第30話 シロイの真実ー大切な人ー

 エアバス停で我々は落ちあい、バスに乗り込んだ。そのバスは、官庁の立ち並ぶ「ナガタチョウ」行きのバスだった。私も、厚生省へ乗り込んだ時は、このバスを使った。

 入院患者の面会にどうしてこのバスを、と思ったが、私が質問する前に、シロイがICカードを手渡してくれた。カードには、知らない人物の名前が書かれていた。

「これは」

「今から行く病院は、厚生省医療特務機関の附属病院です。そこで、ICカードが必要なんです。だから、偽造してもらいました。教官のICカードは使えませんから。履歴が残りますしね」

「どうやって偽造したんだ? 」

 隣に座るシロイは、いたずらっぽく笑った。シロイは、稀なことに化粧をしていた。そして、ぼさぼさの髪もきちんと整えている。まるで別人だ。……美しい。私は、見惚れた。

「リラちゃんに頼みました。情報局の仕事の速さのたまものです」

 リラ? ああ、あの時インカムで通信を入れていた相手はリラだったのか。それにしても、よくあのリラが、落ちこぼれのシロイを馬鹿にしているリラが、シロイの頼みを聞いたな。いや……しかし、代償があるとするなら、もしかしたら……。

「きょーかん、すみませんっ! 」

 シロイの声と同時に、私の髪は引っ張られて、ぶちっと音がした。

「何をする! 」

「いえ、きょーかんの髪の毛一本と交換に、偽造してもらいましたから~ 」

 にこにこ笑うシロイの片手には、一本どころか数本抜かれた私の毛髪があった。

 リラ……私の毛髪など、何に利用するつもりだ。しかし、この場合致し方ない。シロイは無邪気なのか、腹黒なのか……。

「まあいい。このカードを提示すればいいんだな」

「はい。お願いします」

 

 そんな会話をしているうちに、我々は目的地のバス停に着いた。そこで、二人で下車して、歩き始めた。

 目指す病院は、厚生省の隣にある、異様にボディチェックの厳しい病院だった。M機関の附属病院とあればそうであろう。

 とはいえ、毛髪数本と交換にリラに偽造してもらったICカードは、効を奏した。指紋まではチェックされなかったのが、救いである。それは、シロイのとりなしによるものだったようだ。

「この人、私の兄なんです。ロートを一目見たいと上京してくれて。よろしくお願いします」

 いつの間にか、私はシロイの兄になっていた。

「ローゼさんのお兄さんですね。わかりました」

 シロイは信頼があるらしく、カードのチェックが済むと快く入れてもらえた。

 ロート(赤)……シロイの大切な人の名前か。どんな人物なのだろう。そして、シロイをローゼと呼んでいたな。どういうことだ? ミドリさんも、シロイをローゼと呼んだが。

 私はエレベーターの代わりに開発された高速リフトに乗って、そんなことを考えていた。


「ここです」

 長い廊下を歩いて行くと、ある部屋の前でシロイがささやいた。

「教官。ここにいるのは、わたしが命に代えても助けたい人です。そして、わたしの秘密です。わたしには、この人の存在のために、様々な秘匿義務があります。でも、教官を信頼してお連れしました。……どうか、わたしを嫌いにならないで下さい」

 そんなことを言うシロイは、初めてだった。苦しそうな、そして悲し気なシロイの瞳のひかりは、弱々しく光った。

 よほどの秘密か。だが、私も秘密を抱えている。しかも、シロイの仇を知り、「転魂」という殺人計画についての秘密だ。そんな私が、シロイの秘密を知っても、嫌いになるわけがない。むしろ、自分が抱える秘密で嫌われる方が怖い。

「大丈夫だ。約束する」

「では」

 シロイは、カードスロットにICカードをさっと刺した。ドアはゆっくりと開いた。


「ロート、来たわよ。いい子にしていた? 」

 シロイが、明るい声で、病人に声をかけた。ベッドに横たわっていたのは、幼い女の子だった。

「ママ! ロート、いい子にしてたよ! 」

 ママ……だって? いぶかしがる私を尻目に、シロイはロートという少女の世話を焼く。

「夕ご飯は? 」

「食べたよ。ね、ロート、いい子でしょう?」

「そうね、寝転がって絵本を読んでいなかったらね」

「あ、ばれちゃった」

 ロートちゃんはにこっと笑った。笑った様子はシロイに似た少女だ。黄土色がかった金髪は長くのばし、三つ編みにしている。目は私の目より明るい緑色だ。

「そんなことしていると、眼鏡かけないといけなくなるわよ」

「はーい」

 そんな会話が続いた後、ロートちゃんが入り口に立ち尽す私に気付いた。

「ママ、あのおじさんは誰? 」

 おじさん……。私は肩を落とした。シロイがフォローする。

「お兄さん、でしょ!まだあの人は若いのよ」

「そっか。じゃあお兄さん、誰?」

「ママの大切な人よ」

 その言葉に、私の心臓は高鳴った。


 ……大切な人! これは、期待していいのか? そうなのか、シロイ?


「大切な人? 」

「そう、でも看護師さんやドクターたちには、内緒よ。いい?」

「うん! 絵本買ってくれるなら」

「いいわ」

「約束! 約束! 」

 少女は、シロイと秘密を共有するのが嬉しかったらしい。シロイがそっと近寄ってきて、耳元でささやいた。

「わたしの、一人娘です。ロート、愛称はトゥリペ(チューリップ)、八歳です」

 娘……? シロイは、母親だったのか。しかし、今二十六歳のはずであるシロイの、十八の年の子供なのか。聖ルカ医大に入学した時の子供だ。そんなに若くして、子供をもうけていたのか。そして、おそらく父親はゲルプさんだ。ブラウ長官の黄土色がかった金髪がゲルプさんの身体であるから、この髪は遺伝だ。間違いない。

「お兄さん、ロートと遊んで! 」

「こら、ロート! 」

「いいんだ。……何をして遊ぶ? 」

「お父さんごっこ! 」

 お父さん……やはり、老けて見えるのか。微妙だ。

「ロート、そんなこと言うなら、絵本はお預けよ」

「ごめんなさい、お兄さん」

 反応が早いな。どれだけ絵本が好きなのだ。

「すまない、ロートちゃん。その代わり、絵本を今度買ってきてあげよう」

「ありがとう、お兄さん!」

 ロートちゃんは、ベッドの上で体をゆすぶった。その時、彼女は苦しそうにうめいた。

「ほら、病気が治らないわよ。安静にして」

 シロイが静かに、だが厳しく言った。ロートちゃんはおとなしくなった。

「じゃあ、ママたちはもう帰るわ。面会時間が終わるから。また来週ね」

「絶対絶対来てね」

 ロートちゃんは、シロイの手にすがった。病気なのだ、心細いのだろう。シロイはやさしくロートちゃんの手を取った。

「絶対よ。来るわ」

「ありがとう、ママ」

 そして、ロートちゃんは私の方を向いて、手を振った。

「お兄さんも。また来てね」

「ああ、また来るよ」

 本心からの言葉だった。

 シロイの娘……ならば、私にとっても大切な人だ。これが、シロイの真実の一端なのか。それでも、受け入れよう。シロイ、私にとって、お前はあまりに大切だ……。


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