第33話 「転魂」、「抜魂」、ヴィオレット
次の日、私が執務室に出勤すると、秘書が「院内便」を持ってきた。
「精神神経科のヴィオレット先生からです」
秘書が出ていった後、私はヴィオレットからの「院内便」を手にした。
それは、書類というより「手紙」であった。美しい毛筆で書いてあったが、達筆すぎて読めない。
困り果てていると、書類に一枚の紙が添付されていた。そちらには、内容が活字で印字されている。どうやら、今日のミーティングの日時確認だったらしい。最後に、「ヴィオレット先生専属解読係」とあった。
……解読係が必要なのか。最初からメールで送れ。しかし、「ニホン」好きな彼女のことだ、あえて毛筆で送っているのだろう。
そういえば、昨日「ジェントル執事」で、モモ先輩が、ヴィオレットはメモ魔で筆まめだと言っていた。このことか。
私は、このマッドアルツトに心底会いたくなくて、ため息をついた。だが、会わねば「転魂」は潰せない。とにかく、時間まで仕事をして気を紛らわせることにした。
「ようこそいらっしゃい。改めて初めまして。あてがヴィオレットです」
ミーティングの時間になり、私が出向くと、ヴィオレットは先に待っていた。そして、席を立つと微笑んで簡単に自己紹介した。
「今日は非公式の場、方言が出ますがそこはお許しを」
「方言」……「あて」という一人称か。これは、西の地方出身だな。これがもとで、先日は「私」というのに苦心していたのか。
ヴィオレットは、三十六歳にしては、すでに白髪が見えかかっている。化粧も薄く、年齢より年上に見える。そこはあまり気にしていないのだろう。首元のしわを隠すためか、ブラウスの上に青紫(ヴィオレット)色のスカーフを巻いている。
私は、「転魂」に賛成のふりをしつつ、先日のグレイとのミーティングでの心臓手術の方向性について意見を交わしたことを報告した。ヴィオレットは、笑顔で聞き入っている。しかし、この笑顔が曲者である。いつ何時「心を壊そうとするか」わかったものではない。一応、「転魂」に賛成のふりをしていれば、大丈夫であろう。
「よくわかりました。グレイ先生は長官のプライマリードクターですから、あの方の普段の体調などにもお詳しい。よくご意見をお交わしください」
「それで、ヴィオレット先生は、『抜魂』の執刀をなさるのでしょう。私はまだよく内容をつかめていませんから、よろしければご説明ください」
慎重に尋ねると、彼女は陶酔して言った。
「『抜魂』は、現代医療技術の粋です。あてが座長を務める『心療外科推進計画』のメンバーと、聖ルカ医大の共同研究のたまものです。まず、レシピエントの魂を抜きます。これが『第一次抜魂』。ドナーを探し、その心臓を止め、命を吹き消し、魂を抜きます。これが、『第二次抜魂』です。そして、ドナーの『空蝉の身体』に、レシピエントの魂を入れます。これが、「 入魂(にゅうこん)」です。ドナーの魂は、『 魂魄(こんぱく) 炉(ろ)』にて、『焼却』します。反対に、レシピエントの魂は『魂魄保存容器』に保存されますが、『ムラサキ卿』の魂だけは、特別に『魂の御箱』に保存されています。このお方のドナーを探しているのですが、それなりの気品や教養も要求されるので、きわめて難航しております」
「『御箱』とは」
「『魂の御箱』は、ムラサキ卿が崩御された時に既に開発されておりました。しかし、その時は『入魂』までは技術が開発されておらず、残念ながらあのお方の魂の保存のみしか行われませんでした。以来二百余年、『御箱』は代々厚生省に受け継がれてきたのです。『M機関』は、このお方の復活を最終目的として発足しました。ブラウ長官には、この大変な事業をおやりになっていただくために、最初の『転魂』に協力していただきました」
私は、核となる質問をぶつけた。
「しかし、何者かがこの『転魂』をつぶそうとしたら」
ヴィオレットは、じっと私を見つめた。信頼できる人物か、観察しているらしい。
「私も、『転魂』に参加する心臓外科医として、危険の芽を摘み取るため、質問したいことはしておきたいのですよ」
そして、微笑んでみせた。邪気がないように。
「よろしいでしょう」
ヴィオレットは、私をある程度信頼したらしい。
「『抜魂』には、ある場所に保管されている『魂のメス』が必要ですし、それを処分しようとしても、ブラウ長官の角膜に転写されているパスが必要です。あの方は『パス角膜』をお持ちで、それがないと『転魂』を潰すことは不可能です」
「『魂のメス』は、どこにあるのですか」
ヴィオレットは、にっと笑った。そこまでは、あなたを信頼しませんよ、と言いたげだった。
「それは、国家機密です」
ヴィオレットが根付の時計を見た。根付……そんなものがまだこの現代にあったのか。どこまで「ニホン」が好きなのだ。
「それでは、次の予定が待っているので。クロイ先生もいかがですか」
「何ですか」
「定期茶会です。薄茶をあてが立ててふるまいますよ。干菓子は名店から取り寄せ、主菓子はあてが水屋で作りました。ゴルト理事長もお越しですよ」
「いえ、仕事が立て込んでいるので」
私は丁寧に断った。「セクシー変態」と「マッドアルツト」がいる茶会など、誰が行くか。
「そう、残念ですわ」
ヴィオレットは、言葉ではそう言いつつも、さして引き止める様子もなく、立ちあがった。我々は、部屋から出て別れた。
「魂のメス」のありかは分からずとも、「抜魂」「パス角膜」などについて情報を得ることができてよかった。
それにしても、「転魂」を潰すためには、ブラウ長官の協力も必要なようである。反逆者を止めるべく、幾重にも対策が講じてあるらしい。
正直、弱った。どうすればよいのか。
私は、執務室に戻る道すがら、ブラウ長官の青い目と、シロイの顔を交互に思い浮かべていた。
シロイ、ロートちゃんは、守るからな。
いい策が見えない中、そう決心して、私は部局に少し立ち寄り、シロイの背中を見ていた。彼女の小さな背中は、小動物のように震えているように見えた。
シロイ……私が守る。
その思いが彼女に届くように祈りながら、私は執務室へ戻った。
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