潜航

 二日後、私達を乗せた支援母船〈ろっこう〉は紀伊半島沖およそ百キロの海上に停泊していた。

 今次航海、二回目のテスト潜航。すでに早朝から潜航艇は二艇とも海面にあり、私たちは乗り組んだまま次の指示を待っている。


「それにしても」

 私は密閉された薄暗い空間で一人つぶやく。

 MMインターフェース経由でいつでも好きなときに外界を感じられるので、私にとってコクピットの明かりはむしろAI融合の邪魔になる。

 真っ暗な中、コクピットを満たすひんやりとした乾いた空気を吸い、全身を取り囲むように瞬く各種インジケーターの明かりをぼんやりと眺めながら思う。

(まるでホタルの群れのよう)

 うん、この感覚はやっぱり好きだ。

 明滅するインジケーターを見つめているうちに、頭の芯がしだいにすっきり澄み切っていくのを感じる。

 ちょうどいい。深呼吸をして、一昨日の出来事を改めて思い返してみる。

 今考えても、中野さんの質問はとても刺激的だった。

 MMインターフェースに対する幅広い見識と鋭い質問も面白かったけど、むしろその後の雑談に心を惹かれた。

「彼女の狙いは何なんだろう」

 もしかしたら、私の正体を知っているのでは。そうも感じた。

 久美子さんの紹介であれば別に不思議ではない。

 だとすれば、一体どんな目的で私に近づいたんだろう。

 一つ一つの質問はともかく、会話全体として、彼女からはなんとなく今の私そのものを値踏みしているような印象を受けた。

 それはなぜ?

『おーい、香帆よう、寝てないか?』

 そこまで考えたところで、うんざりした声の長谷川君が呼びかけてきた。

 こちらがしばらく黙り込んでいたので心配になったらしい。

 私は、シートにおさまったまま可視光センサーで隣を”視る”。

 彼はつなぎの襟元をだらしなく緩め、タブレットでパタパタあおいでいる。向こうはやはり相当暑いらしい。

「ちゃんと起きてるよ。でも、今日は時間がかかるね」

 正直、私も待つのには飽き始めていた。

 昨日のテストは水深2000メートルで折り返し、何の問題なく終了した。今日はとりあえず着底まで行ってみようという事で、これ以上待たされると浮上は恐らく日没後になる。

 私の乗るTM102は深夜だろうと泊まりだろうと何の問題はないが、長谷川君のTM101は深度計の他には可視光と超音波のセンサーしか装備していない。基本的に五感に頼るシステムだから、海面近くまで浮上してなお周囲が暗いままでは確かに心細いだろう。


 すぐ隣に浮かぶ潜航艇、TM101に搭乗しているのは長谷川君。

 見た目は白っぽくて貧弱だが、あれでもフィールドワークのきつい海洋生物学で博士号を持っている。

 私より一年入社が早い。自己申告によるとどうやら「若手の注目株」らしい。

 彼の乗る101のコクピットは、かつて海洋研究開発機構JAMSTECが運用していたしんかい12000とよく似た外観だ。

 人の乗り込むコクピット部分の耐圧球全体が分厚いサファイヤガラスでできている。まるでシャボン玉の中に乗っているようで、機関部のある真後ろ以外のすべての方向に見通しが効く。搭乗者が肉眼で周りを観測することに特化した、いわば研究者向け仕様だ。

 一度潜ってしまえば全面パノラマルーフで開放感は最高だけど、今日の様に海面待機が長いと温室状態で相当辛いと聞く。今日はまだへその緒アンビリカルがついているから、エアコンを動かせる分ましだろうけど。

 一方、私の乗り込んでいるTM102には、そもそも窓というものが一切ない。外から見るとちょっと寸足らずのベルーガシロイルカに似ている。外界の情報はセラミック製のボディ全面にびっしりと埋め込まれたマルチセンサーが収集、AIが統合情報として乗組員に伝達するシステムだ。

 ニューロコンピュータとバッテリーが場所をとるので、コクピットはシートがおさまる直径1メートル、奥行き2メートルの極小空間しかない。立って乗り込むことすら不可能で、ほとんど“すき間に滑り込むように”搭乗する。

 搭乗員わたしはカプセルホテルよりまだ狭いこの空間に最大1週間搭乗する。MMインターフェース保有者しか耐えられないであろう、極めて非人間的な仕様だ。

 インターフェース非保有の長谷川君はこれを見て、冷たい目で「ほぼ棺桶」と酷評した。

 だけど、私自身はアローラムの耐Gカプセルに比べたらこれでも身動き出来るだけましだと思っている。

 加えて102の搭乗員を守るタングステンの耐圧殻は四千気圧、地球上には存在しない水深4万メートルにすら耐える。製造法の都合で耐圧殻の厚みがこれ以上薄くできず、結果とんでもないオーバースペックに仕上がったそうだ。



『なあ、香帆からちょっと聞いてみてくんない?』

 不満げな様子を隠そうともせず、長谷川君はさらに付け加える。

 確かに、〈ろっこう〉からは「待機」という連絡を最後に一時間近くもなんの説明もない。

「えー、しょうがないなあ」

 彼が自分で聞かないのは、ブリッジに座る潜水主任と折り合いが悪く、しょっちゅう怒鳴りあいになるからだ。

 どちらかというと体育会系の潜水主任と、理屈っぽい彼ではしっくりと言うのは無理だと思うけど、間に挟まる私のことも考えてほしい。

 まあいい。

「こちらTM102、香帆です。潜水主任いらっしゃいますか?」

『なんだ!』

 おっと、大分機嫌が悪い。長谷川君ならもうこの時点でアウトだろう。

「待機はまだ続きそうでしょうか? まだかかりそうなら少し早めに食事をとってもいいですか?」

『ああ、そうか。 ちょっと待て』

 主任のマイクがミュートされる。だけど、私はAIを操って通信システムをインターセプト。こっそりミュートを解除し、ブリッジむこうの会話に耳を傾けた。

“まだ回復しないか?”

“だめですね。本部側機器の不調みたいです。あっちから確認信号が戻らないので次のパケットが遅れないんです”

“どうにかならんか? 奴らそろそろ焦れてきてる”

 あら、見透かされてる。

“とりあえず本船で記録だけしておいて、後で送るようにしますか?”

“そうだな。じゃあそう伝える”

 しばらくボールペンを走らせるゴソゴソという音が響き、急に声がクリアになる。

『長谷川、安曇、オレだ。次のゼロ秒でマーク、潜水を開始しろ』

『了解』

「はい」

 問題は、本船と工場側のマルチバンドレコーダーのライブ転送がうまく行かないだけらしい。本船がわの問題なら支援に支障が出そうで嫌だけど、潜水記録はどうせ向こうもライブ解析なんかやっていない。私はデータバスを全開にすると、センサーが送り込んで来る大量の数値情報を直接五官に変換し、全身で海を感じる。

『5、4、3…マーク! 行け』

 合図と共に、私はまるで飛び込み台からプールに飛び込むように深海にダイブした。


---To be continued---

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