第2話 シロイとの再会
「聖ルカ病院」は、実は経営が傾きがちだ。国で一番という名誉と矜持があり、それが災いして医師たちはプライドが高く少々傲慢で、患者離れが進んでいた。
そこで、数年前に「病院再建局」という部局が設けられた。聞こえはいいが、要は左遷先である。病院の経営をいかに再建するか、資金繰り、患者を呼び込むための催し物、待遇改善などを、会議で話し合い、上申書を作り上げ、病院事務とお偉方に提出して、病院の再建に一役買うのが、主な仕事だ。
……つまらん。
私は、「再建局」の狭い応接間で、ぬるい紅茶とぱさぱさのケーキでもてなされつつ、そんなことを考えていた。なにしろ、これまでは、心臓血管外科きってのエリート医師として、手術に回診、診察、会議と忙しい毎日を送っていたのだ。こんな暇なところにいたら、きっと腕が鈍る。
これもシロイのせいだ……。シロイめ、アルツトライン時代から私に苦労をかけていたが、医師になってからまで面倒をしょいこませるとは。
許さん。
その時、いきなりドアが開いた。びっくりして振り返ると、久しぶりに会うシロイが、
「あ、ノック忘れちゃった~ 」
などと言いながら入ってきた後で、てへっと効果音が付きそうな笑みを浮かべて、後ろ手でノックをしている。ノックは入る前にするものであって、入室してからコンコン叩いてどうする……。
私は、怒りが一気に萎えた。誰でも萎える。シロイは、こういう奴なのだ。
「きょーかーん! お久しぶりです~。えへっ」
シロイは、そのぼさぼさの、目にかかる白銀の髪をかきわけて、私の顔をよく見ようとする。
馬鹿! 距離が近い! シロイの、不養生からできたにきびの芯まで見えるところに、彼女は顔を近づけた。シロイはアルビノで、特有の弱視だからだろうか。もう少し度が合うコンタクトをしろ。弱視でも矯正可能なコンタクトが最近できたはずだ。
「相変わらずだな」
私はぶっきらぼうに返して、ふいと顔をそむけた。できれば一生関わりたくなかった教え子だ。
シロイは、
「ケーキ、わたしの分ありますか~? 」
などとのんきに聞いている。「再建局」の秘書は、シロイのために、いかにも金のない部局らしい、一目で安いバタークリームを使っているとわかるケーキを、欠けた皿に載せて持ってきた。紅茶は、私と同じく、香りも湯気も立たない味気なさそうなものだ。それでも、シロイはおいしそうにぱくついた。
味音痴なのか、気を遣っているのか。たぶん前者だ。
私はその間に、およそ数年ぶりに会うシロイを、なげやりな視線で見つめた。
シロイは、数年前に私が教官として教えたアルツトラインだ。
アルツトラインとは、いわゆる「医師の卵」である。彼らが目指すのは、医師――正式名は「アルツト」だ。医学部を卒業した後、希望と成績により特定の医局に配属され、教官の医師に教えを乞いながら、臨床経験を積み、医師国家試験合格を目指す。担当教官とアルツトラインは、大抵現役である限り、心理的な師弟関係にあり、学会でもそのようにふるまうが、問題児シロイと関わりたくなかった私は、シロイが医師になるのを見届けることなく、正式な教官を離れたのをいいことに、連絡を取ることはなかった。そしてシロイは、その突飛な問題行動のせいで外来ではお呼びでなく、入院病棟で患者の話し相手になっていた。そのシロイが、よく医師になれたな。「聖ルカ病院」七不思議があるなら、迷わず一位にランクインするだろう。
彼女は白銀の髪と淡い青色の目を持つ。そう言えば美人のようだが、ショートカットの髪はぼさぼさ、櫛目も入れている様子がなく、前髪は目にかかり、いつ髪を切ったのか、と言いたい。白衣の下には安いファストファッションブランドのTシャツ。本当に身なりに構わないところは変わっていない。
反対に私は、黒くて肩までの髪を、ワックスで少々固めて、自分なりにおしゃれをしている。目は深緑色、これも気に入っている。縁のない眼鏡に、シロイのような安物シャツではなく、白衣の下はオーダーメイドのスタンドカラーを着こんでいる。今日は、青いストライプのシャツだ。そして、翡翠のカフスボタン。シロイとは大違い、なんで私がこんな出来の悪い女医と勤めないといけないのだ。チャンスの神は前髪しかないというが、きっと不運の神は禿げ頭だ。つかむ髪すらなく、転落していくばかり……。
そんなことをつらつら考えていると、「再建局」の部局長が入ってきた。ぺったりと禿げかかった髪をなでつけて、太鼓腹を揺らした、典型的なおっさんだ。
「どうもどうも、クロイ先生。いらしていただいて光栄です」
先方が握手を求めてきたので、仕方なく返したが、なんだかぬるぬるした手で、私はさりげなくポケットに手を入れて、ハンカチで手をぬぐった。
「シロイ先生も、どうも来ていただいてありがとうございます」
部局長はシロイには、どことなく冷たい態度をとる。シロイの噂は、きっと病院中に知れ渡っている。私は、こんなシロイの教官であることが恥ずかしかった。同列に見られたくない。絶対に。
「早速ですが、お二方には、病院再建の一案を、とりあえず出していただけますか。私どもの考えでは、できるだけ費用がかからず、かつ患者の方に来ていただける、新しい病院を目指しております。斬新なアイデアは歓迎ですよ。どうか、ひとつ」
私は、これしかないとばかりに、一刀両断した。
「そんなもの、入院費を上げて、薬価が高い薬を出しつづけ、入院中の患者の食事は最小限かつピンハネすることが一番ですよ」
「いや、クロイ先生、最近はお上が厳しくて……」
部局長は、なんとも歯切れの悪い返事をする。患者に治療費を負担させて何が悪い。治してやっているんだ。それに、病院がなくなって困るのは患者なのだ。
そのとき、しばらく首をかしげて考えていたシロイが、にこっと笑って言った。
「わたし、この間病棟で婚約中の女性と話したんですけど、病院で結婚式を挙げられたらどうでしょ~ 」
はあ? 馬鹿かお前は。病院は、式場じゃないんだぞ。そう、小言を言おうとしたとき、部局長が目をぎらぎらと輝かせて、身を乗り出した。
「ほお! 斬新なアイデアですな」
「でしょ、でしょ~? なかなか、入院している患者さんは、結婚式を挙げられなくて、夢がかなえられない方もいるんです~。中には、花嫁になりたい夢をかなえられずに、亡くなる方もいて……」
シロイは、神妙な顔になった。こんな顔のシロイは、初めて見た。
「だから、病院で、花嫁衣装を着られたら、女性たちの憧れの病院になると思うんですよ~ 」
いや、病院が憧れになっても困るのだが。そう思った時、部局長がノートを取り始めた。
「ほほお、シロイ先生、もっとアイデアをお聞かせください。それでいきましょう! 『聖ルカ病院で、あなたも花嫁に! 』いいですなあ、夢がありますなあ」
だから、病院に夢を求めてどうする。私は、この朝何度目かの大きなため息をついた。二人は私の存在を無視して、熱弁をふるう。どんどん話は固まり、ついに「病院で花嫁になりませんか」という募集をかけることになった。
……ついていけん。
私は、心臓外科の目まぐるしい、しかし性に合っていた忙しさを懐かしく感じた。
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