第二章 悪夢の城(四)
「不安にさせてしまって申し訳ありません」
「先ほどの話はあくまでわたしの想像です。あまり気になさらないでくださいね。それに、そうめったなことにはなりませんよ。
「奎厦さまが?」
「ええ。例の一件以来、奎厦どのは毎晩かかさず城内の見回りをされているのですよ。うなされ方がひどい兵がいたら、すぐに起こしてやれるよう」
その見回りのおかげで、春明も助かったというわけだ。あの晩、奎厦が通りかかってくれなかったら、自分は気の狂った兵の手にかかって命を落としていたことだろう。冗談ではなく、本当に幽鬼になっていたかもしれない。
「奎厦さまは、どちらに」
あの後、春明はすぐに気を失ってしまい、それから奎厦には一度も会っていない。おかげで命の恩人に礼も言えていないのだ。
「城外に出ておられますよ。東の城壁の一部が崩れていましてね。その補修を指揮していらっしゃいます」
「よくやるよ」
あきれたように子怜が口をはさむ。
「幽鬼みたいな兵たちを引きずって作業をさせたって、ろくに進みやしないだろうに」
「そうおっしゃる子怜さまは、何をなさっているんです」
非難がましい視線を向けられた子怜は、けろりとして手にしていたものを春明にさしだす。
「春明もやってみる?」
それは手の中にすっぽりおさまるほどの、素朴な木の笛だった。
「ぼくが暇そうにしているのを見かねて、阮之どのが作ってくれたんだよ。なかなかいい出来だろう」
「暇……なんですか」
「そんな目で見ないでよ。だって奎厦が来るなって言うんだもの。にわか城主にうろうろされても邪魔なだけだから、引っこんでろって」
「あの、ご城主、奎厦どのはそうはおっしゃってはいなかったと……」
「言葉は丁寧だったけど、つまりはそういうことだろう」
「はあ、まあ」
阮之も完全には否定できないらしく、苦笑いを浮かべている。
「どうやらあの男はぼくが、というより、城主というものがとことん嫌いらしい。まあ、無理もないけどね。なにせ
「三人!?」
春明は思わず大声をあげた。
「半年で三人ですか」
「そ。ぼくで四人目だよ。前任者たちはそろいもそろって、この城に巣食う
そうなのですよ、と阮之がうなずく。
「最初の方はひと月ももちませんでしたね。次の方はもう少し長くいらっしゃいましたが、その分いろいろと面倒なことをしでかしてくださいました。方々からあやしげな道士やら呪い師やらを呼びよせて、連日呪いをはらう儀式とやらに興じておりましたっけ」
もちろん効き目などあろうはずもなく、そのくせ代金だけはしっかりぶんどっていったのだという。
「その次は三日だっけ? 次から次へとろくでもない上官をよこされて、あの城輔もすっかり腐っちゃったみたいだよ。それは同情するけど、だからといってぼくに八つ当たりされてもねえ」
「ご城主、お気持ちはわかりますが、しばらくは大目に見ていただけませんか。城主不在のなか、奎厦どのはほとんどお一人でこの城を支えていらっしゃったのですから。あのお若さで、なかなかできることではありません」
「若いって、彼いくつ?」
「たしか二十二におなりですよ」
「へえ、意外と若いんだ。もうちょっといってるのかと思った。その年で城輔なんて、ずいぶんと過ぎた地位じゃないか」
あなたが言うか、と春明はあきれた。おそらく阮之も同じ気持ちだったのだろうが、そんな思いは露も表に出さず、「少々事情がございまして」と、つつましく答える。
「奎厦どのは、正式な城輔ではありません。代理でいらっしゃいます」
半年前に沙州関の再建が決定した際、城主の補佐役である城輔にはこの地の事情にあかるい土豪から選出されることになった。有力者が合議した末に選ばれたのが、慶州でも指折りの名家である
「はじめは崔家のご当主が任につくことになっていたのですが、赴任の直前になって急な病にお倒れになりまして。その代理として、当主の甥御である奎厦どのが派遣されたというわけです」
「病ね……」
子怜が皮肉っぽく唇をゆがめたときだった。
ずん、と重い衝撃が地を走った。
「わっ……」
不気味な地響きが起こり、城全体が小刻みに震えた。思わずその場にしゃがみこんだ春明の横で、子怜は阮之をふり仰ぐ。
「いまの、こっちからだった?」
子怜が指差したのは東の方角。阮之が青い顔でうなずいた。
「城壁の……」
東の城壁。そこでは補修工事が行われているはずだ。
「行こう」
駆けだした子怜の後を、阮之が無言で続く。
「ええっ、ちょっと子怜さま! 阮之どのも……」
あっという間に小さくなる二人の背中を、春明はあわてて追いかけた。
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