疑惑

 ゆっくりと時間をかけて全身に暖かいシャワーを浴び、濡れた髪をタオルでほぐしながらベッドに腰掛けた。

 そして未だに火照ったままの頬を両手で挟み込む。

「まったく、びっくりするじゃないか」

 自然と呟きが漏れる。

 考えてみれば、湊にあれだけきつく抱きしめられたのは初めてだ。

「…いや、まてよ、二回目?」

 よく考えてみると、そもそもアクシデント以外で彼が自分から私に触れたことってあったっけ。

 彼は思ったより慎重? それともスキンシップが苦手なタイプ?

「ただ警戒されてるだけだったりして」

 とってもイヤな考えが浮かんでしまい、慌てて頭から振り払う。

 とにかく、色々、ちゃんと考えないと。

「そう、とりあえずあの謎の声よ!」

 あの声、本当に何だったんだろう?

 高い熱にうなされたあげくに見た、単なる妄想だという可能性もある。というか、そうとしか考えられない。

 でも…

 司令に報告した方が良いだろうか?

 いや、でも、こんな変てこな幻を見たことが知られたら、精神状態を疑われてプロジェクトから外されてしまわないだろうか?

 このプロジェクトに所属していることで、私はかろうじて湊の隣に居場所を確保できている。また前みたいに離れ離れにになってしまうと、正直言ってとても困る。

 死活問題だ。精神的に。

「ふぅー」

 思わず長いため息が出た。

 湊の厳しい表情から考えて、サンライズコロニーの本部に戻って医師の精密検査を受け、きちんとお墨付きが出るまでは、私は絶対に潜航艇に乗せてもらえないだろう。

 もしかしたらMMインターフェースの使用すら禁じられてしまうかも知れない。

 いやいや、それだけは絶対に避けたい。

 脳全体に張り巡らされたナノAuファイバーと首筋のプロセッサーユニットは、もはや私の体の一部だ。

 私の場合、インターフェースを入れた年齢が比較的早かったせいか、脳神経の構造そのものが、MMインターフェースと効率的な信号のやり取りができるように大きく変化していると診断されている。

 MMI所持者は全員、多かれ少なかれ脳に変異が生じているのだけど、私の場合はそれがかなり極端らしい。

 今さら引っこ抜かれでもしようものなら、多分逆に障害が出るレベルに違いない。

 ヤトゥーガが私のことを畸形ミュータント呼ばわりしてるけど、一面の事実を突いている事もまた確かだったりするのだ。

「でも…」

 今の私に、唯一無二と言える物はこれしかない。

 密かな自慢だった航法プログラミングは今や優秀な航法チームが引き継ぎ、よっぽどのことがない限り私の出番はない。

 潜航艇の操縦はもちろん私の特殊技能だけど、今回のテストのように、耐圧殻の中に操縦者が入らなくて済むのであれば湊でも多分、可能だ。

 彼は宇宙機と名のつく物なら何でも自分の手足のように扱う。

 私のように感覚フィードバックを受けなくても、たとえ目の前にあるステータス表示が位置情報やベクトルを表した文字や数字の羅列だけだったとしても、彼の頭の中では自分が乗り組んでいるのとさほど変わらないらしい。誰にも真似の出来ない器用さで宇宙機を駆る。たぶん、それは彼が宇宙機の設計においても超一流であることと関係している。

 アルディオーネの庶務全般は陶子さんが担当していて、とても私に真似のできない高度な管理能力を発揮している。

「あれ、私ってちゃんと役に立ってるのかな」

 そう考えると悲しくなる。

 私は、私自身の能力で、みんなに必要とされている?

 湊にも必要だと思ってもらえているだろうか。

「彼は私を抱きしめてくれた」

 心の内に突如湧き出してきた黒雲を振り払うように、私は声に出して言ってみる。

 でも、今回私は失敗した。

 彼もきっと失望したに違いない。

 同じ事がもしまた起きたら?

(いや、それは許されない)

 私は何だか喉につかえを感じてつばを飲み込んだ

 これ以上、能力を疑われるようなことは絶対にあってはいけない。

 彼の隣に立つには、超一流とは言えなくても、それなりに優秀であることが求められる。

 私は小さく頷くと、あの不思議な声のことは誰にも告げず、密かに心の中にしまっておくことを決めた。

 


 結局、TM102改の回収は湊が担当した。

 彼はMMインターフェースでアルディオーネとTMの二機を同時に制御し、猛烈なスーパーローテーションの強風下で微妙なドッキング手順をいとも簡単にこなしただけでなく、そのついでにドローンでの金星地表観測までリモートで制御、今回のミッションを九分通り成功に導いた。

