第三章 亡国の城(二)
事の起こりは十日前、
しばらく工事は中断する、と。
ざわめく兵たちに、子怜はにこやかに言葉をつづけた。
「そのかわり、今日から練兵をはじめるよ。やるとなったらとことんやるから、そのつもりでね」
それだけ告げると「じゃ、あとはよろしく」と、隣で苦虫を百匹くらいまとめて噛みつぶしたような顔をした
奎厦は、うろたえる兵を一喝して整列させ、まずは練兵場の掃除をすませた後、訓練用の班を編成し、武器庫を開いて各人に武器をわたし……と、つまるところ子怜が放り投げたすべての仕事を片付けていった。
奎厦が子怜の指示に納得していないことは、その険しさを増した表情から明らかだった。だが、さすがに上官の命に逆らうことはできないようで、奎厦は黙々と、かつ、誰もけちのつけようのないほど完璧に作業を進めていった。
ああいうのを貧乏症っていうんだよねえ、との子怜の言が奎厦の耳に入らないことを切に願いつつ、春明は「よろしいんですか」と遠慮がちに問うた。
「急に訓練なんてはじめて。そんなことしていたら、城の補修工事が進まないじゃないですか」
「いまだって進んでいないだろう」
「そりゃそうですけど……」
「いいんだよ」
子怜はしゃらっと笑った。
「どうせ進みもしない工事をやらせるよりましだろう」
「まし、なんですかね」
「少なくとも怪我人は出ないさ」
――いや、出ているだろう。しかも大量に。
春明は眼前でくりひろげられる訓練の様子を眺めながら、今日はいったい何人が
慣れない武器を扱っているせいで、ここ数日怪我人が続出しているのだ。そのほとんどは軽傷だが、数が多ければ処置もけっこう大変で、おかげで阮之は大忙しである。
見かねた春明は、最近阮之の手伝いを買ってでている。手伝いといっても、水を汲んだり汚れものを洗濯したりといった下働き程度のことしかできないが、それでも阮之にはおおいに感謝され、気がつけばすっかり阮之の助手といった立場が定着していた。
おかげで郷里に帰る日がどんどん先に延びていく。まあ春明としても特に帰りたいわけではないので、それは別に構わないのだが。
だが、忙しい日々の合間に、春明はふと我が身をふりかえって不思議な気持ちになる。自分がいつの間にか、すっかりこの城に腰をすえていることに対して。
おかしなものだ。こんな城からは一日も早く出て行きたいと思っていたはずなのに。
「ご城主」
春明が物思いにふけっているところに、阮之が練兵場に現れた。
「こちらにいらっしゃいましたか」
「どうしたの」
「それが、たったいま城門に多数の荷車が着きまして。門兵が用向きを尋ねても、ご城主のご指示としか……」
「ああ、着いたの」
子怜はぱっと顔をかがやかせて樽から飛びおりた。
「早かったね。じゃあ阮之どの、悪いけど荷を内城の……そうだな、内城壁の東南角に運ぶように伝えてもらえるかな」
「承知いたしましたが、あれはいったい……」
困惑する阮之に子怜はただ笑みを返し、「奎厦」と、指導中の城輔に声をかけた。
「よかったら一緒にどうだい」
「なにをだ」
「来ればわかるよ。春明もおいで」
それだけ告げると、子怜はさっさと練兵場をあとにする。
二人がついてくることをかけらも疑っていないその様子に、奎厦は派手な舌打ちをもらしつつ、春明はあきらめの息を吐きつつ、その背中を追いかけた。
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