Determination

 長い長い沈黙。

 そして、私がいい加減待ちくたびれて焦れ始めたところで、再び渋いバリトンが頭の中に響き始めた。

“待たせて申し訳ない、小さき者よ。内部で少々意見の調整が必要だった”

 異星船の中で、多種多様な知的生命体が侃々諤々かんかんがくがくの大議論を繰り広げている様を思い浮かべる。多分、ヤトゥーガから取り込まれた彼らが大反対したんだろうな。そう思った。

 でも、声は続けて意外な事を言い始めた。

“先ほど君は、この恒星系全体の支持と支援を受けたと発言したが、それは今回の接触も同様であると考えてよいか?”

「え? あー、ちょっとニュアンスは違いますけど、みんなが応援してくれているのは今回も同じ、です」

“では、この会見は君たち全体と我々の公式なコンタクトとなり得るか?”

「多分。でも、えーっと」

 なんだかとても重要なことを訊ねられている気がする。私は言葉を切り、その意味を慎重に吟味しながら続ける。

「私たちが任されているのはあなたたちとの接触そのものに限られています。太陽系を代表して何かを約束する事は出来ません」

“それは問題ない。君たちが我々のような全体知性体でないことは判っている。確認したいのは、君たちに贈られたギフトがこの恒星系全体への福音となり得るのか、という点だ”

「…贈り物? それに、全体知性って何です? ヤトゥーガのパイロットも船に乗っているんじゃないんですか?」

 もしかしたら私は何か大きな勘違いをしているのではないかと不安になる。

 そういえば、さっきは知性融合って表現をしていたけど、それって具体的にどういう意味なんだろう?

“我々は個にして全、全にして個と言える。内部に抱えるいくつもの副人格を含め、そのすべてが「我々」だ”

「え?」

“君が今見ているこの姿は、君たち炭素系知性体が操るそれとは厳密に同じではない。この個体そのものがまさに我々だが、この概念は理解可能か?”

「もしかして、異星船あなたそのものが一つの知的生命体なの?」

“そうだ。我々の中核となる知性は予想される長い旅路に備え、寿命に限りのある身体を捨て、人格、知性のすべてを永続する情報に変えた”

「自分で、自分の身体を捨てたってこと?」

“星を渡るには、生身の身体は不便すぎる。以来、旅の途中で融合を望んだ知性体も同様にして「我々」の一部となった”

「じゃあ、もしかして…?」

“最近「我々」と融合した炭素系知性体も、元々の肉体は既に存在しない。この高温環境では、もはや元素に還っていよう”

 私はてっきり、あの空っぽの与圧服の中身は異星の謎技術で異星船に転送されたものだと思い込んでいた。

 だとすれば、異星船の中には多種多様の宇宙人が賑やかに乗り合わせている訳じゃなく、どちらかというと無人機のような最密充填的な船体構造と、船に積むには不釣り合いなほど大容量のストレージ…あれ、それってなんだか…。

“小さき者よ、むしろ、君の援護をしていた中型個体や君自身、この恒星系にあって我々にもっとも近いのではないか? 君が今宿っている個体に君の持つ意識のすべてを移せば、君はもはや炭素系の不便な肉体を捨て、我々と同様、永続する生命体となり得る”

 ぼんやり考えていたことをズバリと指摘され、背筋がゾクゾクした。

 確かに、私は今、TM102の感覚を自らのそれと感じ、生まれつきの四肢を無意識に動かす感覚で船を操っている。船と私の身体はもうほとんど不可分になりつつある。この状態で脳の機能を船のストレージに移してしまえば、私は…そうか…。

それに、湊の設計した船が異星船のそれに近いと評していたのは誰だったか。

“それよりも、ギフトの件を話したい”

 さまよい始めた思考を見越したように、再び強引に話題を戻された。

“君たちは既にギフトを受け取る素地が整っている。受け取る用意があるか?”

「…」

 返事に窮した。

 ギフトが何だかよく判らないけど、なんだか話ができすぎてはいないだろうか。大体こういう分不相応な贈り物の話には、神話の時代から厄介な頼まれごとがセットでくっついてくる。

“調整を要したのはもう一つ、君たちにある依頼をするべきか、否かという点だ”

「ああ、やっぱり」

 思わずため息をつく、やっぱり面倒くさいヤツだ。

「何でしょう? 今約束は出来ませんが、内容を聞いてからの検討でもよければ」

“この遊星の深部にあると思われる始祖の遺物を回収したい。本来、この星系に残された遺物は君たちこの星系の知性体に占有権があるのだが…”

 尊大な言葉使いがこの時ばかりはわずかに緩み、言葉尻が濁される。

「ええ」

“回収した遺物を我々にも調べさせて欲しい”

「はい?」

“君たちの星系は、このガス型遊星もくせいの周期で換算してわずか四億周期ほど前に生まれたばかり。これまで始祖の訪れた恒星系でこれほど新しいものはない。極めてイレギュラーなのだ”

「はあ」

 この異星船が何を気にしているのかさっぱり判らない。

“我々は、長い時間をかけてこの銀河に残る始祖の遺跡をくまなく調査した。だが、どこを探しても始祖の行く手を示す証拠は見つからなかった。彼らは一体どこに行ったのだ?”

