第一章 漠野の城(二)

 春明が子怜の旅の随従ともとして雇われたのは、ざっと十日前のことだった。


 その日の早朝、春明は慶州けいしゅうの州都、宜京ぎきょう州令府しゅうれいふの門前で立ちつくしていた。夜が明けたばかりだというのに、あたりには黒山の人だかりができており、彼らは皆一様に興奮した面持ちで、門前に貼り出された木札を見つめていた。正確には、そこに記された五十余名の姓名を、だ。


 墨の匂いすらただよってきそうな姓名の列。それは文挙ぶんきょと称されるせいの官吏登用試験の、三次試験にあたる州試しゅうしに通った者たちの名だった。


 合格者の歓声、落第者の悲嘆、彼らを称え、あるいは慰める家族や朋友たち、さらに野次馬も加わって、あたりは大変な騒ぎだった。


 それらすべてが、春明の耳にはひどく遠かった。朝日をあびて誇らしげにかがやく姓名の中に、春明の名はなかった。


「――ねえ、きみ」


 とん、と背中をたたかれた。ぼんやりとふりむいた春明は、そこでぽかんと口をあけた。


 そこに立っていたのは、すっきりと品のいい身なりの青年だった。年の頃は二十歳手前といったところか。背丈は春明よりやや低く、全体的に華奢な体つきだ。もちろん初対面であるが、春明が驚いたのは、見ず知らずの相手に声をかけられたからではなく、その青年が目もさめるような端麗な容貌の持ち主だったからである。


「突然すまないねえ」


 愛想よく笑いかけられて、春明はかっと頬が熱くなるのを感じた。ほこりっぽい往来で、その青年のまわりだけ淡い光につつまれているかのようだ。道行く人々も、美麗な青年の姿に足を止め、次に無遠慮な視線を春明になげかけてくる。このいかにも田舎くさい少年と、こちらの洗練された美貌の主はいったいどういう関係なのかと。


 通行人にじろじろと見つめられて、ようやく春明は我に返った。


「……あの、なにか」


 おそるおそる尋ねると、青年は「うん、あのね」と、無邪気な笑みを浮かべつつ、さらりと剣呑な台詞を口にした。


「ちょっと顔かしてもらえるかなあ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る