 私たちがコロニーの本部に帰り着いたのとちょうど同じタイミングに配信されたトロイス・レポートは、テストミッション成功のニュースとドローンが撮影した金星地表の映像が華々しく紹介された。おかげで乗組員(私だ)の体調不良にともなう日程の変更はほとんど話題として扱われずに済んだ。

「まあ、ウソはつかない主義だから触れないわけにはいかないけどね、今回のトラブルが小さな扱いで済んだのは運が良かったな」

 不機嫌なしかめっ面を見せる私に不器用なウインクで応えると、司令は不意に表情を引き締めた。

「ところで、原因究明は大いに難航してる」

「知ってます。私も事情聴取で何時間も拘束されましたし、脳検査を三回も受けさせられました」

「MMインターフェース自体の問題も可能性として考えられたんだけどな、結局それはなかった。おかげで感覚フィードバックインターフェースの開発チームと全波長探査シーケンスのプログラマーは徹夜続きだ」

「でも、怖かったです。永久に戻ってこれなくなったらどうしようかと本気で思いました」

「その割には随分と落ち着いていたように見えたがね」

「まあ…、それは慣れました」

 私は即答した。

「これだけ何度も極限状態に追い込まれたら、普通誰だって慣れると思いますけど?」

「うーん」

 だが、司令はそれには答えず、

「意外と自分のことは見えないって言うしな」

 謎の呟きを漏らす。

「なんの事です?」

「いやぁ、となると、本当に高熱による意識混濁が原因なのかも知れない。君の熱が下がると同時にTMが機能回復したって言うのもなんだかそれっぽいし」

 うーん、それはどうだろうか?

「でも、私、意識はずっとはっきりしてましたよ。もしそれが事実なら、意識朦朧として、フラフラになってると思います」

「でもなあ、だとすると、そもそも機能不全に陥ったきっかけがわかんないんだよ」

 私は一つだけ思い当たるフシがあった。ただ、それをそのまま口に出すことには抵抗があった。

 どう表現するかしばらく迷い、司令の目を見ながら慎重に口を開く。

「あの、人工物が原因とは考えられないですか?」

「人工物? どういう事だ?」

「私が金星の地表に人工物らしい輝きを見つけて間もなくトラブルが発生しました。例えば、何か妨害電波みたいなものが…」

 司令の目がキラリと妖しく輝いた。

「おお、それは思いつかなかったな。確かに見たんだね? 保証できるか?」

「私の主観では。でも、間違いないと思います」

「早速、君の報告前後の観測データを見直してみよう。その話が事実なら、潜航艇と支援船アルディオーネの通信手段を根本から考え直さないといけない。本番で同じような事故が起きるのはマズい」

