白薔薇のアルツト~患者様、「おもてなし」いたします~
猫野みずき
1月:聖ルカ病院「再建局」~「おもてなし医療」はじめます~
第1話 クロイの受難
私の名はクロイ。ここ「ノイヤーパン」国一番の病院、聖ルカ医科大学付属病院、通称「聖ルカ病院」のエリート心臓外科医だ。
そして今朝は、病院一階のお気に入りのカフェで、優雅にモーニングコーヒーを飲んでいた。お供は、これまたいつものメニュー、小エビのカクテルに彩りのディルが添えられたオープンサンドイッチだ。
今は一月。二百年ほど昔の国「ニホン」では、新年を盛大に祝ったそうだが、現代ではそうでもない。もちろん病院は年中無休、医師に休みはあってないようなものだ。特に救急外来と入院病棟の夜勤業務は忙しい。
だが今は、ゆるりとした時間を、朝刊を読みながら過ごす。昨日は夜勤で、時間通りに夕飯も取れなければ、休憩もろくにとることができなかった。さあ、さっぱりとした気分で、朝寝を楽しもう。引き継ぎも済ませた、急患の病状も記録した。完璧だ。
――いつもなら。
私は、誰に聞かせるともなく盛大にため息をついた。今から、一時間前の悪夢を思い出す。
「失礼します。クロイです」
私が、勤務医局――花形の心臓血管外科だ――医局長の部屋を開けると、彼は朝からどんよりとした顔だった。私は、不安になった。なにか、失敗したか。そういえば、先日の急患の対応はまずかったかもしれない。なにしろ、西の国から来たという外国人で、ろくに話が通じず、仕方なく国際共通語であるフロリッシュ語を駆使して話したが、意思疎通ができたかはわからない。私の、完璧な勤務ぶりにけちがついてはならない――。
「どうかなさいましたか。私に何か問題でも……」
慎重に、失礼にならないように尋ねる。医局長は、目が死んでいた。
「いや、クロイ君。君のせいではない。問題は……シロイ、シロイ君だ! 」
医局長が暴発した。わなわなと震え、拳を握りしめ、血管が額に浮き出ている。ああ、点滴しやすそうな太い血管だな、などと考えつつ、私は今の言葉を反芻した。
シロイ……シロイか! あの問題児、出来損ない、落ちこぼれの身だしなみをかまわない女を捨てた奴、私がアルツトラインの教官に任命されてから、一番忙しい手を煩わせて、それでも医師国家試験は一発で通った強運の持ち主で、ようやく教官の重責から解放されたと思っていた、あのシロイ……!
「シロイが、何かしでかしたのですか……」
これはもう確定事項だ。私も、かつての教官として責任を負わなければならないのか? 勘弁してくれ……。
「シロイ君は、アルツト――医師として使いものにならん。小児科では子供に受けはいいが、甘いもので餌付けするので親の評判が悪い、皮膚科では間違えて塗り薬の代わりに糊を渡す、眼科では視力検査の際にランドルト環の代わりに、患者をリラックスさせるためといって、ピクトグラムを見せる。昨日付でアルツトになったが、心臓血管外科など、とてもとても……そしてその他諸々だ! 」
――やっぱり。こんな予感はしていた。私が指導していた時から、シロイは変人というか、奇人というか、一風も二風も変わっていて、手こずったものだ。よく、医学部に入学して、進級できて、一番難関の心臓血管外科に配属されたなと何度も思った。そもそも医者に向いていないのだ。
「……それで、ご用件は」
もう、なんだか言い渡されることに想像がついて、私の目も濁った魚の目をしていたように思う。お互い、心臓外科のエリート医師同士、朝からぐったりとして、弱々しい笑みを浮かべていた。医局長は、つかつかと歩み寄ってきて、私の肩をたたいた。
「アルツトラインと教官は、現役の限り心理的師弟関係にあるのは、承知だな。そこで君は、身分としても、もう一度教官になってくれ。あのシロイ君を国家試験に合格させた力量の持ち主だ。君を見込んで、頼む。シロイ君が医師のままでは、この病院は……危ない。それで、医局異動を申し渡すことになる。シロイ君と共に、『病院再建局』勤務になる」
私の頭の中を、「左遷」「左遷」「左遷」……という言葉が、それはもう壊れたメリーゴーラウンドのようにぐるぐると回り続けた。私が今まで築いたエリート医師としての順風満帆な出世街道が……あの、シロイのせいで……。
この恨み、晴らさでおくべきか。
私は、シロイの無邪気なにこにこ笑う顔と、「きょーかーん! 」と、仮にも教官であり上司の私に向かって気軽に呼びかけるその間の抜けた声を思い出して、ぶるぶると震えた。
「……頑張ってな」
医局長は、げんなりした笑顔を浮かべて、握手を求めた。我々は、シロイの件で同志となった。
それが、一時間前の話だ。私は今から、「病院再建局」に行かねばならない。サンドイッチの最後のひとかけらと、コーヒーをぐっと飲み干してから、私は伝票を手にした。今日の朝食は、なんだかしょっぱかった。
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