第23話 「姉妹」の陰謀

 ゴルト理事長の部屋は、噂通り豪奢なドレッサールームだった。室内は化粧品の香りが充満し、例のデコラティブな金色の装飾が施された鏡がデスクを占領している。

 その大きな鏡の向こうから、平均身長より少し小柄な理事長が、顔をのぞかせた。

「お入りください」

「失礼します」

 理事長に目配せされて、秘書の美青年が席をはずした。美男子ハーレムという噂は本当らしい。

 理事長は、化粧直しの最中だったらしく、素早くパウダーを肌に載せ、鏡で確認すると、にこやかに私を迎えた。

「先日は、あなたの魅力のとりこになりましたわ」

 そんなことを言われても、どう返事をすればよいのだ。私はとりあえず、だんまりを決め込んだ。

「それで、早速用件に入ります。モモ先生から、ブラウ長官のことはお聞き及びでしょうね」

「まあ、少しだけ」

「あの方は、心臓疾患に悩んでおいでです。心臓に異常をお感じになり、循環器内科に相談なさると、狭心症だということでした。それで、薬の投与が行われていますが、あの方はお忙しい。薬の服用を続けるより、思い切って手術をすることも念頭に置かれて、心臓外科医にセカンドオピニオンをお求めになっています。そこで、前々から心臓血管外科のチーフアルツトのモモ先生から、『優秀な医師』として推薦されていたことと、あたくしのプロポーズをお蹴りになった度胸を見込んで、あなたにお願いいたします」

「私は」

「あなたに拒否権はありません。拒否なさるのでしたら、永久に心臓血管外科復職はかないませんからね。それに、シロイ先生にも不利益があるかもしれませんよ。教官のクロイ先生が、理事長と厚生省を敵に回すのですから」

 これが、殺し文句だった。復職はかなわずとも、シロイが何らかの不利益を被ることになっては、あまりに不憫だ。シロイは、今回の件とは関係がないのだから。

「……わかりました。なんとか努力してみましょう」

「よかったわ。実はこれが、あたくしの『志』。ブラウ姉さまには、ずっとずっと生きていてほしいから」

 理事長は、ふっと狂気の笑みを浮かべた。

 ブラウという長官と、彼女は姉妹なのか? そして、先日見た彼女の個人サイトに載っていた「志」とは、このことなのか。姉のために、優秀な心臓外科医を探し出すことが……。

 私は、一礼して理事長室を出た。秘書が、ドアをゆっくりと閉めた時、私と「再建局」での、暇ではあるが愛着がわき始めたささやかな日常へつながる扉もまた、重い音を立てて閉められたかのように思われた……。


 翌日、私は、厚生省の中でも特に奥にあるビルへ入っていった。厚生省自体に入るよりも念入りなボディチェックを男子警備員の手で受けて、ICカードの提示に指紋認証まで受けた。指紋は、事前に病院側から手配されていたらしい。ある意味で怖い。


 丁寧な物腰の事務官に案内されて、くねくねと曲がる廊下に階段を歩いて行くと、一目で特別な場所だとわかる部屋に案内された。ドアは重厚な合金でできている。よほどの重要人物がここに鎮座ましますらしい。そこで、事務官はノックはせずに、ドアの隣にあるインターホンで来訪を告げた。

「『聖ルカ病院』心臓血管外科のクロイ先生がお見えです」

「お入りください」

 ドアは、物々しい金属音を立てて開いた。事務官は私を部屋へ通すと、後は室内にいた別の事務官に引き継いで、直立不動で敬礼をして出ていった。

「ブラウ長官、クロイ先生がお見えになりました」

 事務官が、ブラインドがかかって日光を遮る大きな窓辺にあるデスクに座る人物に、そっと声をかけている。その人物は、立ち上がって、こちらへ、と合図をした。私はその人物――ブラウ長官の方へ進み出た。

