ちょっと待ってください。だって夢ですよ? 夢の中で殺されて、死んだと思いこんで、たったそれだけで本当に死んでしまうのですか。そんな簡単に……」

「簡単だよ」


 口をはさんだのは子怜だった。


「簡単に人は死ぬんだ」


 とらえどころのない表情でつぶやくと、子怜はにこりと笑った。


「春明は気をつけてね。夢は夢だ。なに、ようは慣れだよ。殺されなきゃ目がさめないなら、へたに抵抗しないでさっさとやられちゃえばいいのさ。で、また寝ればいい」

「本当に簡単におっしゃいますね」


 春明はつくづくとあるじの顔を見つめた。繊細きわまりない人形のような顔をしているくせに、その下につまっているのは荒縄や石くれのたぐいらしい。まあ、人形のつくりなんてだいたいそんなものだが。

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