第五章 暁天の城(六)
城壁の上に出たとたん、冷えた夜気が体をつつみ、
ふり仰いだ空に月はない。この城で迎える二度目の朔月だ。視線を下に転じると、遠くのほうで小さな灯火がゆらめいていた。濃い闇の中、風にあおられてちろちろと揺れるその炎は、死人の体からさまよいでた魂のようにも見えた。
氷のように冷たい城壁に手をあてながら、灯をめざしてゆっくりと歩を進める。
ぴい、と細く高い音が耳をうった。
やはり笛の音だと思ったとき、彼方から、かすかに同じ音色が聞こえた。城壁上の誰かが吹いた笛の音に呼応するように、その音は二度鳴った。
「――春明どの」
やわらかな声で呼ばれ、春明は足を止めた。燭の明かりが近づいてくる。灯火のもと、よく見知った顔の男がぼうと浮かびあがる。
「……
「どうしました。こんな夜更けに」
「ちょっと……寝つけなくて」
「今日はいろいろありましたからね」
阮之の声に
「阮之どのこそ、どうしたんですか。いま、笛の音が……」
問いかけたところで、春明はぎくりとした。ゆれる炎のせいだろうか。笑みのかたちをつくる薄い唇が、常になく酷薄そうに見えたのは。
「さても運の悪いかただ」
嘲りのにじんだ声音でそう言いながら、阮之は懐に手をいれた。
「ようやく悪夢から解放された晩だというのに」
骨ばった手の中にきらりと光るものをひそませ、ゆっくりと春明に歩みよる。流れるようなその動作を、春明はただぼんやりと眺めていた。
「おやすみなさい。春明どの」
甘い毒を含んだ声とともに阮之が鋭く手をひらめかせた瞬間、春明の耳もとで風が鳴った。
「ぐっ……」
くぐもった悲鳴に、カン、と固い音がかさなる。阮之がとりおとした手燭の炎が、地に散った血飛沫を一瞬照らし、風にあおられてすぐに消えた。
「――あいにく」
吹きつける風の中で、男にしてはやや高めのその声は、はっきりと春明の耳にとどいた。
「今夜は全員寝ずの番でね」
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