6月(2)精神科医ヴィオレットーマッドアルツトと抜魂ー
第32話 モモの悔悟
精神科医ヴィオレットとのミーティングが明日に迫った日、モモ先輩からメールが来た。
「帰りに、医局に寄ってちょうだい。話があるわ」
ちょうど私もヴィオレットについて聞きたいことがあったので、快く了承した。そして、仕事が終わってから、私は心臓血管外科医局へ向かった。
モモ先輩に、「相談室」に招き入れられると、私は早速聞いた。
「あの精神科医――ヴィオレットについて教えてください」
「その前に、あんた『転魂』には加担するの? 進退は決めた? 」
「はい。私は、あのような『殺人行為』には手を貸しませんし、どうにかして潰します。次の犠牲は、シロイの子供なのです」
私は、シロイのことを簡潔に話した。秘密ではあるが、「転魂」を潰す情報を得るには、モモ先輩の手助けは絶対に必要である。
「……そう。ゲルプさんには、娘さんがいたのね。あの人は、幸せだったのね……」
モモ先輩は、唇をかんだ。悔しいのだろう。厚生省に従うしかなかった、若き日の自分が、許せないのかもしれない。
「ですから、モモ先輩の悔しさも解放したい。そのためには、情報が必要なのです。何でもいいですから、教えて下さい」
「とにかく、アタシもいろいろ思い出してみるわ。まずは、ヴィオレットについてね」
モモ先輩は、私の肩の向こうに視線をやった。彼女や「転魂」には、心底向き合いたくないのだろう。
「ヴィオレットは、あんたよりひとつ先輩の『べステナーメ』保持者よ。精神科医で、臨床心理士でもあるわ。でも、内実は、『人の心がどう壊れるか』に関心があって、臨床でも人を追い詰めていくの。八年前の手術の時には、師匠のアイという精神科医の代理で執刀したの。でも、それは表向きで、実はアイをわなにかけたという話もあるわ。つまり、自分が執刀したいがために、初めての手術で不安な恩師の心を、『カウンセリング』で追い詰めたのね。総理は彼女の若さに不安がっていたけれど、結局手術は成功して、あの人はよみがえったブラウ長官の腰巾着になったわ。実のところ、『転魂』に敵視されている『心療外科推進計画』の座長でもあるから、ごまをすっておきたいんでしょうね」
「『心療外科推進計画』……」
「これはまだまだ計画の段階よ。人の心を外科手術するなんて、無謀な試み。魂を変異させる可能性があるということで、『転魂』からは敵視されているけれど、長官の手術に成功したあのヴィオレットが座長で、一応はまだ潰されずにいるって話よ。あのマッドアルツトは、人の心を壊すことしか関心がないっていうのに。長官も恩義を感じてか、あの計画には口出ししないみたいね」
「他には。彼女のことなら、何でも。明日がミーティングなのです」
「そうね、とにかく『ニホン』が好きね。書道に茶道も師範級よ。ミーティングの時は、気をつけなさい。『心を壊してくる』可能性があるわ」
「いえ、私が執刀すると思っている限りは大丈夫でしょう」
「そうね」
モモ先輩は寂しく笑った。
「とにかく、なんとかして『魂のメス』のありかを聞き出しなさい。あれがないと、『抜魂』できないわ。あの『メス』を、なんとかして処分すれば、ロートちゃんは助かるわ。ただ」
モモ先輩は、言葉を飲み込んだ。
「何ですか」
「シロイには酷な話ね。『メス』を処分すれば、ロートちゃんは助かる。でも、その『メス』は、ブラウ長官の『身体』とつながっているわ。『魂』を入れた際に、長官の希望で、『メス』が自分の知らないところで処分されるのを防ごうとしたの。だから、『メス』がなくなれば、長官の『身体』……ゲルプさんの『空蝉の身体』まで、朽ちるのよ」
衝撃的な話だった。シロイの恋人は、二度も亡くならねばならない……。それは、恋人を失ったシロイが、二度彼を失うことになるのだ。酷な話だ。まだ未練があるに違いないシロイの心を思いやって、私はぐっとこぶしを固めた。
なんという非道な殺人計画であろうか。
「とにかく、第二の犠牲者を出さないためには、あんたにかかっているのよ。アタシからもお願い。どうにかして、あの計画を止めて。八年前、止められなかったアタシが、お願いするのはおかしいかもしれないけれど、少なくとも次の犠牲は出さないようにしたいわ」
モモ先輩は、頭を下げた。涙が、床に落ちた。
これまで、どれほど悔いてきたのだろう。心臓外科医という、人の生命を預かる医師が、人の心臓を止めたのである。それは、国家権力の恐ろしさと共に、どんなに辛い経験であっただろう。
私は、先輩の肩を叩いた。
「私を信じてください」
「……頼もしくなったわね」
先輩は、そっとうつむいたまま笑った。いつもは見せない弱さと陰のある先輩を慰めて、我々は飲みに行った。――「ジェントル執事」に、私のおごりで。
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