5月:嘆きのブラウー「転体魂一計画」-

第21話 モモの異変

 五月になった。私が愛する、新緑の季節だ。病院内の庭に植えられた桜も、葉桜となり、みずみずしい若葉を陽光の下で輝かせていた。私は、いつもは自分のハイブリッドエアカーで通勤するが、この季節は昔懐かしい自転車で、病院にやってくる。新鮮ですがすがしい空気を胸いっぱいに吸い込み、味わうためだ。

 そんなわけで、今日も私は黒髪をなびかせて、自転車をこいでいた。健康にもよく、美しい景色を堪能できるこの自転車という乗り物はお気に入りだ。

 ちなみに、スタンドカラーはリュックの中に納まっている。自転車通勤の時は、皮膚がん予防のため、紫外線をブロックする日焼け止めを塗って、スポーツ用のトレーニングTシャツと、軽いフェザーウインドブレーカーをはおった姿でこぎ、後は部局の更衣室で着替えるからだ。


 いい気分で自転車をこいでいると、手にしなくても通話ができる、コミュニケーターインカムの呼び出し音が鳴った。この音は、有名な遊園地のテーマ曲だ。甘いオルゴールの音が耳をくすぐる曲名は、「桃色の夢」。

 モモ先輩だ。

「はい、クロイです」

「クロイ。今日、医局に来なさい」

 いつになく真剣なモモ先輩の声に、私は別の意味でどきりとした。何事かあったのだろうか。

 昔も一度、こんなことがあった。早朝から突然呼び出され、医局に駆けつけると、先輩はひどく暗い顔をしていた。わけを聞いても答えようとせず、いつものような明るいノリもなく、先輩は静かにハンカチで涙をぬぐった。ただここにいてほしいのよ、と先輩は言った。私は何も聞かずに、有給を取って一日付き添った。それ以来、こんなに影のある真剣な先輩の声を聞かなかったのだ。

「何かありましたか」

「ご名答よ」

 モモ先輩は笑ったが、それは悲しく水のせせらぎが歌うような声だった。

「いったい何が」

「それは、あとの話よ。あんた、自転車通勤でしょ。危ないから、あまり考え込まずに来なさい。ちゃんと話すから。そしてもしかすると、あんたの心臓血管外科医局復帰がかなうかもしれないんだから」

 そこまで言うと、通話はぷつりと切れた。私は十分どきどきしていた。医局復帰……。それは願ってもない話だが、シロイはどうなる? 私が再び「再建局」で教官になれと言われ、しごいて仕事をさせているあのシロイは?

 いや、断じて離れたくないわけではない。ただ、彼女が仕事をさぼりまくる駄目女医にならないかと思うだけだ。本当だ。

 そこまで考えたが、先輩が言うように危険なので、努めて思考を反らした。

 目に映る新緑が、一気に暗い影を帯びた……古い時代のレントゲン写真で、木々を写したかのように。


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