「ようこそ」

 ブラウ長官は、口元に笑みを浮かべようとしたが、うまくいかないらしく、あきらめて無表情になった。いや、表情がないというより、「哀」の表情だ。表情筋がこわばり、哀しみの顔から少しも気持ちを外に表すことができない……そういった、特殊な表情の持ち主だった。まるで人形が、作られた表情から別の感情を表すことが不可能なように。だから、異名が「嘆きのブラウ」なのかもしれない。左目の下には、薄めではあるがかなり目立つ、雫型のしみがあった。

 なによりも驚いたのは、ゴルト理事長が「姉さま」と言っていたに関わらず、その人物の外見は青年そのものだったことだ。少し黄土色がかった、くるくると天然パーマに近い猫毛。目は青いが、どうもコンタクトを入れているらしい。そして時代がかった片眼鏡。この「姉妹」は、共通して懐古趣味のようだ。

 ブラウ長官は、合図をして事務官を下がらせた。我々は二人きりになった。

「どうぞ、こちらへ」

 私は革張りのソファを勧められ、礼を述べて腰を沈めた。

「用件はお聞き及びかと思うが、実は私の狭心症のセカンドオピニオンを求めたいのです。心臓MRIその他の検査画像や、診断書はこのファイルにまとめてありますから、ご覧ください」

「では」

 私は、久しぶりに心臓外科医らしい仕事に、緊張しながらもやりがいを感じていた。


 心臓血管外科医局復職……。シロイのことがなければ、すぐにでも飛びついていただろうに。しかし、あの部局に異動してから、私の心……医療への考え方も変わっていった。暇ではあるが、忙しさにかまけて見失っていた大切なものを取り戻させてくれたあの「再建局」、そして、何よりシロイ……。私は、シロイをもっと知りたかった。しかし、今は目の前のこの仕事に集中しなければ。


「……ふむ」

 私は、妙なことに気付いた。問診と、心臓MRIなどの画像の比較をしてみて、腑に落ちないのだ。最近の心臓外科では、男女の性差があることがわかってきた。男性は左心室付近の心筋が、年齢に応じて大きく肥厚していく。女性は、大きさは変わらないが収縮していく。ブラウ長官の心臓は、男性の心臓に近い。二十代後半から三十代の心臓であろうか。しかし、本人は五十二歳だという。これは明らかにズレがある。また、生活習慣と心臓の状態とも食い違う面がある。

「何か、ご意見があれば何なりと」

「では。ブラウ長官、あなたの心臓は若い男性のそれに近いものです。しかし、ゴルト理事長はあなたを『姉さま』とおっしゃった。外見は男性だが、物腰はどこか女性らしいところも気にかかります。このズレは、私の思い違いでしょうか」

 長官は、嘆きの表情で笑い声を上げた。それは、たいへん奇妙に聞こえた。

「さすがはクロイ先生、わが妹が見出しただけはある。まあよろしい。いずれは話さねばならぬことだ。ここからは、ある先生にも同席していただきましょう」

 ブラウ長官は、省内で通じるらしいインカムで何事か命じていたが、すぐに事務官が、ある女医を伴ってやってきた。

 長官は、簡単に彼女を紹介した。

「『聖ルカ病院』の精神科医、ヴィオレット先生です」

 ヴィオレット……。モモ先輩の言葉が頭に浮かんだ。ブラウ長官の腰巾着だという精神科医だ。しかし、なぜこの場に精神科医が同席するのか? いぶかしがる私に軽く一礼して、ヴィオレットは冷たい笑いを浮かべた。

「ここからは、どうぞご内密に。国家機密の話をします。まず、誰にも口外しないことをお約束していただきたい」

「承知しました」

 了承しないことには、話が前に進まない。私は、内心少し不安に思いながらも承諾した。

「クロイ先生。『転体魂一計画』、略称『 転(てん) 魂(こん)』はご存じではないでしょうね」

「『転体魂一計画』……? 」

 そんな計画など、全く耳にしたことはなかった。

「それはそうでしょう。これまで、この計画が目指した手術の成功例はただ一件。八年前に、ここにいらっしゃるヴィオレット先生と、心臓血管外科のモモ先生が執刀なさった手術、つまり私の術例だけなのですから」

 モモ先輩が関わった八年前の手術……これは、もしや、あの落ち込んでいた先輩が執刀した手術なのか?

