1月(2): オネエとシロイの間で
第4話 オネエ医師モモ
「再建局」に異動してから、私は慣れない暇な業務にうんざりしていた。そして、心臓血管外科の忙しい日々を懐かしく思い返してはため息をついた。しかし、もうそれは過ぎたこと。これからは、シロイを再び、びしばししごきながら、「再建局」でやっていくしかない。そして、いつかまた心臓血管外科に返り咲くのだ。その時までに腕が鈍らなければ、の話だが。そのためにも、とっととシロイをどうにかするしかない。
だが、正直シロイには関わりたくない。これまでは、厄介な教え子として遠ざけたかったのだが、今は違う。先日、「聖ルカ病院での結婚式」が挙行された時、いつもはぼさぼさ髪に安物Tシャツだが、その日に限って着飾ったシロイからブーケを渡されてから、どうも調子がおかしいのだ。こんなことは初めてだ。どうかすると、「白衣をもっと白くするためにクリーニングに出したら黄ばんだ」なんていう、部局の同僚のちょっとした愚痴が聞こえてきたときにも、どきりとする。まさか……「シロ」という言葉に反応しているとは考えられない。そうだ、私は天下のクロイだ。あんな出来損ないの女医とはわけが違う。
とはいえ、この心拍数の速さは尋常ではない。私は、部局が昼休みになった時、古巣の心臓血管外科医局に行った。普通は、心臓の異常は初め循環器内科で診察するが、私は信頼する「先輩」に診てもらいたかったのだ。
「あらあら、クロイ! お久しぶりね……うふふ」
「どうも、モモ先輩」
私を出迎えてくれたのは、医局のデスクでいつもの手作り弁当をつついていた、「先輩」のモモ医師だ。この医師は、私の元教官で、私の医療能力をとても高く買ってくれた。そして、特別に自分のことを「教官」ではなく、「先輩」と、親しみをこめて呼ばせてくれている。私の、数少ない親しい人でもある。先輩は、「ゴッドハンド・モモ」というあだ名があるくらいに、優れた医師である。そのため、私はモモ先輩を尊敬している。
ただ……いわゆる、「オネエ」なのだが。
「どうしたの、出戻り?歓迎するわよ」
「いえ、さすがに『再建局』に行ってすぐに帰ってくるわけには。実は……私は、心臓の病ではないかと」
モモ先輩の、ピンクのカラーコンタクト(先輩は、東の田舎出身で、地毛は黒、目の色も黒なのだが、「オンナたるもの金髪にピンクよ」とのこだわりで、髪を金色に染め、目にはカラコンを入れている、異色の医師だ)が、ぴかりと光った。
「なんですって!? 飯の種が一つ増え……コホン。それは大変、診察してあげる」
「先輩、飯の種とは……」
「うるさい!とにかく、問診からね。あ、でもちょっと待って、お弁当冷えちゃう。せっかく温蔵庫であっためたグラタンだから」
先輩はのんきに弁当を食べ始める。心配してくれているのか、どうでもいいのかさっぱりわからない。
「先輩、私も昼がまだなので」
「あ、じゃあこれ食べる?」
「いりません」
私は即答した。誰が男の(オネエだが)食べ残しを好き好んで食べるか。先輩は、仕方ないわねえ、と口を開いた。
「モゴモゴ……自覚……モゴ、ゲフッ」
「先輩、食べるか話すかどちらかにしてください。あと、私の前でチーズ臭いげっぷはやめてください」
「ま、ごめんね」
先輩は、ハンカチで口元を拭きながら笑った。ああ、オネエじゃなかったら美貌の女性に見えるだろうが、残念、 喉頭 結節(こうとうけっせつ)――「のどぼとけ」がしっかり見えている。
「……で、自覚症状は、いつからなの」
「一週間ほどになるでしょうか。私の自己診断では、 頻脈性(ひんみゃくせい) 不整脈(ふせいみゃく)ではないかと」
頻脈性不整脈とは、一分間に百以上の心拍数が起こり、心室頻拍を起こした場合は、致死性の不整脈を起こす可能性があるのだ。
「五百回くらい打つことが」
「あんた、それは死ぬわよ。とにかく検査しましょ」
先輩は、脈をとった。そして、念のために心電図も撮った。すぐに結果が分かる最新式だ。検査室に向かうとき、先輩はおそらく私の上半身の裸体を想像したのだろうか、はあはあと息を荒くしていたが、それどころではない私は無視した。
「大丈夫、大丈夫、普通よ。異常なし。でも、なんであんたが頻脈性不整脈を疑ったくらいの速い心拍数が起きたのかしら」
「ええ、あの日シロイと話してから、どうも調子がおかしくて」
私は、この際なので、信頼しているモモ先輩に、いきさつを詳しく正直に説明した。すると、モモ先輩は、くすりと笑った。
「それは、シロイが気になっているのよ」
「馬鹿な! ありえません」
「ありえないってことはないわよ。あの子だって一応女だし。あんなだけど。あんなだけど」
二回言わなくても、教官の私がよくわかっている。
「いや、私がシロイを……そんな馬鹿な。そんなことがあったら、天地がひっくり返る」
「あら、天変地異が起こる前に、アタシがあんたを慰めてあげようか」
「結構です」
私がきっぱりお断りすると、モモ先輩はちぇっと舌打ちした。舌打ちするほどのことか。
「ま、健康体だってわかったことだし、あんた部局に戻ってお昼食べたら。それから、今夜ちょっと付き合って」
「なんですか」
「愚痴よ、愚痴。おごるから、聞いて」
先輩は、金髪の長い髪をピンクのシュシュで結んでいるが、そのシュシュを取って、じっと見つめた。
「それは、恋人からもらったって自慢していたシュシュでは……」
「お、男なんて~! 」
先輩は絶叫した。これは、痴話喧嘩の愚痴だな。私は、先輩が涙目になって突っ伏すのを見て、軽く肩をたたいてから慰めて、部屋を出た。
食べ損ねた昼を摂るために。
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