第44話 聖ルカ病院一日カフェ~夢が叶う日
十一月の中旬、ちょうど気候もよく、晴れたある平日に、メニュー開発・チーフシェフともシロイが務める「一日カフェ」がオープンした。
この前日から、シロイの同僚含め、部局総出で設営作業をした。皆シロイには元気になってほしいという気持ちは同じのようで、共同作業はすぐに終わった。
業者にも頼んだが、できるところは自分たちでやった。オープンテラスのカフェで、病院の紅葉が拝める広い中庭に設営した。厨房だけは、保健所の立ちあいのもと、業者に調理道具やオーブンなどを備え付けてもらった。
作業が済んだのは、夜だった。皆、「お疲れ様」と言いながら帰っていく。
そんな中、シロイはオープン前日のカフェを見て、感慨深げだった。
「どうだ、シロイ。メニューはうまくできそうか」
「きょーかん」
シロイは、猫のように無邪気な笑顔を浮かべた。
「はいっ! メニューの試作も完璧ですっ! 」
「そうか。それはよかった」
「実は」
シロイが、カフェの方を指差した。
「こんなおしゃれなカフェ、作ってみたかったんです。医師になっていなかったら、カフェオーナーになっていたと思います。でも、ロートの件で医師になることを決め……母親以外の医師に治療させたくなかったんです。かといって、猶予を引き延ばさないといけなかったんですが、ブラウ長官のおかげで、本当に心からロートを治したいと思えます。あの方がしたことは、やっぱり許せませんけど、最期は、やはりきれいなお花になってほしいと思います」
「モモ先輩のことは」
「モモ先生のことは、恨んでいません。悪いのは、お上でした。モモ先生は従うしかなかったのだと思います。だから、心配なさらないでください」
シロイの優しさに、私は胸を打たれた。ここまで、自分の気持ちを整理できるとは、シロイは強いな。私が、シロイを失っていたら、どこまでも復讐の鬼になって、地の果てまでも関係者を追い詰めていただろうに。
「シロイは、やさしいな」
「そうですか~? 自分の気持ちに正直なだけですよ~ 」
残された我々二人は、明日開店のカフェをあとに、歩き出した。自然と、お互いの手を取っていた。そのぬくもりは、寒くなりかけた十一月の夜の窓辺にともるらんぷのようだった。
**************
「いらっしゃいませ! 」
「青空カフェ オペ&クランケ」は、大盛況だった。しかし、このネーミングはどうにかならなかったのか。シロイがつけたのだが、冗談なのか本気なのかわからない。それに、食欲が減退しそうだ。
「……いらっしゃいませ」
そして、私も白衣は脱いで、スタンドカラーにタブリエをつけて、接客することに相成った。どう考えても、接客には向いていないと思うのであるが、部局の女子たちは、「目の保養」に、と譲らなかった。なんだそれは。隣の部局長は、女子の評判が悪かった。哀れだ。
「ご注文おうかがいします」
「あ、じゃあ、『愛のケーキ』、持ち帰りで五個」
どうやら、売れ筋は「愛のケーキ」という菓子らしい。ひとつ試食した女子によれば、「おいしくて涙腺崩壊する」という。生理学研究室に献上するか。私も、このギャルソンバイトが終わったら、一ついただこう。
「じゃあね~、『野菜たっぷりミネストローネ・バゲットつき』ね。『愛のケーキ』も。はにぃは? 」
「……「『本日のおすすめランチで』」
モモ先輩とローザのカップルが、昼食を注文していた。ローザが笑顔を浮かべつつ、心で泣いていることがすぐにわかる。
「先輩、先日はいろいろお世話になりました」
「あら、クロイ」
先輩は、スープを食べる手を休めて、少し笑った。
「例の件、うまくいったわね。あんた、よくやったわ。アタシも感謝してる。ありがとう」
「いえ、先輩の助けがなかったら、無理でした。ありがとうございます。ささやかなお礼に、この食事代は私持ちで」
「まあ、ありがと」
私は伝票に、さらさらと「クロイにツケ」と書いた。その時、さっさとランチを食べ終わったローザが退席しようとするのを、モモ先輩が首根っこを押さえた。
「せ、先生、苦しい……です……」
「逃げるな」
モモ先輩は「地声」で脅した。ローザはおびえておとなしくなった。
「はい、『愛のケーキ』いただきましょうね~。あーん」
私はローザに心の中で手を合わせつつ、混んできた店内で仕事をするべく離れた。
その向こうの席には、グレイがいた。サクラが写っていると思われる写真を前に立てて、ぼんやりそれを見ながらパスタを食べていた。ズルズル音がする。だからどんな食事マナーだ。そして、まだ仲直りは叶っていないようだ。私は、法医学者的素質があるサクラが、この医大に入学しないことを願って、そっと二度目の合掌をした。
ゴルト理事長が、ヴィオレットと美青年のとりまきに囲まれ、和やかに食事をしている。だが、私を見ると、仇を見るように冷たく笑った。これは、心臓血管外科医局復帰は望めないな。しかし、それでもいい。今の部局で、現役の骨を埋めよう。……骨。リラ!
「教官の骨ですって!? 」
リラが、ギャルソン姿の私を、六・〇の視力で観察しつつ、奇声を上げた。そんないかがわしい発言を、食事時にするんじゃない! そして、人の心を読むんじゃない。どうしてわかるのだ。
「教官、お久しぶりですわ。先日の研究、頓挫してしまいましたの。被験者がお亡くなりになって」
「そうか。あの時はご苦労だった。また、いろいろ世話になったな」
「ああっ、教官がお優しい! 冷たい教官とは違って、また魅力的ですわ……。教官の上腕二頭筋をいつか……いいえ、上腕三頭筋でも構いません」
なぜマイナーな三頭筋なのだ。私は、カフェで妄想の中とはいえ、自分が食われるという稀有な経験をして、うんざりして彼女から離れた。
厨房をのぞくと、シロイがアシスタントのシェフたちに指示を出しながら、まめまめしく働いている。これは、あとでねぎらわなくては。オーブンからは、「愛のケーキ」が次々と焼きあがる。本当に人気なのだな。
シロイの長所を生かせる仕事をさせてあげられて、またカフェオーナーという夢を一日だけでも叶えてあげてよかった。私は、接客に戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます