第5話 居酒屋「マッスル美形」

「ま、とりあえず、ビールお願い」

 先輩が、店員に二人分のビールを頼む。私が一人で酒をたしなむときは、行きつけのバーでウイスキーのジャック・ダニエルをチェイサーなしで傾けるのだが、先輩とは、ここ居酒屋「マッスル美形」(我々は常連だった)で、ビールを付き合う。

「マッスル美形」は、その名の通り、細マッチョで美形の男性店員がにこやかに応対してくれる、コアな先輩たちの仲間にとっては「たまらん」店である。私はいつも恥ずかしい。だが、先輩はいつもおごってくれるので、付き合うことにしていた。

「あんた、何食べる?」

「先輩と同じで」

「じゃあ、枝豆、唐揚げに、刺身でしょ、それから……」

 先輩は、メニューを見て、指差し確認する。そのとき、彼(女)は、くわっと目を見開いた。

「なんですって!? マッチョ男体盛り!? これは頼まなきゃ。あー楽しみ」

 ……そんないかがわしい名前のメニューを頼まないでくれ、頼むから。しかし、このノリは嫌いではない。先輩は、親切でにこやか、みんなの信頼も厚い。私も、それはよくわかる。和むのだ。不思議な魅力だ。だが、繰り返す。美女のように見えるが、中身は男だ。

「……まあ、あんたの話なんだけどさ。シロイのこと、好きになっちゃったなら、しょうがないわよ」

「だから違うと」

「認めなさい」

「絶対ありえません」

「頑固ね。まあ、そこもミリョク」

 語尾にハートマークが見えた気がしたが、私は無視した。先輩は、運ばれてきた枝豆を、指で押しだして(歯で噛んで豆を押し出すのは無粋だそうだ)、豆を一口食べて、ぐいとビールで流し込む。

「シロイは、あんたのことどう思ってるのかしら」

「さあ。うるさい教官なのでは。それに、あれは女を捨てています。私に気があるなんて絶対ないし、私もありません」

「そうねえ……でも、あんた、言葉数は少なくて、厳しいこと言うけど、根は優しいのよね。シロイのことだって、あんな彼女を見捨てないで、医者にしてあげたじゃない。医師国家試験は、教官の推薦状がいるんだし、あんた書いてあげたんでしょ」

「後悔しています」

「まあまあ、美点は自分にはわからないものよ」


 そこまで先輩が言ったとき、細身ながら程よい筋肉、小麦色の肌の男性店員が、大皿を持ってやってきた。

「お待たせしました。マッチョ男体盛りでございます」

「あらまあ」

 先輩はうきうきと、皿をのぞきこんだ。私も気になって、ビールのグラスをちょっと目の高さに上げて、見ていることを隠しつつ、そっと視線を送った。

「なにこれ、チョレギサラダの上に、マグロにタイの刺身と、軟骨が載ってるだけじゃない」

「何を期待していたんですか」

 先輩は、心からつまらなさそうだったが、それでも箸で軟骨の唐揚げをつまんで食べ始める。私はここぞと話題を変えた。

「私の話はもういいですから。先輩のお話は」

「それがね」

 先輩は、箸を止めてうつむく。そして、ビールのグラスを、ピンクトルマリンのリングがはめられたちょっとごつい手でがしっとつかんで、一気にビールを飲み干した。そして、お代わりを頼む。

「アタシ、振られたの」

「確か、とてもいい恋人ができたところまで伺いましたが」

「そう。でもね……ホストだったの。貢いで貢いで、500万イェンもあげたわ。車も買ってあげた。でも、女ができてね。アタシは、男っていうのがバレて。あっさり振られた……」

 私は呆れた。モモ先輩は、毎月の美容にかける金額が100万イェンだという噂だ。それに加えて、ホストに貢いでいたのか……。金の使い方が、多分に間違っている気がする。

「まあ、元気出してください」

「出せるかこの野郎! 」

 先輩はドスのきいた低い地声で叫んだ。びっくりした周りの客が振り向く。その中に、女子会らしき団体もいた。女子会でこういう店を選ぶなんて、どういうセンスだ。

「うっうっ……」

 先輩は、泣きながらぐいぐいと酒をあおり、ビールグラスはジョッキ七杯、白酒にウォッカにテキーラまで飲んだ。ここまで飲んだら、さすがの酒豪の先輩もべろべろだ。ザルじゃなかったのが意外だ。

「ねえ、クロイ……」

 酔って、泣いて、目を赤くして、煽情的なまなざしを私に向けたモモ先輩。もう一度言う。男である。本名はモモタローだという。

「一夜だけでいいわ! アタシを、慰めて~! 」

 先輩は、ぐいっと私のスーツをつかむと、スタンドカラーを着こんだ胸元に飛び込もうとしたが、私は右斜め四十五度の手刀を先輩の腹に食らわせて、ダウンさせた。

「アニイ……よい眠りを」

「アニイ」とは、モモ先輩がほろ酔い加減のときにわざと戯れて怒らせる呼びかけだ。私は、店員を呼び、昏倒した先輩を送るためにエアタクシーを呼んでもらって、会計をすませた。せめてもの慰めだ。


 シロイが好きだなどと、ありえない。


 モモ先輩の言葉を振り払いつつ、先輩に付き合って飲み過ぎ、少しふらつく足で、私は帰途についた。


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