第13話 たましいは桜の樹の下で

 ミドリさんは、とっさのシロイの判断通り、クモ膜下出血だった。脳神経外科の個室に寝かされているミドリさんは、昏睡状態だった。本当なら面会謝絶なのだが、看護師であるローザは、心臓外科からの応援ということで、ずっと彼女のそばについていた。そして、手をしっかり握りしめて、頭を垂れていた。

 我々は、彼女の命は危ないと聞かされた。こんなときに、シロイはどこに行ったんだ。

 ミドリさんは、再度脳スキャンを撮るために、検査室へストレッチャーで運ばれていった。その間に、シロイがふらりと戻ってきた。


 なんと、一枚の畳を背負っていた! しかも、「桜の間」の特別な、縁に桜の文様が刻まれている畳だ。


「ば、馬鹿! 畳なんて持ってきてどうする! 」

「今にわかりますよ、教官」

 ローザもはっとした。二人は、意思が通じ合ったようだった。そして、ローザが一方を支え、シロイがベッドの掛け布団をめくって、畳をシーツの上に敷いた。私には、なんのことかさっぱりわからなかった。すると、ローザが説明してくれた。

「ミドリさんは、『ニホン』と桜を愛する方です。折に触れて、『ベッドじゃなくて畳の上で死にたいわ』とおっしゃっていました。今、こんな形で、願いをかなえてあげることができるなんて……」

 ローザは、上を向いた。涙を零れ落ちさせまいとしているようだった。

「ありがとうございます、シロイ先生。クロイ先生も。さすが、『おもてなし医療』です」

 その時、ミドリさんが戻ってきた。畳の上に寝かされたミドリさんは、奇跡的に目を開けた。その時まで物陰に隠れていたシロイが、ローザのあっという声でぱっと飛び出してきて、泣きながらミドリさんの手を握った。

「先生、ミドリ先生」

 ミドリさんは、かすれた声でつぶやいた。

「あ……あ……ローゼ、ちゃん……? 」

 そう言うと、彼女は息をひきとった。シロイは、肩をふるわせて、また物陰に隠れた。私は心配になって、シロイの丸く小刻みに揺れる肩をそっと叩いてやりたかったが、彼女が嫌がりはしないかと差し控え、声をかけるだけにした。

「シロイ、大丈夫か」

「大丈夫です、教官。ありがとうございます」

 シロイは、振り向いて無理に笑顔を作った。とても痛々しかった。

「よく、畳なんて思いついたな。すごいな」

「いえ。たまたまです。ミドリさんのこと、知っている気がして」

「そういえば、ローゼちゃんって言っていたな。誰だ? 」

「さ、さあ」

 シロイは、明らかに動揺したが、すぐに不自然ながらも、微笑んだ。

「ローザさんと間違えたんですよ~、きっと。それより、ミドリさん、桜の畳、気に入ってくれたかな~。今頃、桜の木の下で、ローザさんを待っているかも~ 」

「そうだな。亡くなっても、魂はきっと桜をめぐっているさ」

 私は、シロイの動揺と、下手なごまかしにだまされなかった。私には、どうやらシロイの知らない一面がたくさんあるようだ。シロイに、教えてもらうその日を、待つか。


 桜の花びらがひるがえる、その花吹雪の中で、いつかシロイの微笑みを若葉に映してみたい。できれば、夜にきらめく満開の夜桜の下で。そんなことを考えながら、私は、シロイと、涙にくれるローザをそっと見守った。


 桜を愛する老婆の恋は、永遠になった。

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