3月: 畳の上で死にたい――桜の季節の恋物語

第11話 看護師ローザと「ギャル」の恋

 その日は三月下旬の晴天、風は冷たいが、もうすぐ「ニホン」伝統の「花見」ができるほどの暖かさだった。桜のつぼみは固くはあるがほころびそうに、生気にあふれ、弾けんばかりだった。私が窓際部局「病院再建局」に異動してから、もう三か月。だいぶ仕事にも(暇さ加減にも)慣れはしたものの、いまだに「原因不明の病」は治らず、本気でリラに出くわさないようにこっそりと、大学で難病の治験に加わろうか検討中だ。

 シロイは相変わらず、ぼさぼさの白銀の髪で通勤してきた。白衣をはおった下には、つい最近ポスターテレビで宣伝していた、「洗濯がいりませんよ、奥さん!  半永久抗菌シャツ」の桜色を着ている。どこまでお前はずぼらなんだ。洗濯くらいしろ。……まあ、早春に桜色、という古風なシロイの好みは、評価しよう。

 というか、私も今日は桜色のストライプのスタンドカラーを着ている。カフスボタンには、小さなルビーをあしらったものを選んだ。別に、昨日帰宅の間際に、シロイ達女子のよもやま話で、「シロイ先生、明日は桜色のシャツを着てきてください! きっと似合いますよ」という話題を小耳にはさんだからではない。断じて、お揃いになるかもしれないなどとは、これっぽっちも思っていなかった。本当だ。


 私は、部局にちらっと立ち寄って、シロイの勤務姿をぼんやり見ていた。シロイは、集中力が散漫で、アイボリーのマグカップを手に、パソコンから視線をずらして、棚の本をぺらぺらめくったり、同僚と軽く話したり、頬杖をついて何やら考えたりしている。お前は、何をしに来ているんだ。

 しかし……桜色も、いい。白銀のシロイの髪が、夜桜に映える月の光で、淡く青い瞳は桜の上にまたたく星のようで……と、私はまたもや何を考えている! これは、ひょっとして、脳か? 脳の異常なのか? それとも、カウンセリングをしてもらったほうがいいのか。精神神経科に行って、臨床心理士に会ってみてもいいかもしれない。

 だがなぜか、できるだけ信頼するモモ先輩以外には、知られたくない病だ……。


 執務室での仕事中、私は手を止めて窓の外を見やった。前回リラにぶち壊された窓は、見事に修繕され(部局に金がなかったため、仕方なくポケットマネーからもいくらか出してやったのだが)、風にそよぐ桜の枝が少し遠くに見える。私は、実は葉桜の方が好きだ。自分の深緑色の目の色に合っているし、また緑色というのは心をリラックスさせる色だ。だが、まあ、桜色も悪くない。

 その時、仕事用に使っている医療用インカムから、秘書の声がした。

「クロイ先生、ご面会です」

「誰だ」

「心臓血管外科の看護師さんです。お名前は、ローザさんとか」

 ローザ……心臓血管外科一の優秀な看護師だ。名前は女のようだが、実は男である。何があったのか。私は、すぐに彼を執務室に通すように伝えた。秘書の静かな声で、インカム通信は切られた。

 それからしばらくして、執務室のドアがノックされた。私が返事をすると、秘書がドアをそっと開け、その後から、少々どぎまぎした様子で、ローザが入ってきた。秘書は、部屋の応接間代わりのローテーブルの上に、やっぱりぬるい紅茶と、いくらか以前よりましなケーキを置いて、ごゆっくり、と出ていった。

 私は、ローザにソファをすすめた。ローザは恐縮しながらも、腰を沈める。私もパソコンをスリープモードにしてから、ソファに座った。

「お久しぶりです、クロイ先生」

「そうだな、ローザさん。元気だったか」

「ありがとうございます。おかげさまで」

 ローザは、丁寧に頭を下げた。この看護師は四十二歳、三十五歳の私よりも七歳も年上なのだが、先輩風を吹かせることもなく、腰が低く、人当たりがいい。留学生で、元の名前は「ペッシュ」と言ったのだそうだ。それで、「ノイヤーパン」に来て、医療業界では色の「ナーメ」を半強要されるので、「ペシェ」(桃)から連想して、「ローザ」(桃色)と名乗ったらしい。

「ニホン」からの伝統、「色」の重視は、外国人にも強いるほど、ここまで現代の「ノイヤーパン」にも浸透しているのだ。


 色には、花言葉のように意味がある。赤子には、「誕生色」(誕生日ごとに色が決まっている)、「希望色」(親の願いをこめた色だ)、「身体色」(私の本名がこれだ)、「占星色」(星座にも色がある)といった意味の色の数々から、本名、広義の「ナーメ」をつける。医療業界の「ナーメ」は、狭義の「ナーメ」だ。「べステナーメ」となるともっと狭い意味で、優秀さの証であるから、尊敬されることこの上ない。ゆえにプライドの高いリラは、普通は口語で略す「ドクトル」をつけて呼ぶことを、周囲に強いている。