「その、始祖とかを、探して一体どうするんですか?」

“我々すべての知性体に文明の恩恵を与えてくれた大恩ある存在だ。あいまみえ、感謝の意を示したい”

「あなたたちはその為に、ここまで長い旅を?」

“ああ、それこそが我々の使命。そして、始祖の足跡を知る最新にして最大の手がかりがこの遊星に潜む遺物に隠されているであろうと我々は考えている”

「どうして?」

 尋ねながら、相手の声が次第に熱を帯び始めているのに気付いた。最初の、見下すような雰囲気がすっかり薄らぎ、尊敬する恩師か何かに向けるような口ぶりに変わっている。始祖とやらにこだわっているのは間違いないっぽい。

“…遺物の置かれ方があまりに特殊過ぎる。これほど回収困難な場所にあるのは初めてなのだ”

「ええっ! あなたたちでも難しいんですか?」

 驚いた。

 大赤斑から姿を現したと聞いて、この異星船は木星の奥底にだってあっさり潜れる謎性能を持っているものだと信じ込んでいた。

 じゃあ、ここにはただ隠れていただけなの?

“どのような星系にあっても、知性体はこのような過酷な環境下には生まれない。普通もっと穏やかな環境の遊星に発生するものだ”

「まあ、そうですね」

“それに文明の恩恵ギフトをこんな所に隠す必要もない。”

 確かに、私だって別にこの高温高圧を好き好んでここにいるわけじゃない。誰かに見つけて欲しい宝箱を置く場所としてここが不適当なのは確かだ。むしろ、海賊の秘密の宝の隠し場所としてなら納得できる。

“副人格が無理強いして済まなかったが、遊星の表面からここまで、君を詳細に調査させてもらった。恐らく、君の個体はこれよりさらに十倍の圧力にも耐えうる構造を持っている。違うか?”

 外から観察しただけでそれだけ判るのか。私は内心舌を巻いた。確かに、圧力だけだったらスペック上は四千気圧、安全係数を無視すれば多分八千気圧にだって耐えるだろう。問題は、この海を満たす熱の方だ。

「一つ質問していいですか?」

“うむ”

「今私たちを取り巻いているこの力場フィールドで、TM102わたしを護り続けることは可能ですか?」

“問題ない。だが、我々はこれ以上の圧力に耐えられない。君が行くというのなら、この場所から支援することになるが…”

「かまいません。それともう一つ、TM102わたしは単独では完全な機能を発揮できません。せめてアルディオーネとデータリンクさせて下さい」

“先ほどの中型個体だな。了承する”

「もう一つ確認です。外からの電磁波を遮断できるということは、放射線や熱も遮断できますか?」

 ここが重要なポイントだった。TM102わたしの耐圧殻や骨格フレームを構成するタングステンは、摂氏三千三百度で溶け始める。

“限界はあるが不可能ではない。どうすればいい?”

「出来るだけ今の状態を保ち続けてもらえれば。それなら、依頼を受けます」

 これ以上だらだら問答を続けても意味はない。もう、こんな事は終わらせよう。

“感謝する。では、今すぐに取りかかるか?”

「いいですよ。何を取ってくればいいんです?」

“それは判らない。明らかに人工物と思われる、何か、だ”

 超古代高度文明人の台詞とも思えないえらく曖昧な手がかり。

 まあ、でも、百億年も年上の宇宙船に物を頼まれる事も一生にそうないだろう。

 売れる恩は、できるだけ高く売っておきたい。



『香帆! 今までどうしていた?』

 テレメトリが回復した瞬間、待ち構えていたかのように辻本司令から連絡が入った。

『突然連絡が途絶えたので最悪の事態を考えていたぞ!』

 同時に、TM102の制御系にまるで見えない触手を伸ばすようにするするとシータの手が伸びてきた。私はシータと入れ替わるように制御を返しながら、再び仲間と繋がれたことに少しだけホッとしていた。

「異星船に拉致られてました。それより湊は? 無事ですか?」

『今のところ命に別状ありませんが、意識は依然回復していません。支援船の放射線治療チャンバーに収容されて応急処置を受けています』

 私の感情を気遣ってか、シータがつとめて冷静な口調でレポートをくれる。

 もう、莫迦!

