第三章 亡国の城(四)

「――こんなことをして、なんの意味があるんだ」

 

 沙州関さしゅうかんは内城の城壁上、風になぶられる淡い色の髪をうるさそうに押さえつけながら奎厦けいか子怜しりょうに問う。子怜がちらと奎厦に眼をやったところで、よく通る声が響いた。


「子怜さま!」


 つやめいた声とともに、すらりと背の高いひとが駆けよってきた。


「やあ、紅娘こうじょう


 子怜が親しげに呼びかける。


「久しぶりだね。元気そうでなにより」


 並ぶと子怜よりも背が高いその人物を見た春明は、思わずぽかんと口をあけた。


 年は三十をいくつか過ぎたあたりか、男物の衣を身に着けているが、そのひとはまぎれもない女性だった。陽にやけた肌にくっきりとした目鼻立ちの美人で、頭に紅布を巻いている。


「子怜さまも」


 紅娘と呼ばれた女性は、にっこりと子怜に笑いかけたところで眉をひそめた。


「あら子怜さま、すこしお痩せになりました? お顔の色もよろしくないようで」

「なに、ちょっと寝不足なだけさ。それより早速ものを見せてもらおうか」


 紅娘の心配を受け流し、子怜は次々と運びこまれている荷箱に歩みよった。先ほどから、十名ほどの屈強な男たちが阮之の指示で荷箱を運びこんでいる。子怜がそのひとつを開くと、木とはがねでできた奇妙な器具が姿をあらわした。


「なんですか? それ」


 子怜の肩ごしに箱の中身をのぞきこんだ春明がたずねると、子怜は「だよ」と答える。


「弩……?」

「弓だね。ばね式の。普通の弓は手で弦を引くけど、これはこんなふうに引き手がついている。ここを引っ張れば、ほらね、楽に引けるだろう。そんなに力をこめなくていいぶん狙いも定めやすいし、ばねのおかげで威力も普通の弓の倍はある」


 何度か引き手を引っ張ったり弦をはじいてみたりしたあとで、子怜は紅娘に満足げに笑いかけた。


「いい品だ。倉に眠っている余りものでいいと伝えてあったのに、わざわざ手入れのいいものを回してくれたようだね」

「そもそも倉でほこりをかぶっている武器などないと、こうの旦那さまよりご伝言ですわ。ご自分の目の黒いうちは、武器の手入れをおこたることなど絶対にないと、それはもう大変なご剣幕で」

「だろうね。ああ言っとけば、逆にいい品を選んでくれると思っていたから」

「ま、あいかわらずおひとの悪いこと」


 口に手をあてて含み笑いをする仕草がなんとも婀娜あだっぽい。


「それにしても、早馬を出してまだ十日ちょっとしか経っていないよ。よくこんな短い期間で運んでくれたものだね。無理をさせたんじゃなければいいけど」

「あら、おやさしいこと。ですが、ご心配には及びませんわ。この程度のご依頼も果たせぬようなら一家の看板が泣くというもの。それに、ほかならぬ子怜さまのご依頼ですもの」


 多少の無理はいたしましょう、と色っぽい流し目を送る。


「そんなこと言って。旦那さんが化けて出ても知らないよ」

「あら、大歓迎ですわ。あのひとときたら、かよわい女房と一家をのこして自分だけさっさとあの世にいっちまうんですもの。化けてでもなんでも、出てきてくれればいいんですわ。横っ面のひとつも張ってやって、少なくとも三日は説教食らわしてやりますのに」

「そりゃいいね」

「……おい」


 それまで沈黙をたもっていた奎厦が、もう我慢できないといったふうに口をはさんだ。


「これはなんだ」

「へ?」


 子怜はくるりと奎厦をふり仰ぐ。


「もしかして奎厦、弩を見たことないの?」

「そんなわけあるか!」


 ああうるさい、とわざとらしく両手で耳をふさぐ子怜の横で、紅娘は興味深そうに奎厦を上から下まで眺めまわす。


「こちらの色男は?」

「ここの城輔じょうほ。なに、こういうのが好み?」

「あらいやだ。わたくしは子怜さま一筋ですわよ」


 ころころと笑ったあとで、紅娘はうやうやしく奎厦に向かって腰をかがめた。

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