 また、花も重視されるが、これは「ニホン」の神話であの世を統べる神、ショウビ神が、色と花をつかさどることによる。


「みなさん、お元気かな」

「はい、それはもう。特にモモ先生が……」

 ローザは、そこまで言うと、魂が抜けてしまったかのように、明後日の方を向いた。

「モモ先輩が、何か」

「いえ……私の『ナーメ』の『ローザ』が、モモ先生の『べステナーメ』と重なるというお話をしてくださいまして。つまり、桃色ですね。それで、『これは運命よ! 』とばかりに、毎日男子更衣室で私を待ち伏せして、カーテンの陰に隠れて、じとーっと、なめくじの粘液のような視線で、私の着替えを……。あの派手な金髪が、目立たないとお思いなんでしょうか」

 私の目の前に、その様子が、モモ先輩の粘着質な視線と共に再現された。

 実はモモ先輩の「モモ」も「べステナーメ」で、これは彼(女)が、当時の教官を「とっておきの低い男の地声」と「オネエで容姿は美女」というギャップで脅してつけさせたという。

 私は、それはもうモモ先輩の性癖は知りすぎるくらい知っているので、このローザが標的になったのかと哀れになった。何しろローザは、金色のミディアムの髪を猫の丸いしっぽのように軽く束ね、(これはモモ先輩と違って地毛だ)、青紫がかった瞳、不精ひげのように見えながらも、きちんと整えられたひげに、言葉遣いは丁寧で、女性を「ご婦人」と呼ぶ、紳士の見本のような看護師だ。男日照りのモモ先輩の餌食にならないわけがない。

 そういえば、ローザが心臓血管外科医局に異動してきたとき、モモ先輩は、

「奇貨居くべし! 」

 と、なぜか興奮して古語で叫んでいたな。先輩の田舎は古風な言葉が残っているのだ。それが、彼(女)の「方言」である。まあ、これは黙っておこう。

「で、モモ先輩のことで、何か……?」

「いえ、それはそれ、前置きです」

 おい、前置きにしては濃い話だな。私は、自分の目の前に置かれた冷めかかったダージリンを一口飲んで、喉を潤した。

「実は、『再建局』で、『おもてなし医療』をなさっているとうかがいました」

「そうだが」

「お願いです! どうにかしてください! 」

 ローザは、土下座しそうな勢いで、頭を下げてテーブルにぶつける寸前だった。待て、話が見えない。

「何かあったのか」

「困っているんです。その……あるご婦人から一方的な思いを寄せられて」

 ローザは、はあ、と深くため息をついて、その大きな手のひらで顔を包み込むようにしてうなだれた。「ご婦人」に優しいローザのことだ、本当に片思いされて困っているんだろう。

「それで、『おもてなし医療』で、そのご婦人の思いを傷つけず、あきらめさせていただきたく、はせ参じました」

「で、その『ご婦人』というのは」

 そこまで私が言いかけた時、ローザがぶるっと震えた。

「こ、この気配……」

 瞬間、バーンと派手な音を立ててドアが開いた。私がびっくりして立ち上がると、秘書にがっちり後ろから羽交い絞めにされた「少女」が入ってこようとしていた。

「ローザ、ローザ、探したよ」

 その声に、私は驚愕した。その「少女」は、姿こそ十代の派手なギャルだ。脱色した、明度の高い金髪に、紫のカラコンは瞳を大きくさせるタイプ、白いダウンジャケットに真っ赤なミニスカート、ハイヒールのブーツ。だが、なんと本当は老婆なのだ。恐らくは、声と深いしわ、顔のたるみから判断するに、七十がらみであろう。

 秘書は、闖入者を捕えるべく、縦四方固めをして彼女を抑え込んだ。柔道が得意なのはわかるが、犯罪者じゃないのだから、そこまでしなくてもよさそうなものだ。

「少女」――いや、老婆は警備員にも付き添われて、秘書の柔道の寝技でふらふらになりながら、去っていった。

 私は、この奇人変人の巣窟「聖ルカ病院」で、患者にも変人がいたことにげんなりした。

「で、あの人なのか……? 」

「そうです。お名前は『ミドリ』とおっしゃいます。なんでも著名な国文学者だそうです。この病院にある、由緒正しい『桜の間』に関心を持たれて来院され、ちょっと気分が悪くなられて、ふらりと倒れそうになられたところを支えたのが……」

「……ローザさんか」

 その先は言わなくても分かる。そして、ミドリという女学者は、恋に落ちたのだ。

「お会いした時は、ごく普通の品のよい『ニホン』伝統の訪問着を着ていらっしゃいましたが、私に会われてからは、どういうわけか、あのような、その……いわゆる、『若作り』に」

 きっと、渋いナイスミドルなローザに合わせて、自分も若く見せようとしているのだろうが、発想が突飛すぎる。なぜ十代のギャルの服にメイクなのだ。せめて四十前後の熟女スタイルにすればよいだろうに。女はわからん。シロイを見ろ。若くても、あの格好だけは治らんぞ。

「お願いします、どうにかしてください」

「まあ、考えてはみる。もう少し時間をくれ」

 ローザは、幾度も礼をして帰っていった。私は、腕組みをして、遠くの桜を見ながら考え込んでいた。


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