第27話 クロイの決意ーシロイへの想い

「おお、久しぶりでございますよ。拙は グレイが、久しぶりの学生食堂に感激したようにため息をついた。

 聖ルカ医科大学は、付属病院とは別組織で、教授や准教授連は医局に所属しない。その代わり、医局の医師はアルツトライン制度の教官になる。大学で学ぶ座学と、卒業してから配属される医局における臨床教育は違う、という考えから、このような制度になっている。このため、医師になってからはあまり大学に足を運ぶことはない。もちろん、何かあれば連携するし、共同研究も行っているのだが。

「何を食べましょう」

「そうでございますね、拙はここの名物『チキン南蛮ハンバーグカレー』の「チキン抜き」、それにミニパフェを」

 おい、そのメニューの「チキン南蛮」の存在意義はあるのか。単に、ハンバーグカレーに甘酢がかかっているだけではないのか。そして、これだけのカロリーを摂取するなどと、あんたの年だと「心臓破り」のメニューになりかねないぞ。

「……私は、にしん蕎麦を」

 にしんでたんぱく質を摂り、蕎麦でルチンを摂取するのだ。私の中では、食べ物は基本的に栄養補給物質で、いかに足りない栄養を摂取するかで判断して食事を摂る。もっとも、シロイの菓子は別だ。

 我々は、学生でごった返すテーブルを一にらみして、正式なアルツトとしての幅を利かせ、席を取ろうとした。学生たちは打算から席を詰め、仁義なき「空席取り合い合戦」に巻き込まれずに済んだ。

「クロイ先生、あそこに、拙の娘が」

 チキンの存在が無視された「チキン南蛮ハンバーグカレーチキン抜き」の前に、早速デザートから食べ始めたグレイが、こそこそと耳打ちしてきた。どんな食事マナーだ。

「拙は、早く外来に戻って、いいところを見せたいので、お先に食べ終わらせていただきます」

 グレイはパフェの次にカレーに取り掛かった。私は、サクラという娘には関心がなかった。むしろその外貌にちょっとしたトラウマを抱えつつ、蕎麦をすすっていた。

「パパ! こんなところに! 」

 そのとき、少女の声がした。ずいぶん野太いな。可憐とは微塵も言えない。声のする方を見ると、確かにあの少女が立っていた。笑顔が、顔をゆがめているようにしか見えない。

「サクラ、パパはすぐ外来に戻るからいらっしゃい」

 カレーをものすごい勢いでかきこむグレイを制止したのは、サクラだった。

「いいの、パパ。わたし、外来には行かない」

「な、なぜなのでしょう……」

「サクラ、このドクターのお嫁さんになる! 」

 サクラは、ゲシュタルト崩壊を起こしそうな禍々しい笑顔で、蕎麦をすする私の腕をとった。

 はあ?なぜ私なのだ!恐れていた女の変人は、男の変人の娘だった!

「いや、気持ちだけ……」

「あら、遠慮なさらないで。わたし、ドクターにひきつけられるの。まるで、腐った死体に群がるハエのように」

 食事時にそんな比喩を持ち出すな!これは、聖ルカ医大に入学したなら、法医学教室行きが確定だな。まるで、第二のリラのようだ。勘弁してくれ。


 そのときグレイが、ぶるぶると震えてテーブルを拳骨でたたいた。

 すると、グレイの鼻が取れた。ぽろっと。

「パパ、お鼻が!」

「あああ、サクラ、これは違うんだ! 決して鼻を整形して、顔中作り物で、パーツが傷んできているんじゃないんだ!」

 人間、焦ると余計なことまで口走ってしまう。サクラの、最初は心配していた目つきも、次第に冷たくなっていった。

「パパのかっこよさ、作り物だったの? 」

「あああ、サクラ……」

「ねえ。作り物だったの? 」

 元々鬼のような形相をゆがめて迫るサクラは、まさに鬼女だった。

「……はい」

「パパなんて嫌い! 」

 ……ご愁傷さま。心の支えの娘、心の恋人に振られたグレイは、涙とも鼻水ともつかない液体を流しながらうめいた。

「あああ、サクラ、見捨てないでぇ、捨てないでぇ……」

 親子喧嘩じゃなくて、痴話喧嘩だな。

 サクラは、冷たくグレイに向かって、ふんと鼻を鳴らすと、私の腕にからみついた。グレイ夫人の遺伝子は、しっかりサクラに受け継がれていた。グレイの遺伝子はどこに行ったのだ。


「きょーかん……? 」

 聞きなれた声がした。これは、まさか……。

「シロイ! この子は誤解なんだ!グレイ先生の娘さんで……」

 ピザトーストとアイスティーの載ったトレイを抱えて、シロイは悲しそうにこちらを見ていた。その目つきは一瞬で変わり、いつものにこにこと笑うシロイになった。

「いいんですよ~、モモ先生には、きょーかんがロリコンだって内緒にしておきます~」

 おい! さらなる誤解をするな!

 シロイは、にっと笑って去っていった。


 ああ、シロイ……私は、私は……。


「今の女医さん、だれ?」

 無邪気に聞くサクラの腕を振り払いながら、私はこう言った。

「私の同僚で、大切な人だよ。だから、離れてくれ」

 私は、サクラにすがりつく半狂乱のグレイと、首をかしげているサクラを置いて、学食を出た。


 ……言ってしまった。認めてしまった。

 そうだ、私はシロイのことが好きなのだ。愛しているのだ。

 そして、シロイを守りたい。今でも、ゲルプさんのことが好きでも。

 バレンタインのとき、「渡したい人はいるけれどいない」と言っていたな。ブラウ長官の身体として、彼が生きているから、ということなのだろう?まだ、忘れられないのだろう?

 それでもいい。私は、思いを秘めて見守ろう。


 五月雨は、いつの間にか上がっていた。つばめが飛び、新緑はかすかに雲の中から差してくる陽光に輝いていた。


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