「『転魂』計画とは、身体を変えながら魂を保つ手術です。我々M機関では、身体のドナー捜索、魂の保管と処分を一手に握っております。ゆえに、表に出ない裏の機関なのです。そて、この手術の最初の成功者が私、ブラウです。魂は女性ですが、身体は男性というのは、このためです。『転魂』以前は、アサギ事務次官補という名でした。ある事件がもとで、私は自死を選びました。スキャンダルに巻き込まれましてね。だが、私の才を惜しんでくださった総理と相談して、アサギとしては死につつ、魂を保管して新しい生を選んだ。そして、身体のドナーは、散々探してようやく見つかりました。ゲルプという男性でした。ゲルプ氏の心臓をいったん手術で止めてくださり、彼の命のともしびを消してくださったのがモモ先生、彼の魂を抜く「 抜(ばっ) 魂(こん)」手術を執刀し、私の魂と取り換えてくださったのが、ここにいらっしゃる精神科医で、『心療外科推進計画』のメンバーでもいらっしゃるヴィオレット先生です。この手術で私は『ブラウ』となり、厚生省M機関の長官に就任したというわけです。もともと官僚だったので、こうした仕事はお手の物なのですよ。まあ、長官といっても議員ではないが。厚生省と内閣官房に直属している極秘研究機関の長ですよ」

 私は、淡々と話すブラウの冷酷さに唖然とした。この人物は、自分の魂の保存と不死のためなら、他人の身体を使い捨てるのか……。

 そして、モモ先輩は、この手術に加担し、ドナーの男性の心臓を止めたのだ。「罪」とは、このことだったのか。国家権力の恐ろしさを思い知った気がした。先輩は、その悔恨のために、私が医師の道を踏み外さないか心配してくれているのだ……。

 ブラウ長官はさらに話を続けた。

「『転魂』の最終目標は、『ニホン』の伝説的為政者、『ムラサキ卿』の復活にあります。あの方の魂は、身罷られてからというもの、この厚生省M機関に、『魂の御箱』という特殊な容器で保管されております。自死した私は、まあ、実験体ですね。それでも、医療の進歩により、確実に『ムラサキ卿』の復活は現実のものになってきています。なにしろ、この『ノイヤーパン』になってからも、『ニホン』を愛する者の間では、『ムラサキ卿』は至高の存在、いずれは復活していただき、終身元首となっていただく予定です」

「ムラサキ卿の時代は、安定した『平和な』時代でした。伝統と民族の美しさの粋といってもよろしいですからね」

 ヴィオレットが口を開いた。彼女の顔は恍惚としていた。伝統的「ニホン」賛美者か。


「ニホン」は、少数民族を国内に抱えながらも弾圧して、「単一民族国家」を唱えていたが、国際化に抗えずに多数の外国人や外国文化の流入を招き、自己崩壊した。だが、今も熱狂的支持者はいて、時々書店やポスターテレビでも特集が組まれるほどだ。


 しかし、この「転魂」という手術は、「医療」ではない。他人の身体を使い捨てる、「狂気の殺人計画」ではないのか。それも、大昔に亡くなった「偉人」の魂を復活させ、「元首」に据えるためだけの……。「ニホン」賛美者の自己満足ではないのか。

「クロイ先生には、ゆくゆくは『転魂』の際の心臓手術執刀をお願いいたします。ドナーは既におおよそ決定しています。数年後に十代になる、ある少女です。しかし彼女は先天性心臓弁膜症を患っていて、その病が治癒されてから、この身体を捨てて乗り換える予定です。私も魂は女性、できれば女性に戻りたいのでね。それで、彼女の心臓を止める手術をお願いする」

「少女の『抜魂』は、私が執刀します」

「私」という単語を苦心して発音するように、歯の隙間から押しだすようにして言うと、ヴィオレットがにっと笑ったが、その笑みは殺人者のそれだった。

 ブラウ長官は、哀しみの目でじっと私を見据え、警告した。

「そうそう、この心臓停止手術の執刀を拒否すれば、あなたのかわいい教え子、シロイ先生のことは保証できませんよ。彼女は、わけあって当局で監視しているのでね」




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