第三章 亡国の城(九)

「やあ」


 扉の陰から、華奢な青年が顔をのぞかせた。


「……あんた、いつからそこにいた」


 するりと部屋に入ってきたのは子怜しりょうだった。


「きみのお母上が追い出されたってあたりから」


 つまりほぼ最初からというわけだ。奎厦けいかは険しい顔つきで立ちあがると扉を指さした。


「出ていけ」


 先ほどまでの親密な空気は霧散し、緑の眼には常のごとく冷ややかで硬質な光が宿っていた。


「おおせのとおりに。だけど、きみも少しは眠ったほうがい。明日も指導を頼みたいからね」

「まだ続けるのか」


 いい機会だと思ったのかもしれない。奎厦は子怜を問いつめた。


「いいかげんにしたらどうだ。あんなことをしても、なんの解決にもならん」

「心外だな。効果は出ているだろう。皆の顔つきも良くなっている。ぼくが来たばかりの頃は皆いまにも死にそうな目をしていたのに、最近はまともになってきたじゃないか。きみだって気づいていると思うけどね」


 それは春明しゅんめいも感じていることだった。夢が襲ってくるのは相変わらずで、兵は夜を怖れている。だが、春明が初めて沙州関さしゅうかんに足を踏み入れたときの、あの墓地のような鬱々とした閉塞感は日に日に薄れていくようだった。


「……いつまで続けるんだ」


 奎厦がいまいましそうに尋ねた。


「たしかに、あんたのやり方にもそれなりの効果があるらしい。夜中に飛び起きて騒ぎを起こすやつもいなくなった」

「でしょう」

「だがな」


 奎厦は子怜の得意顔に釘をさす。


「いくら兵を鍛えようと無駄だ。夢は終わらない。そうだろう」


 奎厦の言うとおりだった。

 

 この夢には、果てがない。


 相手は夢。幻影の兵だ。倒しても、倒しても、毎晩楼西ろうせいの兵はよみがえり、再び剣を手にして襲ってくる。


「はじめはいい。だが、遠くない先、必ず揺りもどしがくるぞ。戦いの高揚は長続きしない。終わりのない戦いに兵は疲れはて、いずれ倒れる。そうなったら二度と立ちあがらせることはできない。それとも、それがあんたの狙いだとでも」

「ああ、そういう見方もできるのか」


 子怜は感心したようにうなずいた。


「きみはよくよく見当はずれの方向に頭がまわる」

「なんだと……」

「まあ落ち着きなって。じゃあ、きみならどうする」


 子怜はにこりと笑う。


「どうやって、この呪いを解く。そうやって楼西の文献をあさったところで、解決の糸口すら見つかっていないんだろう。これ以上いくら過去をほじくりかえしても先には進めないよ。それとも――」


 子怜はさぐるような眼差しを奎厦に向けた。


「まだ、ぼくに話していないことでもあるのかな」


 奎厦は唇をかんで子怜をにらみつけた。


「……出ていけ」

「はいはい」


 子怜はわざとらしく肩をすくめ、春明をうながして部屋を出ていきかけたが、扉に手をかけたところでふりむいた。


「ねえ奎厦。さっきのきみの質問、いつまで続けるかってやつ」


 扉の隙間から淡い光が差しこんでいる。夜明けが近い。


「じつはね、ひとつ考えがあるんだ。聞きたい?」

「いや」

「可愛くないね。まあいいや。邪魔したおわびに教えてあげるよ――夜明け」


 その言葉に、奎厦は目を見ひらいた。


「夜明けまで殺されずに持ちこたえたら、ぼくらの勝ち、てのはどう?」

「……なんの根拠があってそう思う」

「根拠なんてないよ。でも、考えてごらん。楼西の軍が攻めてくるのは決まって夜だ。それも月も星もない闇夜。夢のなかではね。でも現実は――」


 子怜は手をあげ、朝の光に指をかざす。


「こうして夜は明ける。永遠に続く夜なんてありはしない。だから、こう考えた。もし、現実で夜が明けるまで、ぼくらが殺されずに楼西の兵と戦えたら、その瞬間、ぼくらは勝者となる。ね? いい考えだろう」


 奎厦はしばらく子怜をにらみつけていたが、ふいと目をそらした。


「つまりは、思いつきか」

「そう」


 子怜は白い光があふれる廊下に足を踏みだした。


「全部、思いつきだよ」

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