熾火

 私の住む人工島には、寮から歩いて数分の場所に最近リニューアルオープンしたばかりの立派な屋内プールがある。

 この街に引っ越してきてすぐ、1Gという久々の高重力に馴染めずヘバっている私を見て、荒木さんが水泳を勧めてきた。

「ほら、水中は無重力みたいなものじゃない? 体の重さを感じないで済むわよー。それに、筋力だけじゃなくて心肺機能も無理なく強化できるから、宇宙うえから来た人にオススメ。騙されたと思ってしばらく通ってごらん」

 そう言われた。

 最初はこのしんどさが少しでもやわらぐなら何だっていい。そう、藁にもすがる思いで始めたのだけど、これが思ったよりずーっと良かった。

 体の重さを感じずに済んだのもあるけど、それよりも、地上ではなかなか味わえない三次元的な浮遊感が嬉しかった。

 アローラムに乗って飛び回っていた時の感覚に近くて、なんだかとても癒やされたのだ。

 それ以来、暇さえあればひたすらプールに通った。

 伸ばし始めたばかりの髪が塩素で傷むのは悩ましいけど、この職場には仕事柄もあってマリンスポーツの愛好家が多い。

 男女ともに色素の抜けたパサパサの髪は珍しくもなく、むしろ、「お! 頑張ってんな!」と逆にほめられた。

 そのうちにいつの間にか重力負けはおさまった。なるほど騙されてみるものだ。

 三ヶ月も経たないうちにプールに通う必要もなくなった。トリートメントを頑張って髪も次第に元のツヤを取り戻しつつあるけど、習慣というのは怖いもの。それ以来、最低でも週に数キロは泳がないと逆に気持ち悪く感じるようになった。

 そんなわけで、土曜日も早朝からプールに出かけ、水上バスの顔馴染みさんとプールサイドでばったり顔を合わせてお互い指さし合って驚いたりした。

 話してみて常連とわかって意気投合、同性で歳が近いこともあってなんとなくライバル心が湧き、まるで水泳部のように競ってガシガシ泳ぎまくった。土日あわせて12キロ。いくら何でも泳ぎすぎだと思う。

 その上、昨日は流れで彼女の部屋にお邪魔して、そのまま晩ご飯までごちそうになった。

 さすがに自分で感じていたよりかなり疲れていたようで、どうやらそのまま寝落ちしてしまったらしい。気がつくともう朝だった。

 週明けから一週間出張なのになんの準備もしていない。そのことに気づいて慌てて部屋に戻る。彼女にはドアの外で待っててもらい、適当に着替えと端末と化粧品のポーチをザックに放り込む。

 それでも結局、水上バスの発着所には二人ともぎりぎりで駆け込む始末だった。



「では、よろしくお願いします」

 遅刻ぎりぎりで会社の門をくぐり、待ち構えていた荒木さんに引きずられるように管理棟二階の会議室に足を踏み入れると、そこには既に例の取材クルーが待ち構えていた。

 宇宙機マニアと言うからどんなオタクな人が来るのかと思っていたけど、記者は意外にもスマートな妙齢の女性だった。

 さっくりとしたカットソーに紺色の麻のジャケット。明るいショートカットの髪に魅力的な笑顔。何でこんな人がと不思議に思い、お互い名乗りもしないうちについポロッと聞いてしまった。