 司令はそのままむっつりと黙り込むと、向かいに座る私を無視して長考に入る。

「…あの、行ってもいいですか?」

 しばらく無視された後、焦れた私は立ち上がりながら言う。

「いや、忙しいのに呼びつけて悪かったな。戻ってくれて構わない」

 心ここにあらずといった感じで私の方を見ることもせずにさらっと答えた司令は、今度は首をひねりながらなにやらぶつぶつつぶやき始めた。

「では失礼します」

 私はそそくさとその場を退出し、閉じたドアにもたれて大きくため息をついた。

「なに辛気くさいため息をついているんだ?」

「うわおっ!」

 いきなり話しかけられて飛び上がった。湊のあきれたような目つきが痛い。

「いや、あの、ちょっと思うところがあって…」

 あたふたと言い訳する私に、

「叱られたのか?」

 思いがけないことを言われて反射的に聞き返す。

「え、違うけど。どうして?」

「だったらそんなに気に病むな」

 ポンと頭に手を置かれ、そのままくしゃくしゃっとなでられた。

「でも、私…」

「今回の事は不可抗力だよ。香帆が悪いわけじゃない。無事に戻ってきてくれただけで十分だ」

 思いがけず優しい言葉をかけられて目を見張る私に、湊は照れたような表情を浮かべると向こうを向いてしまう。ちょっと嬉しい。

「ねえ、もう一回言って」

「何の話だ?」

「ね、一回だけでいいから」

 そのまま顔を覗き込もうと回り込むが、湊は再びそっぽを向いてしまう。

 これ以上突っ込むと本格的に機嫌が悪くなりそうなのでこのあたりであきらめる。でも、まあ、ねえ。

「それより、司令は?」

「居るんだけど、ちょっと長考に入っちゃって。当分戻ってこないよ」

「仕方ない、後にするか。じゃあとりあえず香帆でもいいや」

「なにその、ついでみたいな言い方!」

「あ、うん」

 まぜっ返す私に生返事をした湊は、不意に私の顔を正面から見つめて表情を引き締めた。

「潜航艇パイロットとしての君に意見を聞きたい。真面目な話だ」

「なに?」

「一千気圧、三千度。そんな世界にたった一人、生身で降りていく覚悟はあるか?」

「え?」

 私は絶句した。

 別に、怖くなったわけじゃない。

 元々深海潜航艇パイロットだった私にとって、そのくらいは織り込み済みだ。

 千気圧って言ったって、地球の海で一番深いマリアナ海溝とほとんど条件は変わらない。

 どちらかと言えば高温の方が問題だけど、そのくらいなら以前のミッションで湊と一緒に耐えた実績がある。

 驚いたのは、それが大きな方針変更を意味していたからだ。

「君の実体を木星に下ろすことにははっきり言って今でも反対だ。今回と同じように、感覚フィードバックと遠隔制御でやれるものならやってしまいたい」

 湊の表情にはどことなく割り切れなさがにじむ。

「今しがた解析結果が出た。感覚フィードバックも探査シーケンスも特に不具合バグはなかったよ」

「じゃあ、やっぱり」

「ああ、問題があったとすればバックボーン回線だと思う。遠隔制御システムへのクラッキングじゃないかと疑っている」

 湊も外部からの干渉を疑っている。でも、その根拠は私とはかなり違っていた。

「アルディオーネのログを洗い直してみたんだ。君が全波長探査を開始して間もなく、出処不明の最優先コマンドが紛れ込んで遠隔制御システム全体をロックしていた」

「え?」

「システムには問題なかったんだよ。だから、再び正体不明の相手から解除コマンドを受けるとすぐに復帰した」

「一体どういうこと?」

「ああ、便利だからって異星由来の得体の知れない通信手段を信用しすぎた」

 湊は苦り切った表情で続ける。

「よく考えてみれば、異星のガジェットを手に入れているのは我々だけじゃない。ヤトゥーガだって同じ物を手に入れている可能性があるんだ」

「まさか!」

 背中に冷や汗が流れる。

 確かに、太陽系中にばらまかれた異星のガジェットは一つだけとは限らない。

 同じ物が複数あっても何の不思議もない。そして、それらに互換性があることも考えてみれば当然あり得る話だ。

「我々の通信はずっと盗聴されていたかもしれない。もちろん暗号化はしていたけど、永遠に破られない暗号なんてないから」

「解読されていたって事?」

「ああ」

 半分以上納得しかけた私だったけど、疑問が浮かぶ。

「でも、それならもっと安全なやり方で私達を退場させられたと思わない?」

「安全?」

「そう。今回のやり方はほとんどテロみたいなものでしょう? そりゃ私達には脅威だったけど、危ない橋だっていうのは向こうも同じ。それよりも、トロイスが実際には空だった事だとか、定例会議の内容とか、もっと楽に付け入る隙はいくらでもあったと思う」

「う! それはまあ」

「それに、昔ながらの電波通信だって盗聴の危険性はほとんど同じでしょ? 距離が離れれば当然タイムラグは出るし、今更システムを変更する得はあるかしら?」

 考え込む湊の顔を見つめながら、矛盾した事言ってるなぁと自分でも思う。

 遠隔制御を諦めて私自身が直接潜航艇に乗る方が私にとってメリットがある。

 何より、あの耐圧殻は狭すぎて体格的に私しか入れない。

 プロジェクトに居続ける格好の理由が増えるというのに、自分で潰してどうするんだ?

「…でも」

 私を木星に下ろすとなれば、それだけで大幅な設計変更が生じるし、彼のゴリ押し安全設計はさらに念の入ったものになるだろう。ただでさえ少ない湊の睡眠時間は間違いなく減る。

 私は、彼がいつ倒れるか、それが心配でならなかった。

(それに…)

 彼はかつて、自分の目の前で最愛の美和さんを亡くしている。私がTM102に直接乗務することは、当時のトラウマを呼び覚ますことになりはしないだろうか?

「……」

 思いが千々に乱れ、何も言えず立ち尽くす私。

 その時、湊が再び顔を上げて私を見た。じっと見つめられて何だかドキドキする。

「やっぱり、異星のよく分からない技術に君の命を預けたくない。ネットワークの狭間で迷子になられるより、俺の設計したTMで君が直接木星に降りる方が、俺自身、きちんと責任が取れる」

 反則だよなあ。こんな事を真顔で言えるなんて。

「心配してくれてるの?」

 ふと聞いてみると、湊は逆にショックを受けたような表情になった。

「なに当たり前の事言ってるんだ。今回のプロジェクトでどんな貴重な成果が得られるとしても、香帆の安全と引き替えにするつもりなんかない。全員揃って最後に笑えないなら、こんなプロジェクト今すぐ辞めてやる」

 私は心から微笑んだ。

 たとえこの後、どんな重大なトラブルに出会ったとしても、今の言葉が聞けただけで十分だ。


---To be continued---

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