 心配はもちろんだけど、私がこんな状態を望んでなんていない事は理解してくれていると思っていたのに。どうしてそこまで無茶をするのだろう。

『状況は? 何が起きたんだ?』

「異星船とコンタクトが成立しました。それともう一つ、サルベージ船のパイロットは異星船に収容されたそうですが、事情があって二度と戻ることは出来ないそうです」

『どういう意味だ? 一体そっちで何が起きている?』

 あー、もう、面倒くさい。どう説明しよう。

 MMインターフェース経由で湊の生存確認キープアライブを確認してひとまず胸をなで下ろした私は、次にアルディオーネの制御系をこっちから操作出来ないか試してみる。湊にやれたことだ。私だって出来るはず。それに…。

「シータ、手伝ってくれる?」

『カホ、両方を同時に制御されるおつもりですか?』

「うん。いざとなったらそのつもり。とりあえず、もう一度異星船のそばまでアルディオーネを降ろしてくれる?」

『了解です』

『香帆! 状況報告を』

「司令、ちょっと黙って。今クリティカルフェーズです」

 せっつく司令を黙らせると、どう納得させようかとあれこれ思案して、結局諦める。

 とりあえずさらりと現在の状況だけ簡単に報告してみる。あとで色々怒られるだろうけど。

「異星船から新たにサルベージの協力要請を受けました。下にあるのは彼らからしても興味深い遺跡だそうです。そんなわけで、今から潜ります。後は戻ってから説明します」

『何だって!』

 そのまま有無を言わさず支援船との音声回線を閉じる。色々言われているのはデータの流れで判るけど、とりあえず頼まれごとを終わらせて早く帰ろう。

「さて、行くか」

 私はスラスタを軽くひと吹かしすると、加速度が回復していることを確認、長い全力噴射で一気に潜航を開始した。

 私はもう半分決意を固めつつあった。

 多分、これが私にとって人生最後のミッションになる。



 異星船の投射するフィールドに包まれたTM102わたしは、リミット一杯の最大潜速でひたすら潜り続けていた。

 液圧の変化は続いているけど、周りの温度はまったく変化しない。さすが異星の謎技術。

 ただ、どこまで信用出来るのかはわからない。もしも彼らの気まぐれで急にこのフィールドが消失すれば、私はその瞬間に蒸し焼きになる。

 上空にあるアルディオーネへ向けて短信音ピンを打ち、戻ってくる反射波から推測される現在の深度は百キロメートルと少し。周辺液圧は間もなく二千気圧。この調子だとスペック上の安全潜航深度は二百キロに少し足りない。

 ただ、周囲を取り巻くこの水素という物質、どんな金属にも平気で侵入して分子結合を破壊し、強度を著しく下げる。「水素脆化」と呼ばれる現象だ。

 幸い、私を包む分厚いタングステンの耐圧殻はすべての金属の中でも飛び抜けて脆化に強く、加えて高密度セラミックのコーティングでダメ押し対策も施している。とはいえ百パーセント何の影響も受けない訳じゃない。

 水素脆化は時間と共に急速に進行し、高温と高圧がそれを後押しする。このミッション、間違いなく設計上の極限を超える。のんびりなんてしていられない。

 どこまでも見通しの悪い濁った水素とメタンの海を行くこと数時間。下方にほんのわずかな超音波エコーが帰ってきたのはさらに百六十キロメートルほど降下したあたりだった。周辺液圧は既に設計限界を超える六千三百気圧に達している。

「シータ、下方にエコー反応。外挿法で形状を予測できるかしら」

『網膜に出します。TM102あなたの耐圧殻と同じようにクロム系の金属で作られた完全球のようです』

「周辺温度は?」

『摂氏五千度を超えています。少なくとも太陽系中にはここまでの耐熱性をもつ素材はありませんね。周囲の熱を何らかの方法で無効化している可能性があります』

 熱を吸収し、エネルギー源として活用している可能性もある。でないと、何の支えもない水素の海の中で何億年も中性浮力を保ち続けられるわけがない。

 ちなみに、TM102わたしに中性浮力はない。後付のマニュピレーターがとんでもなく重い上、想定される超高圧に耐えうる浮力材がどうしても開発できなかったのだ。だから、何もしないと十九万キロメートル先の金属水素の海底に激突するまで沈み続ける。もちろんその前に二百万気圧というとてつもない圧力でぺちゃんこだろうけど。

『目標までおよそ五十キロメートル、推定圧力は八千二百気圧。本当に行くつもりですか?』

「正直言って怖いよ。完全に設計限界を超えているから」

 でも、私には自信があった。この船を設計したのは湊だ。彼の船なら無条件に信じられる。

 それに、もし突然圧壊したとしても、絶対に彼を恨まないでいられる自信もある。

 ああ、そうか。

 私は不意にすべてを理解した。

 月面に墜落したテストパイロット、美和さんが最後の瞬間、なぜあんなに幸せそうな表情だったのか。

『八千気圧を突破しました。ここからは完全に未知の領域です』

 シータがつぶやくように宣言した。



---To be continued---

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