「あの、記者さんはなんで宇宙機マニアになったんですか?」

 相手は一瞬キョトンとした表情を見せ、次の瞬間には大きく口をあけて爆笑した。

「いいわー、気に入った。今日はおもしろい取材になりそうね」

 そう言いながら笑顔でばしばしと私の肩をはたく。痛いからやめて欲しい。

「お、結構いい筋肉ついてるわねー」

 今度は二の腕をムニムニと揉んでくる。

「あの?」

「あ、ごめんごめん。何か運動やってるの?」

「…ええ、水泳を少し」

「ああそうか、やっぱり潜水艦に乗る人は泳げないと駄目だもんね」

 そうなのか? 一瞬答えにつまり、助けを求めるように荒木さんの方を見る。

 彼女は頭痛を抑えるように眉間をつまむと、

「さあ、お二人とも座ってください。時間も限られていますから」

 そう言いながら肩を押さえて無理矢理ソファに座らされた。

 相手はそんな私の様子を見て笑いをこらえるように口元をおさえ、コホンと小さく咳払いをすると、

「失礼しました。私、『スペースドローイング』の中野さおりと申します。改めてよろしくお願いしますね」

 名乗りながら、美しくふわりとお辞儀をした。

「あ、安曇あずみ香帆です。はじめまして」

 こちらも慌てて頭を下げる。

「では、早速インタビュー始めてよろしいですか」

「あ、はい」

 カメラマンが中野さんの斜め後ろから盛んにフラッシュを炊いてくる。眩しいなあと思っているといきなり来た。

「もう、地上は慣れました?」

「は、はひ?」

 変な声が出た。

 慌てて荒木さんに振り向くこと彼女もなんだか怖い顔。

「事前の資料はご覧いただけました? この娘、地球の出身ですよ」

「ああ、すいません。見落としてました。宇宙うえの出で、リハビリに水泳始めた人を知っていたものですから、安曇さんもてっきりそうかと…」

「リハビリで一日5キロも6キロも泳いだりしませんよ。この娘高校まで水泳部でしたから」

 …もうご存知なのですね。そしてそういう設定なんですね。

「ごめんなさい、変な質問でびっくりしたでしょ」

「はい」

 心臓がバクバクした。まだおさまらない。

「ごめんねー、よくやっちゃうんだ。じゃあ改めて」

 中野さんはペロッと可愛く舌を出し、咳払いをして居住まいを直した。

 その後は真っ当な質問になった。というか、記者というものは一回の取材にここまで勉強するものなのかと驚いた。

 彼女のMMインターフェースに関する知識はほとんど専門家レベルだし、最新情報にも明るかった。

「では、安曇さんから見て、ご専門の深海潜水艇と、当誌の専門でもある宇宙機の共通点って何だと思われます?」

 一通りの質問を経て、そんな雑談めいた話になる。

「そうですね。どちらも極限環境の中で乗組員の命を確実に守れることが再優先だという所。それから、どちらも周りの環境は真っ暗で、冷たくて。でも、そこにはいろんな明るさ、色合いの星がたくさん瞬いているってこと」

「海の中に星が?」

「あ、はい、MMインターフェースを通してセンサーの読み出しをAIと共有するとそんな風に感じるんです。生命反応が明るく輝いて見えるんです」

 ふと、アローラムのブリッジで見た天の川を思い出す。

 あそこに帰りたい。

 不意に湧き上がってきた郷愁にも似た強い思いに自分でも圧倒される。

「安曇さんは詩人ですね。私には深海は死の世界にしか思えないのですが」

「…普通はそうだと思います。上の方に比べたら生き物の数も本当に少ないですし。でも、私達の感覚ではとても住みにくい場所にしか思えなくても、環境に高度に適応した生き物は必ずいます」

「深海にもエイリアンはいるってことですね」

 中野さんは感心したようにうなずいた。

「そう言えば、安曇さんは潜航中に沈没船なんて見つけた事はありますか?」

「はい」

 うっかり答えて内心舌打ち。あれは異星船。

「おお」

「あ、いいえ、沈没船と言うより何百年も前に船からこぼれ落ちた貨物、例えば壺だとか、オーク材の樽だとか、大きな木箱だとか、深海は冷たくて流れも弱いし、酸素も少ないのでびっくりするほど新しく見えますよ」

「へえ、だとすると、最近世間を賑やかせている異星船も、意外と大昔のものだと言う可能性がありますね?」

「え?」

 喉がカラカラになったように感じて思わずつばを飲み込む。

「とんでもないお宝が沈んでいたりしないものですか?」

「いえ、調査のためとマニュピレータの操作訓練で幾つか引き上げたことがありますけど、そういうのは…」

「安曇さん、サルベージもやるんですか! だとすると、例の件も興味あったりします?」

「なんでしょう?」

「あれ、もしかしたらこっちでは報道されてないのかな? 大赤斑の異星船、引き上げ失敗したそうですよ」

 心臓がドキンと大きく跳ねた。

「ほら、謎の人事で異星船捕獲チームが一斉に入れ替わったじゃないですか」

「…すいません、よく知らなくて」

「いえいえ、私達、最初はサルベージのプロと追跡のプロが交代しただけだと思ってたんですけど、どうやらそうじゃなかったみたいですね」

「はあ」

 だからどうしてそんな話になる。

「今回の失敗を受けて、もう一度あの時のベストメンバーを呼び戻すべきだって声もちらほら出ているみたいですよ。ところで安曇さん」

「…はい」

「先ほどまでのお話で、宇宙機のAIと潜航艇のAIの操作にはかなり共通の要素があると私、思っているのですが」

「…」

「安曇さんだったら、宇宙機に乗り換えて、あの船、引き上げることが出来るとお考えですか?」

 そう言いながら、真顔で私の目をぐいっとのぞき込んできた。なんだか怖い。

「…すいません、想像もできません」

「はい! すいませんそろそろお時間なので」

 荒木さんが割り込んできた。助かった。

「あら、もうそんな時間ですか」

 中野さんはさっと笑顔に戻ると、思いついたように人差し指を立てた。

「そうだ、最後にもう一枚写真を撮らせてくださいな」

「なんでしょう?」

「安曇さんの首のMMインターフェース、撮影してもいいですか?」

 返答に困って荒木さんを見る。彼女も困惑気味の表情を浮かべていたが、やがて小さくうなずいた。

「ええ、どうぞ」

 仕方なしに髪をちょっとかき上げ、プラグの並んでいるうなじを見せる。

「やった、実は実物見るのは初めてなんですよね」

 笑顔でカメラマンにあれこれ指図し、アングルを決めると、

「すいません、ちょっと髪を上げさせてください」

 言いながらすっとうなじに触れてきた。途端に首筋に電撃が走ったような気がして一瞬目がくらむ。

「あ、すいません、くすぐったかったですか?」

 彼女はそのまま髪を支えて何枚か写真を撮らせると、やがて席に戻る。

「今日はどうもありがとうございました。安曇さんのような若いプロフェッショナルが私たちの世界にも増えてくれるといいのですが」

 そう言いながら笑顔でぐっと右手を差し出して来た。

「ではこれで。お話とてもおもしろかったです。またお会いできるといいですね」

 彼女の握手はとても力強く、そして暖かかった。


---To be continued---

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