7月: 七夕に祈りをこめて

第35話 七夕に祈りを

 梅雨前線はまだ停滞中だが、七月になり、今日は七夕である。

 院内にも、幾本もの笹が飾られていた。各医局から、短冊に願い事を書き、笹につけてもらった。それを、エントランス付近で披露した。

 本当はシロイが、「七夕の願いかなえます」というおもてなし医療を考えていたのだが、それはクリスマスに近いということ、予算がないということで却下され、我々には笹と短冊を買う予算しか組まれなかった。

 それでも前向きなシロイは、各医局にそれら「七夕セット」を配ってまわった。その結果が、このエントランスの見事な七夕飾りである。


 仕事帰りにエントランスに寄って、それぞれの笹を見ることにした私は、シロイの短冊はあとのお楽しみにして、まず心臓血管外科医局の笹を見た。

「はにぃと結婚できますように」

「モモ先生と別れられますように」

 この二枚の短冊が、ホチキスで留められて一緒になって飾られていた。

 そうか、ついにローザは「はにぃ」になったのか……ご愁傷さま。

 ローザの短冊は、母国語、しかも美しい筆記体で綴られていたため、外国語が得意な私以外、誰も読めてはいないのだろう。彼の必死の願いが伝わってくる。

 次に、循環器内科の短冊を見た。

「サクラが元のかわいい嬢やになってくれますように」

 匿名だが、確実にグレイだ。まだ仲直りしていないのか……。父の美を信じてきたサクラにとっては整形美中年な父親は、裏切りなのであろう。こうやって、人は反抗期を迎えるのだ。

 それから、精神神経科の笹へ回った。

「毛筆が普及しますように。茶会のお客が増えますように」

 これは、ヴィオレットだな。毛筆でさらさらと流麗に書かれている。さすが「ニホン」好きの彼女らしい願いだ。そして、マッドな面を毫も感じさせないところが策士である。

 その隣には、医大の笹もあったが、リラの笹に出くわさないように、私はそっと避けた。だいたい書いていることはわかっているからである。

 そこで、最後に部局の笹を見た。そこで、異様に大きな短冊が飾ってあった。目を引いたその短冊は、薄紫色だった。

「教官の毛髪からの骨培養計画がうまくいきますように」

 リラか! 彼女は、私が医大の笹を見ないであろうとわかっていたのだ。恐ろしい……。そして、毛髪から骨を培養しようとしていたのか。こんないかがわしい願いを、特大の短冊に書くな。

 私はずきずきと痛み始めたこめかみを押さえて、次の短冊を見た。

「嫁が欲しいです」

 部局長か。そうだった、独身なのだったな。こんなところで婚活するな。私はそっとリラの短冊の横に結び付けておいた。カップルになってくれれば言うことなしである。

 シロイの短冊は……と探すが、ない。くるりと後ろの方へ回ると、白い短冊に、小筆でさらさらとこう書かれていた。これは、シロイだな。

「あらざらむ この世のほかのおもひでに いまひとたびのあふこともがな」

 私はもうすぐ死んでしまうことでしょうが、私のあの世への思い出になるように、せめて、もう一度あなたにお会いしたい……。

 イヅミシキブの歌だ。国文学者だったというゲルプさんにまつわる歌なのか。

「きょーかん」

 シロイが、後ろに立っていた。

「イヅミシキブの歌だな」

「そうです。ゲルプが遺してくれた、最期の歌です。わたしは、いろいろなことを彼から教わりました。古語のこと、『ニホン』のこと、様々な風習……楽しい思い出です」

「そうか」

 「でも、それは思い出。ゲルプは、もういないんです。教官が、私に前を向くことを教えてくださいました。だから、私もこの歌を書いて、ゲルプの葬送としました。私もロートの母親、今を生きなきゃ」

 シロイは、いとしそうに短冊に触れてから、そっと周りに見えないように、ハンカチで隠しながら私の手を握った。

 「教官。私も、好きです。ゲルプは、私の誕生日に白薔薇を贈ってくれました。教官も、私に白薔薇を……。その時から、意識していたんだと思います。でもゲルプへの操とロートのことを考えると、思うままにはふるまえなくて。お返事が遅れて、ごめんなさい。でも、教官と一緒にいたいです」

「ありがとう、シロイ」

 生まれて初めて、正直に「ありがとう」が言えた。それは、自然のなりゆきだった。

 「ロートちゃんのことも、ゲルプさんのことも、受け止める、心配するな」

 シロイは、何も言わずに私に寄りそった。その目には、涙がたまっていた。

 そして、涙の一筋に、窓の外の月光が映って流れた。

 我々は二人で、七夕の月をいつまでも見つめていた……。

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