第18話 シロイのおしるこ

「きょーかん、きょーかん、風邪を引きませんでしたか~? 」

 間の抜けた声が、更衣室を出て元の衣服に着替えて、白衣をはおった私にかけられた。シロイ、やはり来ていたのか。

「……見ていたのか」

「はい、部局の女子たちに誘われて~。でも、すごい人だかりで、あんまりよく見えませんでした~」

 シロイは、てへっと笑った。そして、最新式のポケッタブル魔法瓶を取り出した。やたらに女子力が高い、花びらがちりばめられた、ピンク色のポットだ。

「きょーかん、お疲れ様でした~。寒かったでしょ~、おしるこ作ってきました~」

「……そうか、悪いな。では、いただこう」

 私は、魔法瓶に口をつけたが、シロイもこれで飲んでいるのか?と思った段階で、鼻の奥から鮮血が吹き出しそうな気がしたので、想像はやめた。

「あ、きょーかんが愛するモモ先生から借りてきましたから、汚くないですよ~ 」

 余計なフォローだ! 知りたくなかった! だから、モモ先輩との関係は誤解だと、五回どころかもっと言っている!

 それでもまあ、煮沸消毒されていると信じて、私は、おしるこを飲み干した。


 ……あまり甘くなくて、うまい。少しだけ混じった小豆を、舌の上でそっとつぶすと、ほのかにラム酒の香りが鼻腔を通り抜けた。

「ラム酒を使ったのか? 」

「はい、よくお分かりですね~。ラム酒と小豆って合うんですよ~。それに、今日は寒かったから、あたたまっていただこうと思って~ 」

 シロイは、やっぱり優しいんだな……仕事ができなくても、ぼさぼさ髪で声が間抜けでも、そんなことは、もしかしたらどうでもいいことなのかもしれない。


 私は、突然自分でも理解しないまま、感情の赴くままにこんなことを口走っていた。

「シロイ。今日、夕飯をおごろう。どこかでうまいものでも……」

 私の馬鹿! こんなこと言ってどうする! まるでデートじゃないか! とはいっても、口から出たものは仕方がない。綸言汗のごとし、という古語があり、私は別に貴人ではないが、出た言葉は汗のように取り消せない。

 私は、固唾を呑んで、シロイの返事を待った。

「ありがとうございます~」

 お、オーケー……なのか? 私がどきどきしているのも知らずに、シロイはすまなそうに言った。

「でも、今日は入院している大切な人の面会に行く日で……すみません。また、いつか」

 私のほてった顔は、一気に冷たくなった。


 こ、断られた……。これまで女性に誘われて断ることは数多あっても、自分から誘って断わられることは皆無だったというのに。というか、これが人生初のデートのお誘いだったのに……。

「清水招待」の不首尾に、私はあえなく撃沈した。

 そして、大切な人……? まさか、男か? いや、どうだっていいのだが。本当だ。

「きょーかん、どうしたんですか~? 顔、真っ青で、どす黒いですよ~ 」

 青いのか黒いのかわからないくらい、顔色が悪いらしい。

「いや……何でもない。それより、面会に行くのだろう。仕事を定時に終わらせろ」

「はーい」

 シロイは元気よく返答すると、立ち去る前に、私の顔をのぞきこんで言った。

「本当に、すみません~。でも、お誘い嬉しいです~。お詫びに、今度お弁当作ってきますね~」

 シロイの手作り弁当……! どんよりと落ち込んでいた私の心は、すっきり爽快、瞬く間にハイになった。

「……感謝する」

 うまく「ありがとう」が言えない私は、不器用に硬い言葉をかけるしかなかった。

 シロイは、うんうんと首を大きく振って、ぴょんぴょんと跳ねるように駆けていった。


 ……帰り道に、書店で「女性の心理」といったハウツー本でも見てみるかな。いつもは医学書コーナーしか行かないが。しかし、断じて買うわけではない。ただ、ちょっと参考にするだけだ。そうだ、患者やその家族の女性への応対に役立つからだ。

 私は、ふっと青空を見上げた。今日の月はどんな月だろう。早く夜空を見上げてみたい、と考えていた。


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