第37話:ロートと「あしながおじさん」

 お互いに定時に仕事を終わらせ、シロイが書いた「おもてなし医療」の報告書のチェックも済んでから、私はエアバス停へ向かった。


 八月の西日が当たらないように、エアコン完備の室内クールベンチで、シロイは麻のハンカチで汗を拭きながら待っていた。アルビノで太陽に弱い彼女は、黒くてきゃしゃな日傘を持っていた。

「遅くなった」

「いいんです~。では、行きましょう~ 」


 ちょうどやってきたエアバスに乗り込んだ我々は、当然のごとく二人掛けの席に座り、隣同士になった。

 シロイは、「ローゼ」として、また化粧をして、髪も整えている。これは、ゲルプさんが好んだ、白さを浮き立たせるメイクに紅をさす「喪の粧い」で、「シロイ」でいる時の、ぼさぼさ髪に薄いメイク――ほぼすっぴんは、ゲルプさんへ操を立てて恋人を作らないようにするための「 今様(いまよう)の粧い」だったそうだ。その顔は、褪せつつあるかすかな「白薔薇色」の皮膚に「喪の鈍色」をまとい、心の美しさが、哀を帯びた淡青色の瞳ににじみ出たようであった。

 だが、私はそのぼさぼさ髪のシロイのことが好きになった。「ローゼ」としてのシロイは確かに美しいが、私は間抜けなシロイをより愛している。初めて出会ったときの、落ちこぼれシロイが。

 隣に座るシロイは、少し短めのスカートを気にして、ハンカチでひざを覆っている。それでも、何かの拍子でお互いのひざがふれると、私はどきどきした。


 *******


 M機関附属病院に着き、ICカードを提示すると、入れてもらえた。よほど精密に偽造されているらしい。これは、なにかリラに礼でもしなければならないかと思ったが、礼が「教官の骨一本」だと困るので、その思い付きには気づかないふりをした。

「ロートちゃん、こんにちは」

「お兄さん、来てくれたのね。ママも。ありがとう! 」

 ロートちゃんは、心から嬉しそうだった。

 その時、彼女は誰かに手紙を書いていた。個室用デスクの上には、かわいらしい便せんが散乱し、絵本も置かれている。

「手紙を書いているのか」

「うん! 『あしながおじさん』に」

「あしながおじさん」……? 首をかしげた私に、ロートちゃんが説明してくれた。

「『あしながおじさん』は、ロートにお手紙と絵本を届けてくれるの。会ったことはないけれど、いつか会いたいのよ」

「そうか。いいおじさんだな」

「お兄さんにも、『あしながおじさん』がいたらいいわね」

 私は、ロートちゃんの優しさに微笑した。そして、絵本を手渡した。

「『第二のあしながおじさん』だ」

「わあ、うれしい! ボタンお姉さんの新作だ! 」

 飛び跳ねようとするロートちゃんを、シロイが必死に抑える。

「ほら、病気が治らないわよ。お兄さんも、そんなことするロートには、絵本はくださらないわよ」

「ごめんなさい」

 相変わらず反応が早い。絵本が本当に好きなのだな。入院生活の、貴重な気晴らしなのだろう。

「お兄さん」

 絵本を広げて見ていたロートちゃんが、静かに言った。

「どうした」

「ロートの、お父さんになってって言ったらどうする? 」

 彼女は、上目遣いで私を見た。傷つくのが怖い、病弱な子供の目だ。

「そうはいっても……ママが……」

「ママは、いいわよって」

 おい! どこまで話が進んでいるんだ。しかしまあ、ロートちゃんなら。

「……いいよ。こんなお兄さんでいいなら」

「やった! ロートね、お父さんのこと知らないから、お父さんが欲しかったの。入院しているみんなは、お父さんがちゃんとお見舞いに来てくれるのに、ロートだけ……」

「わかった、ロートちゃんだけのお父さんになろう」

 ……勢いで言ってしまった。これは、将来のことも真剣に考えねばなるまい。

「お兄さんと、ママ、本当に仲良しね。ずっと仲良しでいてね。ロート、応援してるから! 」

「さあ、ママたちは帰るわ。また来週ね」

「ママ、パパ、またね」

 いつのまにか、パパになってしまった。独身であるのに……。これは、シロイと、もしや……シロイの花嫁姿がぼんやり浮かんだ時点で、夢の世界から帰還できそうにない気がしたので、妄想はやめた。


 *******


 エアバスに乗っている間、私は気になっていた質問をシロイにぶつけた。

「『あしながおじさん』とは? 」

「……厚生省の、お偉い方です。『悪魔の計画』で、ロートを差し出すために、今からあの子の機嫌を取って、手紙や絵本を贈ってくるのです」

 これは、間違いなくブラウ長官だな。だが、今の私には、

「そうか」

 としか言えなかった……。隣のシロイが頭を下げる。

「絵本、ありがとうございました」

「いや、気にするな。喜んでもらえて、こちらが癒された。いい子だな」

「そうですね、おてんばでなければ。誰に似たのかしら」

 シロイは微笑んだ。

 エアバスは病院で停車した。私は、ハイブリッドエアカー通勤なので、名残惜しいが、ここでシロイとはお別れだ。

 シロイは、髪をくしゃくしゃにすると、軽く手を振った。私が好きな間抜けなシロイの格好だ。

 私も、優しく手を振った。そして、八月の満天の星空を見上げた。

 あのきらめきは、シロイの瞳だ……。私は、月の光を浴びながら、まるでシロイに抱き留められているかのような錯覚を覚えながら、エアカーの方へ歩いて行った。






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