第42話 花になれ、さらばブラウ
「遅いですね」
シロイが言った。確かに、時間がかかりすぎる。もう十分は過ぎているのに。
その時、私の脳裏に「心臓病」という言葉が浮かんだ。そうだ、長官は心臓病患者なのだ。なにかあったかもしれない。
「シロイ、入るぞ! 」
我々が中に入ると、果たしてブラウ長官は苦し気にはあはあと息をつきながら、みぞおちのあたりを押さえ、倒れていた。
心筋梗塞だ。
「『メス』は処分したが……苦しい……」
「シロイ、急いでAED(自動体外式除細動器)を! 」
「はい! 」
シロイが室内にあるAED装置を取り出す。
ブラウ長官は、装置を取り付けようとする我々を制止した。そして、嘆きの顔で微笑んだ。
「やはり、医者だな。朽ちる『身体』でも、助けようとしてくれるのだな」
「医師としては、見捨てられません」
「やはり、負けたよ。私に、救命措置はいらない。このまま第二の死を死んでいく」
そして長官は、焦点の合わない目で遠くを見やった。
「『花魂界』を知っているか? 」
「いいえ」
私が答えると、シロイが言った。
「伝説の、『ニホン』における『あの世』『常世』ですね」
「あれは、本当にあるのですよ。私が『転魂』で魂を保存される前、一時『花魂界』に行っていた時、私はアネモネになっていた……。『花魂界』ではショウビ神が統べる。死んだ魂は、ここで色とりどりの花になって咲き誇る。魂は、花から錬成されるのですよ。次は、どんな花に……なるのか……」
ブラウ長官の、とぎれとぎれの言葉が、切れた。腕が、ことりと床に落ちた。シロイは、目を伏せて長官の目に手をやり、まぶたを閉じた。
私は、事務官に連絡を入れた。
「残念ながら、ブラウ長官は突然の心筋梗塞でお亡くなりになりました」
何人もの事務官に医務官がやってきて、長官の遺骸を運んでいく間、シロイは震えていた。
「どうした、シロイ」
「いえ。ゲルプは、どんな花になっているのかな、と思って……」
そう言って、シロイは指で目をぬぐった。
「そうだな、ゲルプ(黄色)だから、ひまわりかもしれないな」
「ひまわり……ゲルプの好きな花でした。そうかもしれません」」
シロイは、物陰に私を呼んだ。
「教官、いいですか」
「なんだ」
「……泣いてもいいですか」
「思う存分、泣いていい」
シロイは、声を抑えつつも号泣した。私は、泣くシロイを胸に抱き留めた。スタンドカラーは、シロイの涙で濡れた。そのしっとりとした感触は、冷たいというよりもあたたかい涙の軌跡、終わった愛の嘆きと、恋人の二度目の死への哀悼、そういったシロイの生きた過去と失った愛情、悲しみながらもあたたかさに満ちた露だった。
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