10月: ブラウの最期~花魂界で咲き誇るたましい~

第41話 クロイ、一世一代の賭け

 十月の定期診断の日、私はシロイを伴って「一世一代の賭け」に出るために、厚生省M機関へ向かった。もちろん、「転魂」を止め、これ以上の犠牲者を出さず、「医療という名の悪」を潰すためである。


 M機関の建物に入るには、もちろんシロイの偽造ICカードは必要であった。それに加えて、薄い手術用グローブに、偽造の指紋を入れてもらった。これはリラの情報局のたまものである。何かまた気持ち悪い礼をしなければならないか、と思っていたが、先日の「手首の出っ張りおさわり」が功を奏したのか、礼は要求されなかった。よほど悦に入っているらしい。


 シロイは、私の助手ということで、あとから来てもらうことにした。その間に説得するのである。そして、ゲルプさんが好んだ「喪の粧い」で来てもらった。シロイの姿は最終手段である。できれば、悲しみのゲルプさんの姿を彼女に見せたくなかったこともある。シロイには、厚生省内のカフェで時間をつぶしてもらうことにして、専用のインカムを渡しておいた。これを使って、「のっぴきならない瞬間」に来てもらうのだ。

「ようこそ」

 定期診断を迎えたブラウ長官は、相変わらず嘆きの顔で私を迎えたが、どこか雰囲気が違っていることに気付いたらしい。

「どうかなさったのか」

「長官」

 私は単刀直入に切り出した。こういう時は、だらだらと引き伸ばさないほうがいい。それを、私は経験で知っていた。

「私は、『転魂』に賛成できません。どうか、『魂のメス』を処分なさってください」

「何をおっしゃる」

 長官は乾いた声で笑った。嘆きの顔が、余計にゆがんで苦しそうに見える。

「あなたの、『パス角膜』で、どうか処分してください」

「『パス角膜』は極秘のはずだが」

「さる筋から手に入れた情報です」

「しかし、そんなことはできない。これは一大プロジェクトなのだ。私に全権が与えられてはいるが、『ムラサキ卿』の復活と、私の、次のドナーへの『身体移転』のためには必要な計画です」

「しかし、あなたがたは死者です。死者のために、生者の命を犠牲にすることなど、私にはできない。あなたがたは、一度生をまっとうされた。しかし、そのあなたがたのために、人生の半ばで命を終えねばならない者の気持ちをお考え下さい」

 ブラウ長官は、目を伏せた。これは、可能性がある。人間性が残っているのだ。

「だが、これは国家の計画だ。『ムラサキ卿』の復活を、総理が望んでいらっしゃる」

「『ムラサキ卿』は、二百年前もの昔に亡くなった方です。いくら仁政を敷いた方とはいえ、その魂を現代の生あるドナーに移して復活させるなど、狂気の沙汰です。そんなものは医療ではない。『殺人』です」

 ブラウ長官の瞳が揺れた。だが、長官は踏みとどまった。

「これは、国民のためでもある計画だ。私一人の問題ではない」

「仕方ありませんね」

 私は、覚悟を決めた。インカムで、そっと暗号――「白薔薇、走れ」とつぶやいた。

「あなたがたが、いかに生ある民の命を踏みにじったか、お見せしましょう」

 ノックの音がした。長官が声をかけると、事務官がシロイを通した。

「クロイ先生の助手の方です」

「あ、あなたは……ローゼ……いや、シロイ医師……」

 ブラウ長官は激しく動揺した。シロイは、ゲルプさんの姿のブラウ長官を見ると、ぐっと唇をかんだ。

「私を覚えているわね、ゲルプ」

「ぐっ……」

 ブラウ長官は、シロイを正視できなかった。手で目を覆い、シロイを避けようとするが、彼女の声、一度見た姿、甘いシロイの髪の香り、そういった絆を肉体が覚えている、「身体記憶」がどうしても反応するのだ。そして、ブラウ長官の青い瞳から涙がこぼれた。

 シロイの目からも、雫が零れ落ちた。気丈に耐えようとするものの、やはりつらいのだろう。私は、シロイの隣に立って、肩を叩いた。シロイは、こくりとうなずいた。大丈夫です、と言いたげだった。

「長官、おわかりですか。あなたが民のためと管理なさって来た計画は、民を使い捨てる棄民政策なのですよ」

「……負けた」

 長官は、涙をぬぐって穏やかに言った。

「私の責任で、『パス角膜』を使って、『メス』を処分しよう。総理には、私が遺言で伝える。ヴィオレット医師にもだ。そして、『ムラサキ卿』の魂も、『御箱』から解放しよう。あの方も、長いこと閉じ込められて、魂のみ生きてこられた……それが、あの方の望みであったかは、今は誰にもわからないというのにな」

 長官は、手まねで我々に執務室から出るようにうながした。

「『メス』を処分すれば、この『身体』も朽ちる。シロイ医師……あなたには、見せたくない。それが、せめてもの罪滅ぼしだ。十分で終わる。終われば、合図する」

 シロイはゲルプさんの「身体」をじっと見つめた。これが、二度目の別れなのだ。目は涙で充血している。私はシロイを思いやって、そっともらい泣きした。

「では、我々はまた戻ってまいります。そのときまでに、処分をよろしくお願いいたします」

 私たちは、執務室を出た。静かな廊下で、二人で待った。

 ブラウ長官は、根っからの悪人ではなかった。それが救いだった。これがヴィオレットのようなマッドな官僚だと、こうはいかなかっただろう。賭けは、成功した……。




 

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